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人生に迷ったOLがバッタ博士に救われた話

近年、アフリカで大量発生しているサバクトビバッタが農作物を食い荒らしていると聞く。yahooニュースで取り上げられるくらいだから、虫に関する興味、関心、および知識0の私でさえ、どうやら「海を越えているらしい」というのは知っていた。

そういえば朝のニュース番組でも、バッタによる蝗害について度々回取り上げられるようになったように思う。世界で農作物を食い荒らしているバッタがインドに、中国に、ようは日本にも徐々に迫ってきている、らしい。

けれども私は、コーヒーを飲み干しながら、近いな・・・・と感じた程度で、その日の会議をどう乗り切るかのことのほうが先決だった。

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バッタよりも、何よりも、私は人生に疲れていたのだ。

地球の危機よりも自分が危機だった。

彼氏と別れてから、連日両親には結婚を心配され(適齢期だから仕方がないにしても)、精神的にげんなりとしていたし、追い打ちをかけるように仕事も繁忙期だったので、家と会社の往復の日々を過ごしていた。(自分ではもはや修行と呼んでいた。)

こんなことよくあることだろう。
けれど、年頃の当事者にとってみれば、落ち込むのだ。人間だもの。

「一人で頑張り続けるしかない」という先の見えない不安は、「このまま私は同じ日々を繰り返すのか」という自分への質問に変わり、一人で生きていくのなら、せめてもっと楽しめる仕事がしたいぞ、、、と無理な本音を浮き彫りにした。

しかし考えたところで、すぐに何か答えが出るわけでもない。
私は空白の時間を作らないように、黙々と仕事をした。
控えめに言って、迷走していたのだ。

サバクトビバッタに話を戻そう。

そのニュースを耳にしてから、父が「バッタを倒しにアフリカへ」という、装丁にとてつもなくインパクトのある本を進めてきた。
若い男性が、緑色の服に身を包み、顔を緑色に塗って、頭にはバッタの頭をイメージしたのであろう、被り物をしている。そして大きな虫取り網を持って構えているのだ。作者欄を見ると、前野ウルド浩太郎さん、とある。
一度聞いたら忘れない名前に個性を感じる。普段自分が読むビジネス書や小説とは全く異なるジャンルだったので、進められるままに読むことにした。

本には一研究者としての、苦労や葛藤が、なんとも明るいトーンで綴られていた。昆虫分野初心者にも読みやすいように、かなり配慮されているのだろう。それでも本気で研究に人生をかけている博士の話に引き込まれてしまった。

この方はファーブルに憧れて昆虫学者になったらしい。
私も小学生の頃、伝記マンガで読んだことがある。
しかし偉人達はあまりにも自分とはかけ離れた偉人であり、自分の未来と重ねてイメージすることはまずできなかった。よって、どちらかと言えば、伝記を読んで本当になってしまいました日本人シリーズでも並べてほしかったな、、と今更ながら勝手で無茶な要望を図書館にしたくなる。

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博士はモリタニアという地で一人、なぜかバッタと遭遇できないという不運に見舞われ、無収入という危機に陥り、それでも転職も日本への本帰国もせず、現地で研究を続けていらっしゃったそうだ。「自分の道を選ぶ」という選択は、しかもそれを継続して選び続けることには、一体どれだけの気力がいることだろう。

好きこそものの上手なれ、とは言う。言うけれども、先立つものもある。
私たちは生きていかなければならない。うるさい、それでも選ぶ、というのは、もうぐうの音も出ない。
人は心から感銘を受けたとき、人を尊敬したとき、ふと口をつく言葉はなんとも語彙力のない「すごい・・・」の一言に集約されるのだと知った。

バッタについて読み進めるうちに、
私は幼少期の体験をぼんやりと思い出していた。
小さい頃、私は両親の仕事の都合で海外の野生溢れるかなりワイルドな場所に住んでいた。近くにはとある有名な国立公園があり、その巨大な敷地には、ありとあらゆる動物や植物、そして昆虫が保護されていた。

私たち家族の車は時たま、公園の近くの高速を通ることがあったのだが、一度、高速で車が停まったことがある。

外に出てみようと車を降りたとき、私は、黄色と黒、ピンク、緑、様々な色をした巨大バッタ達に遭遇した。当時私は小学生だったが、今まで目にしたことがある昆虫は、モンシロチョウだとか、カナブンだとか、カマキリだとか、どれも小さい個体だけ。色もさほど強くなく、淡い色や、緑色というイメージが強かった。しかし、公園にいたバッタはどれも色がはっきりしていて、大きさも子供の拳ほどあるではないか。

車の周りには建物などあるはずもなく、高速道路が一本、まっすぐに続いているだけ。鳥の大群があたりを旋回していて、色々な生物の声がした。むしろ人間の方がその場から浮いているような、異様な世界だった。

独特な鳴き声に、色合いに、数に、衝撃を受けた私はその場で号泣したのを覚えている。子供ながらに、「野生ってやばい」と本能で悟ったのだろう。
今思い出してもその時は夕方だったので、バッタが辺り飛んでいるわけではなかったことが、せめてもの救いだったと思う。(前野さんの本によれば、バッタは気温が下がってくると、飛行をやめ、植物の間で休む習性があるらしい。そして朝日と共に出てきては、体を温め飛び立つのだそうだ)

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泣きながらも、私は憤りを感じていた。

日本で見たことのある昆虫とレベルが違うではないか。
少なくとも私が持っていた子供向け図鑑には、もっとかわいらしいタッチで描かれていた。どうしてこんなに差があるのか。
なぜこの国の昆虫は、こんなに自己主張が激しい色をしているのか。
そもそも足元にいるのは同じ種類の昆虫(バッタ)のはず、生息する場所の環境により、個体の大きさや色に変化があるものなのだろうか・・・・当時あまりに怖さにこれ以上の思考はやめたが、大人になって、前野さんの本を読み、「相変異」という現象であることを知った。

そんな自分の過去と本書をリンクさせながら、意外とバッタとは面白い生き物だな、と思うようになった。自分が普段読まない書籍を読むと、新しい発見があるものだと、勧めてくれた父に感謝する。

そういえば、人生に迷ったOLが、バッタ博士に救われたというオチはどこにあるのか?と、ここまで読み進めてくださっている方々は思うだろう。

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それは、「バッタ」ではない。
私を励ましてくれたのは、前野さんが現地での生活から培われた、
物事への向き合い方だ。

本を通じて思わず泣きそうになってしまった箇所がある。

7章 下を向いてあるこう
暗い部屋で一人、テレビはつけたまま、私は震えていた。これからどうしようか。Facebookを眺めると、友人が家族と楽しそうに遊んでいる写真や、美味しそうなラーメンの写真が目に突き刺さってきて、自分の惨めさに拍車がかかる。うだつの上がらない切なさに心削られる。
「いいかコータロー。つらいときは自分よりも恵まれている人を見るな。みじめな思いをするだけだ。つらいときこそ、自分よりも恵まれている人を見て、自分がいかに恵まれているかに感謝するんだ。嫉妬は人を狂わす。お前は無収入になっても何も心配する必要はない。研究所は引き続きサポートするし、私は必ずお前が成功すると確認している。ただちょっと時間がかかっているだけだ。」
励ましソングとして知られる、坂本九が唄う、「上を向いて歩こう」。 上を向いて 歩こう
涙が こぼれないように
思い出す 春の日 一人ぽっちの夜 上を向けば涙はこぼれないかもしれない。しかし、上を向くその目には、自分よりも恵まれている人たちが映る。その瞬間、己の不幸を呪い、より一層みじめな思いをすることになる。
私も不幸な状況にいるが、自分より恵まれていない人は世界には大勢いる。その人たちよりも自分が先に嘆くなんて、軟弱もいいところだ。これからつらいときは、涙がこぼれてもいから、下を向き、自分の幸せをかみしめることにしよう。

私に近い世代の男女であれば、まだ人生の指針がないこともある。
自分が行き詰っているときに、どうしたらいいのか、
一体何を心の拠り所にして、何のために、進んでいったらいいのか。
分からなくなる時は、ないだろうか。

私は、あるよ。

思わず、涙ぐんでしまった。周りに人がいなくて、本当によかった。
だって、バッタの本を読みながら、大の大人が、泣きそうになっているのだ。冷静に不思議な光景だし、当人でなければちょっと笑ってしまうかもしれない。

少しまじめな話をすると、
私はただのOLで、自分の夢とは真逆の仕事に就いていて(嫌いではないけど)、頑張っても、頑張っても、上手くいかない時はあって、いよいよ泣きたいぞ!と思っても、冷静になりなさいよと、自分で自分に突っ込みを入れてしまうタイプである。

人前ではかっこつけて、笑って、自分の感情をなかったことにしようとしたり、無理やり前向きなことを考えて、ごまかそうとするけれど、本当は誰よりも臆病で、泣き虫で、変なプライドがあり、それがなりたい自分の邪魔ばかりする人間なのである。

しかし、そんな面倒臭さこそが、嘘偽りのない、ありのままの自分なのだ。

博士のように、ちょっと泣いてしまっても良いのであれば、変に違うものになることはやめて、鼻をかみながら前に進もう。

自分に対して、告白すると、私は、それこそ、文章を書く人になりたかった。ずっと本が好きで、小説を書くことが好きで、一時期は翻訳家になりたくて、それを安定した職と引き換えにして忘れたことにしていた。

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だから、前野さんの本を読んで、noteにひとりごとでもいいから
まずは何かを書いてみようと思ったのだ。

私のような人がたった一人でも、この記事を読んで本来の自分の中に埋もれていた気持ちと、素直に向き合ってくれたらうれしい。これが一番、自分自身を含めて、伝えたかったことでもある。

自分が落ち込んでいる時こそ、出会う本には何かしらの意味があるものだ。

もし、何かの間違いで博士がこの記事を読むことがあったら(ないけど)、心から、ただありがとうと伝えたい。
博士の研究を、これからも応援しています。

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