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脳性麻痺。ドラムを始める。

 脳性麻痺で左片麻痺。
 ドラムに一番最初に興味を持ったのは、小学5年生の時に天才てれびくんというテレビ番組で、女の子がドラムを習う企画を見た時。当時の印象は「子供でもドラムってできるんやな。」程度だった。
中学1年生でL'Arc〜en〜Cielの「shout at the devil」という曲のドラムを聴いてドラムってかっこいいと改めて思った。

 学生時代からドラムを演奏してみたいという気持ちはあったが、社会人になるまで何かと理由をつけて諦めていた。

 社会人になって自分で自由に使えるお金ができると、とうとう我慢できなくなって行動に移した。独学は無理だと思いドラム教室を探すことにした。苦手な電話で某音楽教室に、恐る恐る連絡すると「片手ではちょっと…」と門前払いをくらい出鼻を挫かれた。
 個人で教室をしているところなら大丈夫かと連絡してみると「とりあえず体験レッスン来てみて」と受け入れてくれてレッスンに通うことになる。
そこには約1年くらい通い、転職と引っ越しを機に辞めてしまったが、あの教室の先生に会わなければドラムを演奏することもなかった。感謝しかない。

 せっかくドラムを始めたのだから、バンドで演奏してみたくなった。でもバンドの組み方なんてわからなかったので、ネットで見つけた社会人バンドサークルに連絡をしてみることにした。とりあえずサークル主催のライブを見に行き、運営を取り仕切っている人に話しかけてみた。すると、メンバーはネットの募集掲示板で行うとのことだったので、さっそくメンバーを募った。メンバーは割と早くに揃ったが、ここでも脳性麻痺があることを伝えるかどうか迷った。結局は伝えたのだが、メンバーの反応は「…」
伝えたことでメンバーが抜けることは無かったので、何とか受け入れてくれたものと思っている。
 初めて組んだバンドで初ライブもできた。初ライブの1曲目はthe pillowsの「Funny bunny」。見事にスティックを飛ばしたのも今となってはいい思い出だ。
 そのサークルがきっかけで延べ4つのバンドを組んで定期的にライブにも出ることができた。今はそのサークルは休止してしまったが、休止前最後のサークルライブは、バンドのブッキングや会場手配など運営も任せてもらえてとてもいい経験になった。
 また、バンドを通じて繋がった知人も増えた。基本的に人見知りをする性格だが、音楽に関してのみ社交性はある程度持ち合わせているようである。

 その後も数多くのバンドに加入、クビ、解散を繰り返した。クビになる時の理由は、片手では音圧が足りないとか、タム回しをたくさんしてほしいとか、ツーバスがいいとか、やはりそういう理由が多かった。これを打開するにはスキルアップしかなかった。

 最初にドラム教室で習って以降は独学でやっていたが、限界を感じて、再びドラム教室を探すことにした。
前回の教室探しの時に門前払いされた経験から、不安が大きかった。今回見つけた教室は、初回レッスンまで片手で叩くと言うとどういう反応をされるか緊張していたが、講師がユニークすぎて杞憂に終わった。今まで会ったことのないタイプの人。この教室に通い始めてかれこれ10年。我ながら長続きしていると思う。

 自分がやりたいと思ったことは、脳性麻痺だからという理由で簡単に諦める必要はないのだ。やり方を工夫すれば何とかなることもある。好きなことだから工夫するのも苦ではない。
 でも、面倒臭がりなので、今のところドラム以外のことで色々工夫したり、時間を割いたりするのはかなりの苦である。

 今ではドラム中心に生活が回っているようなものだ。趣味に生きるのも悪くない。妻の理解があってこそなので感謝している。

 腰椎ヘルニアで健側の足が痺れて長時間の演奏が難しくなったり、麻痺側の筋力低下で足が痺れたり歩様が悪くなったりと、脳性麻痺の二次障害は年々ひどくなっている。

でも、これからも二次障害とうまく付き合いながら、ドラム寿命を延ばしていこうと思う。




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