負けず嫌いは仇になる
hemiです。
このnoteは、この世のすべてに対してなんでもかんでも張り合っちゃうヤツがいったいなぜ損なのかについて個人的に思ったことです。短い文章です。
「なんでもかんでも」張り合っちゃうヤツの要約
その場では対抗心に燃える。でもその場限り。自分と誰かを比べっぱなしで、保身のために優れた人や難しい環境を無意識的に避ける。強がって質問もしないので上達が遅れがち。基本に立ち返るモチベーションも沸きづらく、こつこつ続けることも特にない。
長い目でみると、自分の好きなこともできず、上達を楽しいと感じることもないまま飽き、そうして気持ちが離れているあいだに、それまで費やした時間のうちに積み重ねたものが消失していくので、結果として残すものがないまま時間だけが経っていきます。損です。
ほんっとに損してるぞそれ
2年前、私は友人との会話のなかでふと「自分のほうができる」と言いました。そしてその愚かさに気づきます……できるならわざわざ口にしなくてもいいのに、その対抗心は見栄以外のなんなのだ?
また、その情熱はどうやら翌朝には冷めていることを発見します。これはつまり、そのちいさな見栄っ張りは何にも繋がらないうえに、自分から動きもせず大きく見せようとしているだけの、酔ってる間に語る夢みたいなものだよ、と。
その日から、私はこれを克服するために、どこにでもあるという意味で使われる言葉「没個性」にあやかって「没対抗心」と名付けてメモを残すことにしました。
没対抗心
対抗心は悪くないことです。目標や憧れへの距離をはかって悔しさをバネにすることは成長に不可欠だと思います。それじゃ何が没なのかっていうと、「すぐ冷める」「その場の勝ち負けを気にしすぎる(楽しめない)」「具体的な目標は立てない」という、対抗心から成長につなげるための肝心な部分が千切れているために、いつでも簡単に心に火が付いては消えちゃうようなあまりにも利用のし甲斐がない心の動きだから「没」、という感覚的なネーミングなのでした。書いてて心が痛い!
日々を楽しめるように仕向けよう
あれから数年間、それなりに自分で思索してみて、いくつかよさそうな考えが得られました。以下、備忘をかねて箇条書きにしてみます。
・瞬間的に脳を喜ばせることをやめる。
・場面によって目的重視なのか感情重視なのかを使い分ける。
・ただ他人の活躍を眺めるだけの時間を減らす。
・身近な人たちとの時間を増やして相手の話を聞く。
・何かがすごいと思ったらほめる。
特に、「すごいと思ったらほめる」こと。他人を認めることは事実を捉えることなので、過度に感情的にならなくて済み、結果として自分のやりたいことにすぐ戻ることができる。ただし、高いプライドを保つために誰でも褒めているそこのアナタ。周りから丸見えだからそれはやめよう。
ありがとうございました
このメモにまとめた思いを胸に、わたしは自分のやりたいことに戻っていく……といいな……心が弱い……修行の日々です、ホント。
お読みいただき感謝!
hemi
2023年11月11日 編集、加筆。