朗読台本「偽物」

1  生きることに疲れた私は、私の偽者に頼んで、私の代わりをやってもらうことにした。


2  はじめは私になりきることが難しかったようで、所作にぎこちなさがみられたが、それも一週間ほどもすれば、私の口癖から、特定の人間に対する態度まで演じ分けるようになった。私は満足してその様子を眺めていたが、その翌週、状況は変わる。


3  偽者は私が普段はとらない行動をとるようになった。具体的に偽者は、職場で私が好意を寄せる同僚にアプローチをはじめたのだ。偽者は、あろうことか私の体でジムの予約をしてルームランナーで汗を流し、本を読んで知性を養い、身だしなみに注意を払って、職場では笑顔を絶やさない人間として振舞った。同僚の誕生日には花束を贈り、そして同僚は、私に見せたことのない表情でそれを受け取った。


4  私は偽者に訊いた。私にも可能性があったということなのか、と。偽者はその通りだと答えた。ならば元に戻ろう、と提案すると、申し訳なさそうな表情でこちらをみて言った。


5  たとえ可能性があったとしても、あの人にとっては私が本物なのだから、あなたが偽者であると認めるならば、いいでしょう。
 狼狽する私を横目に偽者は言った。
 いくらあなたが否定しても無駄です。なぜなら、あなたが本物かどうかは、あなたが決めることではないのですから。


6  足元から崩れる感覚とともに「私」は落ちていった。
 偽者に同化すらできなかった「私」はないものとされた。
 その後のことは覚えていない。


2018年11月投稿を再掲

Hemi

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