哲學的斷片(1)
自體者の自己同一は、自己表現的自己同一であり、かゝる自己展開は、我々に於ける主體の運動として實現する。
(一)主體は運動的である。其の運動は円環的である。主體とは、円環運動、自己回歸運動である。
(ニ)自己回歸運動とは、自己の「自己から自己へ」の運動である。即ち、それが其處から來たるところへ向かい、それが其處へ向かうところから來たるところのものの、其の運動を自己回歸運動と云う。
(三)自己回歸と云うからには、[一]自己から[ニ]自己への兩契機が存せねばならない。[一]自己からという限り、「自己の外へ」ということでなければならず、[ニ]自己へという限り、「一度外へ出たものが、再び自己の内へ」ということでなければならない。從って、自己回歸とは、[一]發出と[ニ]還歸の二契機の統一としてある。
(四)自己回歸運動に於いて、其の運動が[一]其處から發出するところと[ニ]其處へ還歸するところとが同一でなければ、自己回歸とは云われない。即ち、[一]發出と[ニ]還歸の兩契機は、其の始點と終點の同一に於いて統一されてある。
(五)自己回歸運動は、其れが其處から發出し、其處へ還歸するところのものの自己同一に拠ってはじめて有り得る。かゝる自體者の自己同一の實現が、自己回歸運動であり、かゝる實現に於いて主體はある。
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