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哲學的斷片(3)

 物事を理解するとは如何なることか。それは、對象(ob-jectum)を表現すること(re-presentation)、即ち、對象の再構築(re-constraction)ではなかろうか。

 かく考へた場合、哲學は云ふ迄もなくλόγοςに於ける(或いはλόγοςによる)世界の表現(re-presentation)であるが、斯くなる表現が十全に實現され得るか否かは、甚だ疑問と云はざるを得ない(畢竟づるに、精々詩的表現に帰結する)。

 寧ろ、科學(science)に於けるが如き、世界のλόγος=materia的表現にこそ、對象の十全たる記述(de-scription)が可能ではあるまいか。斯く考へる限り、科學に於ける理解とは、對象の物質的再構築(re-production)であり、即ち、λόγοςの工學的實現(engineering)でなければならない。この意味で我々は「自らが作り得ないものは、理解し得ない」(“What I cannot create, I cannot understand”, R.Feynman)のである。

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