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ケア、わからない~福祉、支援職の人々と対話したら深い問いをもらいました~

毎月行っている対人支援職の方々との対話会ですが、4月もしっかり行いました。(2月から月1ペースで行いこれで3回目です)
会の中でいくつかの「分からない」が枝分かれして、会が終わった今も考え続けられる会でした。
(話し合ったテーマは「支援において苦労したこと。苦労に対してどう対処しようとしたか」でした)

ちなみに前回の様子はこちらにまとめています。

ケア、大丈夫だったかな~福祉、支援職の人々が集い話した記録(2)~|helpwell [公式]|note

先月もそうでしたが、4月は多忙な方が多く、限られた人数の参加でした。また、用事で途中抜ける方もいました。しかし内容としては豊かな対話ができたので安心しています。質をしっかり確保しながら、徐々に規模を拡大していきたいです。

新年度のバタバタで多少疲れ気味!?

(1)「正しいケア」が分からない~試みることの大切さ~

①普遍的だけど大切な悩み

支援の苦労話として最初に出たのが、人手の話でした。年度替わりで要職が次々と退職し、短期間での引継ぎを迫られたとのこと。

日本中のあらゆる業界で、この時期見られそうな現象ですが、対人支援の世界では、複雑かつ多様な事情を抱えた方々の「人生に直結する事項」も引継ぎに含まれているはずです。「バタバタするのはどんな仕事でもありえることだからしょうがない」では済まない問題だと思います。

それでも発言された方の「自分、頑張ってるな、と思いました」という実感のこもった一言には励まされました。

②今も将来も大切だから出る悩み

また、子供への支援現場において「子供の将来を考え指導するべきか。場の雰囲気も尊重するべきか」という悩みが出ました。

言葉遣いや生活態度の問題について「ある子の振舞いが他者を傷付けているようには見えないが、別な場所でやられると問題になる可能性があるし、将来を考えても不安が残る」とのこと。
そして「将来を考えれば注意するべきだが、その場では皆楽しそうにしているし、対応が難しい」という悩みでした。

悩みに対して他の参加者からは「責任者や上司と、振舞いが心配な子について議論したらいいのではないか」という意見が出たり、ソーシャルスキルトレーニング(実際の困りごとに基づいたロールプレイ等の方法で対人関係スキルを育む訓練)を行ったらいいのではないか、との意見が出ました。

SST(ソーシャルスキルトレーニング)とは?例や教材、発達障害との関わりを解説します (litalico.jp)

「問題のある態度を敢えてすることで、実は別な事を言いたい、表現したいという場合がある」という意見も出ました。
実際悩みを発言した方も、子供に対して「最近どう思う?」といった、相手を否定せずに話を聞く対話の場を作るよう試みているとのことでした。

③苦手への挑戦は自分の幅を拡げる

一方で、最近全く違う業界から、就労支援に飛び込んだという方より「嫌な仕事でも逃げずに取り組むと、自分の幅が広がって楽しいと実感した」との力強い発言が出ました。

就労支援では授業や講義のような事もするので、苦手意識があったが、挑戦していくことが楽しいということでした。また、前職で得た対応スキルをそのまま就労支援でのプログラムに活かせた、という素敵な事例も発表いただきました。

正直私(筆者)は、以上で取り上げた方々の試みや挑戦が「正しいか/間違っているか」ということは分かりません。しかし現実に飛び込みながら、試みや挑戦を続ける自身に対して「頑張ってる」「楽しい」等、偽りない評価をできていることは事実ですし、貴重なことだと感じました。

(2)個人、組織、社会のバランスが分からない~支援で何をどこまでできるか、という永遠の問い~

①個人と環境への葛藤

就労支援をされている方の以下の発言が印象的でした。

「頑張ってほしい、と思うが、もちろん潰れてほしくない」

せっかく障害を抱えながらも支援に繋がっていただいたクライアントが上手く生活習慣とスキルを確立し、安定した就労に繋がって欲しいと願うことは当然のことでしょう。

一方結果ばかり求めすぎれば、かけなくていい負荷に繋がりかねない。大きな葛藤です。

また、就職後の定着支援を通して、企業側にもアプローチが可能だが、営利のために一定の方針と体制で回していくべき企業に対してどこまでアプローチしていいものか難しい、という意見もありました。

②社会という環境への視点

ここで話が「支援の場の外側」である社会へと広がっていきます。

あらゆる個人が自己決定して人生を決めていけばいい、というのは正論ですが、障害を持っていたり心身が疲弊しきっていたりすると、自己決定が困難になります。その際に「自己責任」では片付かない問題が発生します。

私(筆者)自身、何年も前に職場環境と人間関係に疲れ切り、カウンセリングや周囲の助け、そしてストレスチェック制度利用を含めた様々な試みで、職場内での役割変更を含め、「何とかやっていける環境への移行に成功」できた経験がありました。

しかしそれも、私自身が疲れ切ったという「悪条件」を、私自身の力や周囲の助け、適切なカウンセリングや制度等の「好条件」で「包囲」し、乗り切れたという感覚があります。「好条件」には運の要素も、ある程度は含まれていました。

私は以上の話をした後、「悪条件」と戦うための「好条件」が揃っていない人々のためにも、社会構造を変えることを含めた、何らかの政治へのアプローチも必要ではないか、という問いかけをしました。
(社会について語ろうという雰囲気は対話の場に満ちてきていました)

これについては、「政治の場にいる人も含めて、皆それぞれ頑張っているのだから、自分は自分の役割で支援し頑張るしかない。社会の構造に目を向けるところに、上手く言えないがモヤッとするところがある」との意見がありました。

一方で、福祉だけでなく、企業や政治を変えるのは大切だし、同時にhelpwellのように、「転職等を通し望む人生を送れるように、個人個人を支援していく試み」も大切で、両輪の動きが広まるといいのではないか、という意見がありました。(望む方向へ自己決定できる人が増えれば社会は変わりますね)

③個人そして社会と向き合うこと

柔らかな壁のような自己責任意識が、髪の毛からつま先まで、染み込んだ人も多い社会。
誰かと対話して、社会について知ったり、どこに力が集まっていて、意識やお金がどこに向かっているか知ったり、社会の中での自分と周囲の役割を知ったり……柔らかな壁はこれらの行動全てに対して、臆病に立ちはだかるでしょう。

しかし全てを誰かのせいにするのでは無く、真逆に全てを自分で背負い込むのでもなく、対話と何らかの実践を繰り返していくこと。

それはあらゆる人にとって大切であると同時に、支援という、高い専門性を求められ、様々な制約の中で動く必要がありながら、同時に、可能性も無限に広がりうる領域にこそ、重要だと思いました。

(3)今後について~足元からの民主主義を実践~

確定ではありませんが、「参加者が持ち込み企画をし、運営側が企画に対してアドバイスとサポートをする」ことを考えています。

ファシリテーターをする人が複数いるということは、運営側、参加側両方分かる人が複数生まれるので、多面的な視野に基づいた「面白い化学反応」が期待できます。

また現行全てのファシリテーターを私がしていますが、実は支援職に就いたことがありません。今もそうです。

福祉系のボランティアをしたり、教育学の本を読んだりと、学び続けてますが、一番手っ取り早い学びが、「他の方のファシリテーションをサポートしつつ、そこから学ぶ」ことだと思います。

本記事のタイトル通り、まだ「分からない」ことも多いですが、今後ともよろしくお願いします。

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