第14夜 東京ステイ
「そうだ東京に泊まろう」と思った。通勤で平日は毎日通っているのにだ。もともとは上野の国立博物館での雪舟展を見たかっただけなのだが、どうせなら上野の森もゆっくり歩いてみたかったし、アメ横の”肉の大山”も久しぶりにのぞいてみたかった。祝日のくっついた連休なので2泊することにした。そうなるともう一つくらい展覧会を見たいし、夕暮れにいくつかの老舗の居酒屋をハシゴしたくなるはずだ。東京は展覧会が目白押しだ。日本全国から、世界から何でも届く。それは東京に住んでる特権なのだが、実際に住んでいる人は残念ながらそれを忘れている。
北鎌倉へ抜けるトンネルを抜けると徐々に潮の気配が薄まっていく。イヤフォンを耳に差しオーディブルのアイコンをタップする。昨日帰宅で聴いていた文学賞を獲ったというミステリーを再生させたが、どうも今日のこの瞬間には気が入り込まず、停止してスボティファイで私向けの今日のレコメンドメニューにした。ボブマーリーのONE LOVEの前奏が始まった。まあ悪くないのでそのままにしておいた。大船を出るともう空気は横浜だ。さらに京浜という名の通り、そこからは東京への助走みたいなものなのだ。いつもの通勤とは違うので、朝10時であるにもかかわらずグリーン席窓側の席ですでに缶酎ハイとチーズ鱈を始めている。あ、もちろん通路右列の座席は午前の日差しが眩しくてシェードを降ろさないではいられないので、当然左側の窓際を死守する。それによって柏尾川沿い区間は藤沢エリアの小高い丘の先に丹沢、そしてもう少し先に進むと富士山が望めいい肴となる。休日とはいえ車で来る気はなかった。ふだんはこんなに子供みたいに車窓に向き合うことはない。ニュースやらメールをスマホで見続けることになるからだ。こうして車窓の景色に集中するといつもは気づいていなかったものが見えてくる。鶴見の総持寺の参道、新川崎の機関区がなんとなくスイスのバーゼル駅と似ていること、多摩川河川敷のゴルフ練習場のヤーデージなどなどまったくもって見える景色は新鮮だ。多摩川の鉄橋を渡ってからは流れていく車窓の景色はどんどん建物が密集していき、どんどん高層になっていく。
東京駅に降りてからはいつもの地下鉄丸の内線には向かわずに、地上階の山手線ホームに向かう。神田、秋葉原、御徒町、上野。あっという間に到着。まだ昼前だ。公園口を出てゆっくり文化会館と西洋美術館の間の道を歩くと、大噴水へ続くメイン通りに多くのテントが建てられ、どうやら骨董市をやっているようだ。これはラッキーだ。いつかの時もたまたまこの催事に出くわし、織部の角小皿を3枚買ったのだが、塩辛や漬物など肴の味が混ざらないようにできるので晩酌に重宝している。2泊とはいえ荷物は肩に掛けたトートバッグだけなので、ちょっと覗いてみることにする。出店している人たちは全国の催事場を回っている人もいれば、この時だけ出す地元の骨董屋もいる。全国を回る人は新たな仕入れを会場で行うことも多い。その土地ならではの出物を仕入れ、それを珍しがる別の土地で商いする。私の狙いは地元の骨董屋のほうだ。まだまだ木造旧家の残る台東区エリアはかつての山の手ゆえいい出物に巡り合える。連休開催初日は昼からのスタートなので、ぎりぎりオープン前だ。全国型店主はまだ自分のテントを整えるのに手がかかり、まだ他店を物色に行くには余裕がない。今がチャンスだ。速足で各店を物色する。最近気になっているのは薄茶を入れる棗だ。鎌倉に住むからには鎌倉彫をひとつ、ということで使い込まれた平棗を一昨年手に入れた。今はオーソドックスなサイズのいい中棗に出会いたい。気分は徳川栄華を象徴するような蒔絵物。茶道具を扱う店には棗を収める20立方センチくらいの桐箱があるはずだ。まだ店頭に並べる前のものも見逃さないようテーブル下の地面にも注意を払う。しばらくきょろきょろ歩くと、茶道具を置く水屋を展示棚にしている、いかにも茶道具専門のような店づくりのテントがあった。だが、ここは一応気に留めておくだけにしておいて、狙うはもっと広範囲に品ぞろえをしつつも一つ一つに何か惹かれる質感がある店だ。旧家の跡継ぎが途絶え、家をたたむ際に蔵のものをごっそりと託すような場合、いい物でも一つ一つ吟味してる時間がなかったりして、ある程度まとめていくらということにならざるを得ないので最高の出物がある。骨董屋も保管場所に困るから早く売りさばきたいのだ。と、捜し歩いていたら…あるある、上野桜木創業100年とうたった看板を出し、節句人形や絵皿、織物などを並べている。店主はごそごそと段ボールを開けては、テーブルに並べている。今取り掛かっている段ボールの隣に、あるある、小さな桐の箱が詰まった段ボールが。あの大きさは茶碗じゃない。棗か、もしくは香炉だ。
「ごめんください。お取込み中のところ申し訳ございませんが、その桐箱は棗ですか? あのー、すみません」
店主は作業に集中しきっていたのか耳が少々遠いのか、聞き返したらやっとこちらに気が付いた。
「棗? いやあ、おととい引き取ってきたばかりだからまだ中も開けてないんですわ」
ラッキーだ。相当のお宝ものもあり得る。
「蒔絵の中棗を探してるんです。よろしければ拝見できないでしょうか?」
店主は私の前のテーブルが開いているところに段ボールごと渡してきた。
「ちょっと開けて見てみてよ」
昇天しそうなチャンスだ。他店の物色マンに見つからないよう通路側に背を向けて、目立たないようにこじんまりとした動きでひとつづつ桐箱を除く。あるある、想像した通り香炉もあるが大半は棗だ。しかも旧家が大事にしてきたのだろう程度のいい黒塗りが続々と出てくる。5つ目の桐箱に目的の蒔絵物があった。藤の花を繊細に施した中棗だ。蓋を開けると何年ぶりに姿を現すことになるのか屋外の陽を受けて底のほうがほの光る。蓋を閉めると空気と漆が調和した絶妙のシールドで音もなく合わさっていき、その密閉感に職人が吹き込んだ命を感じる。ほかの箱もすべて開けてみて、もう一つ蒔絵物はあったがこっちのほうが私の好みにしっくりきた。文句なしだ。
「ご主人、この棗おいくらでお譲りいただけますか?」
店主は棗を手に取り蓋を開け閉めし掌の中でぐるっと回しながら細工を見、テーブルに置くと次は桐箱の蓋を確認した。
「あったんだねぇ、こんなのが。そっちの箱の中もこういう感じだったかい?」
「すばらしい黒塗りたちでした」
「ああ、そうかい。これ、江戸中期の藤重一派だね。なかなかのものだけどあんたに譲るよ。最近棗を欲しがる人なんかそういないし、黒塗りがいくつかあるならそれでいい。いくらがいいんだい?」
「え?言い値でもいいんですか?」
「あんたの目がどこまで利いてるかだね」
「現金の手持ちがあまりなく…、3万でいかがでしょうか?」
「それでいいよ。譲った! あんたラッキーだよ、店で売るなら30万つけようと思ってた」
「なんと! よろしんですか?」
「ああ、気が変わらんうちに早くもってけ!」
そう言って店主は棗を柔らかい布で拭き桐箱に収め、店でも使っているのであろう、不織布の風呂敷で包み手提げに入れて渡してくれた。
「こういうのは一期一会なんだな。あんたにもらわれたがったんだろうな、あの棗。大切にしてあげてな」
店主はまた次の段ボールに取り掛かり始めた。
気が付いたら昼をまわっていた。不忍池に面した高層ホテルのチェックインは15時なのでそれまでゆっくり肉の大山でランチでも食べようとアメ横へ向かった。昔からここへ来たらハンバーグと決めている。妙に奥行きのあるカウンターは昔から変わらない。変わったのは自分のほうで、年齢のせいか完食したら腹がはちきれそうになった。これはいけないと、再び上野の森へ戻りあちこち歩いて消化を促しながらホテルへ向かった。部屋は23階。南側に面しているので西は新宿から東は東京湾まで見渡せる。それがほぼ東京中心部のすべてと言える。皇居、東宮御所、新宿御苑、明治神宮、ところどころに森はあるがそれを囲むように建物がパズルのようにすき間なく立ち並び、起伏なく遠くまでそのパズルは続いていく。
ハンバーグをアテにハイボールを2杯飲んだ後けっこう歩いて部屋に入ったからか、ちょっと横になリたくなって靴を履いたままベッドに横になるとさっき窓から俯瞰した東京の残像がまぶたに映る。残像は初めは23階からの遠景だが、いつしか徐々に視点が地上に移ると遥か下に黒い点がうごめく。蟻か? 集中して観察すると、それは人だ。蟻の行列のように集団となって地下鉄巣穴から出てくる。思えば広大なパズルはせっせとものを運ぶ蟻たちが作ったんだ。おそらく何かのきっかけでこのピースがすべてバラバラにされても、蟻たちはまたこのパズルを完成させるだろう。欠けたものは新たに作り埋めていく。さらにこの人という蟻は、巣だけでなく、便利なものを何でも作り出す。挙句全てがこの蟻の手による人工物となる。便利なもの、今まで見たことのないものを競って作り合う。だがそれらの人工物は見たことはないかもしれないが全てが想定内の出来で、言うならば子供の頃描く未来図止まりなのだ。たとえば建物は材質や設計デザインが斬新であってもそれはあくまで身を置く空間という機能にとどまる。何でもある、それが東京だが、作り続けられるものはしょせん過去の延長でしかない。麻布、世田谷、田園調布。箱庭の安心環境は作り得た。京町家の中庭のように市中に山居をもってきたのである。小さな自然を見て四季を感じようとしているのである。京町家では猛暑には深い軒先で日陰を作り、置き石に打ち水をして涼を作り出すのだが、東京ではクーラーの効いた部屋から窓ガラス越しに緑を見る。暑さも匂いも感じることなく。それではモニターに映した自然映像と何が違うのか? 仮に密室に壁一面モニターを貼り苔庭を映したら自然の中にいるような満足感を得られるのだろうか? だとしたら窓ガラスの景色とその映像と何が違うのか? もっと言うとメタバースシティとどこが違うのか?
まぶたを開けると東京の街がいつのまにか夕暮れに包まれていた。光が当たる側に向いた窓ガラスや金属があちこちで強烈な反射をさせることでぐらぐらしたマグマのような様相を呈し、オレンジ色のパズルはもはやリアルな景色とは思えなかった。人工物が混ざり合って自然発生した東京独自の景色だ。窓ガラスのこっちにいる空間だけはありのままのリアルで、先ほどの骨董屋の紙袋が目に入ると無性にあの中棗を触りたくなった。桐箱から取り出した棗は薄暗い客室の中で藤の蒔絵をぼんやりと浮き出している。それはまさに障子越しに外光を入れる方丈茶室のそれに近いのではないかと思った。藤重一派の細工はここに姿を現したのだ。無性にその棗に愛着が沸き上がり、私は両手の平でそっと包んだ。
翌日、国立博物館で雪舟展を見た。ガラス越しに見る作品たちはモノトーンだけなのに、作り出す世界は圧倒的な広がりを感じさせるものばかりだった。高層ビルもない時代、俯瞰で描く瀟湘、山水は雪舟の視点が明らかに23階以上の高さにあったことを意味する。いや、視点ではなく意識だ。意識はいかようにも景色を作り出すことができるのだ。明日はタナーを見て帰ることにしよう。さすがに両手の平に包むことはできないが、筆遣いを間近に見ることができるから。やはり東京はいい。
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