【短編小説】ノ貫デモクリトス (7104字)
1侘寂ブラックホール
迂闊に先を急いだためその大きなホールの存在には気が付かなかった。天下の茶人である千利休の180cm近い巨体はホールにすっぽり飲み込まれながら闇へと消えて行くと、さらにその奥の方へと引きずり込まれていく。
昼の闇に包まれここまでの人生が頭の中で渦巻く。
”関白への助言は何か功を奏するのか”、”侘は後世に継がれていくのか”…、
待庵と銘じられた4畳半茶室の小さな空間で上下別け隔てのない時間を共にしてきた人々の顔が次から次へと浮かんでは消えていく。
もはや覚悟は決まっていた。目を閉じて身を任せた。
だが、奈落の底へと落ちていくのには数秒もかからなかった。
底に落ちた際の衝撃はそうでもなく、呼吸もそう乱れることはなかった。
棺桶に横たわるように仰向けで両手の指をみぞおちの上で組む。 起きたことを反芻するように目を閉じ瞑想していると、
高めの波動が耳に入り込んできた。
意識がそちらに行くに従い、その波動は人の声であることがわかってきた。 しかも笑い声のようで何か気分が悪くなって薄く目を開けてみる。
朧月のような丸い光が目を開けるごとに鮮明になり、
月兎のごとく円光の中に人のシルエットが現れた。
「おおっ、随分派手にハマったのう。さすが利休、そんな中での寝姿も美しい」
丿貫(へちかん)だ。やりかねない男だが、こんな大仕掛けは全く予想だにせず油断していた。
「なかなかの景色でございました」
そう言うと平然を装い利休はゆっくりと腰を起こす。 立ち上がればホールの深さは胸ほどであった。
丿貫に茶に招かれての道すがらの出来事だったが、 それにしてもかなり手荒いもてなしだ。 家に招き入れられると風呂と着替えが用意されていた。
天下の茶人ともてはやされ世の雑念にまみれた利休の浄化を図ったのだ。
丿貫は真行草どの茶様式にもはまらない独自の茶でその名を知られた。
茶は所作、もてなし、床の掛け軸、花、香炉、茶器、茶室、庭等々、
全てに妥協せず最高を追求する、いわば総合芸術。
掛け軸は客に合わせ都度掛けかえ、いわれを解説する為、絵画や書、
その書意まで知識を備えるので、禅語の教えをも身につける。
丿貫は道具などにこだわらず、雑器で気ままに茶を楽しんだのだが、
すべての知識は抑えた上でのことだった。
というよりそれを超越した結果の茶だった。
真理に向き合い続けるにつれ、禅僧のように人間の本質を求め、
丿貫の場合はさらにその根源である脳、意識、
それを構成する”何か”について考え続け、
自身の意識は地球を飛び出し宇宙空間へと向かっていった。
宇宙を構成する”何か”、について考えたところで今回のホールをやらないではいられなくなったのであった。
増殖したものは一度飲み込まれ、新たに創出されるべきであると。
つまりこの穴は丿貫ブラックホールなのである。
2アトムの芳香
周りを飛交う蚊は一向に気にはならずデモクリトスはひたすら周囲を気にしていた。
もはや視力を失い盲目になった我が身において、 意識すればするほど周囲が気になりどうしようもなかった。 目の見える頃に行き着いた考え、それはあらゆるものは目には見えない原子からなるとする原子論。
それ以上分割できない原子は空虚の中にあり運動している。
物質は原子のその動きによって変化する。
意識も原子の配列によるものであり、意識と同意の魂の安寧をもとめるなら原子が安定しなくてはいけないという科学から倫理まで包括する考えなのである。
そんなことをひたすら追求しているうちに視力は必要なくなったのであろうか、デモクリトスの脳内には地上の景色はもはやなく、漆黒の空間が広がっていた。
その漆黒は意識が渦巻く原子サイズの世界。
言いかえるなら宇宙空間とも言える。
そんな見えるはずのないサイズもいともたやすく見ることができる。
核を中心にその周辺を飛び回る電子。
さらにその電子を構成している紐のように運動する素粒子。
機能しない眼球の膜なのか、瞼の裏側のスクリーンなのか、
見ようとする行為でいろいろなものがそこに展開する。
さて、生命の終焉に近づいたことを悟り自らを絶とうとしたその時、
新たな物体がそれを阻んだ。
芳しいパンの焼ける香りだった。
人間には視覚の他には聴覚もあり嗅覚もある。
その嗅覚を呼び覚ますかのように原子が結び付き合い、
香りの分子となりデモクリトスの鼻を襲った。
芳香に後ろ髪を引かれることになった。
やがて聴覚を祭り囃子が刺激してくる。
そう、まさにその日は祭りの真っ最中。
そんなときに死なれては困ると妹がパンを焼いたのである。
パンの原子が意識の原子を制したわけである。
3意識素粒子群
意識素粒子群の存在はすでに突き止められていた。
死により抜け殻を出た意識は素粒子となり放出され、
次元とは関係なく同様の素粒子と反応し合いながら交信を行ったり物資に憑依したりするという。
幽霊も夢遊病もそれだというのだ。
意識素粒子同士の交信は当然ながら言語は使わない。
物質の形も色もない。
例えば目をつぶって飼い犬に愛を伝えるとしたら、
手段としては念というか気というかそんなものを送ることになるが、
そういったことだ。
意識素粒子は朽ちることはないので何億年前の素粒子でも存在するし、
何億光年離れても交信可能だ。
それは私達の想像力が簡単に過去へも遠方へも及ぶことを意味する。
そこへ行けないのは体という物質がその移動を邪魔していただけのことなのだ。
だがその意識素粒子は現在に至るすべての人々、
さらに生き物全ての意識の分だけ存在する途方もない量のものなので、
地球上に生きた人同士が偶然に出会うことはかなりレアなことだが、
かつて似たようなことを考えていたノ貫とデモクリトスがなぜか出会った。
*以下念の翻訳
=====おまえさん、デモクリトスと言ったのう、随分と早い頃からこのちっちゃな素粒子の成り立ちをわかっていたそうじゃないか。
=====いや、さすがにその手前の原子までじゃよ。見ているものが何からできているか考え始めたら止まらなくなってな。自分の顔をなでていく風が何でできているか考え始めたあたりから想像の世界に入っていったんじゃ。
=====わしは見えとったぞ。というか感じてたといったほうがいいのかのう。わしは僧ではないが瞑想が好きでのう、座して半眼にしておると自分の体は意識からなくなっていって、余計な考え事も振り払っていくとな、寝てもいないし目覚めてもいないような独特の世界に身を置くことになっていくんだわ。耳は閉じられんが、そんときは音もなくなっておる。すると今度はその暗い闇の中に現れてくるんじゃ、無数の粉みたいなもんが動き回ってのう。この世の根本を突き詰めるとそこに行くんじゃ。
=====やり方は違うが、私が見てたものもそれじゃ。粉みたいなんだが点ではなくて、粉みたいに何かの空間にそれが存在してるんではなくて、空間も粉なんじゃ。
=====ま、こっちに来てみたらようわかったのう。そんな粉みたいなんがいくつかくっついたのが今こうしているわしらなんじゃ。あんな身動き取れん体なんか備えてないから何をするも自由。働きかけたら体持った者に気づかせる事もできるし、大体どうとでもなる。
=====体を持っておった頃は不自由じゃったな。病気や疲労、苦悩に絶望、焦燥、渇望、空腹、嫉妬、別離…
=====思い出すのう。
話は生きた時代のことやこっちに来てからのことなど続いた。
=====ひさしぶりに同じ星の人間だった意識に出会ったから長話しになってしもうた。
=====ではこれを機にちょくちょく交信しましょう。
=====ですな。では。
漆黒の空間に意思の交換が行われているが、光るわけでもなく揺れるわけでもなく、場の変化はない。
それは我々物質界でのことで、素粒子のサイズに近づいてみると、
素粒子はゆらぎながらそれぞれ反応しあっている。
電子光学顕微鏡の進歩によってその反応は見えるようになったが、
まだまだ反応の内容までは突き止められていない。
ただし祈祷のようにこちらからその意識素粒子に念を送ると明らかに反応が現れる。
素粒子側からの念はまだ解明出来てはいないのでこちらの念を系統立てて送り、その反応の違いからパターンを読み取る作業を繰り返し行なっているところなのだ。
「意粒(意識素粒子)のyes/no反応のパターンを突き止めました。かなりな精度です!」
「ついにやったか! ではまずフェーズ1として、その意粒が地球上に存在したものかどうかに絞って交信を収集しろ」
数年を待たずして研究は進展した。
地球という概念すらない素粒子が大半だったが、
流石に地球から発信しているので周辺に濃く集まっているようで、
それなりのサンプルは得ることができた。
その中で例えば地球に無念を残したまま亡くなった意識素粒子04は、
エリア的にはシベリアの森林の村の住人だったようだ。
「年代は紀元1000年頃の男性。細部は解明しきれていないが獲物を追っている際に何某かの事故で亡くなったようで、家族を残したままだったので無念の死だったようです。その後もたびたび家族の周囲に留まったようですが、気持ち悪がられて残った家族が村を捨て違う地に移り住んだあたりから、家族を追いかけないようにしたようです。そうしているうちにそれら残った家族も抜け殻を出て素粒子になり再び同じ立場でずっと交信を続けているとのことです」
「かなり交信の精度が上がってきたようだな。”指定交信“の方はどうだ? 生存時にこの素粒子の世界を研究していた偉人を探し、素粒子世界側の情報を得るよう全力を尽くせ!」
それは意外と簡単なことだった。
念の送り方を特定の形にすることでかなりの確率で地球経験者、
物理天文哲学従事者に絞ることができた。
あとはどの偉人に焦点を合わせるかだ。
=====何か用かな?
=====あなたは素粒子の研究をされてましたか?
=====いかにも物質の根元を追い求めておったぞ
=====クオークという素粒子はご存知ですか?
=====いや当時はそこまでは行きつかんかった
=====原子はいかがですか?
=====まさにわしはそれを研究し皆に伝えておった
=====ひょっとしてデモクリトス?
=====そうじゃよくわかったのう!
=====おお〜! お会いできて光栄です。いくつかお聞きしたいことがあります。素粒子になった状態では物質状態の人間との交信はかなり障害のあることなのでしょうか?
=====いや、こっちはよく見えておるがお前さんたちがそっちの3次元からこっちに来られないだけなのじゃ。だが、たまに無理なく交信が出来るんじゃが。それは家族との交信だけなのじゃ。 そもそも同じ系統の原子からできているから念のレベルが全然違うんじゃな。
=====そちらではいろんな交信をされているのですか?
=====こないだわしより2000年くらい後に体を持っておった丿貫という男と出会った。面白い男でな、原子の話をしたら茶人のくせに「よくわかる」と抜かしおってな。わしの突き止めた概念を話始めたら全て知っておって、さらにさっきお前さんが言ったクオークすら知っておった。粉のような動くものが反応しあってエネルギーが増大していくとな。あいつはなかなかのやつじゃ。
=====丿貫ですか!あの方は茶湯の世界においてかなりアバンギャルドな存在だったようですが、そんなに物事が見えてたんですね。お会いしてみたいなあ。
=======呼んでみるか?
=======ええっ、そんなことできるんですか!
=======今まで何聞いてたんじゃ、念ずればすぐじゃ。ほれ!
すぐに新たな反応が入ってきた。若干面倒くさそうな雰囲気だが。
=======今、利休に色々謝っておったところじゃが、呼んだか?
=======この人間がお前さんに会いたいというからな。
=======物好きもいたもんじゃな。おぬしは誰じゃ?
=======ああっ、丿貫さんですか? 私は意識素粒子研究所の星と申します。お会いできて光栄です。そちらでは茶はたてられるのですか?
=======わけないじゃろ! そもそも茶などはたてるもんじゃなく巡らすもんなんじゃ。道具の準備から客のもてなしまで気を巡らす。飲むんはただの流れの一つじゃ。な、デモクリトス。
=======わしは茶はよう知らんが、気を巡らすんは大事じゃな。そうじゃないと物事の細かいところまでは見えてこん! 目を閉じてな、気持ちを込めるといくらでも広がっていくわ、世界がな。
おぬしの前にある何かいろんなものが映っておる四角いもんなど使わんとも、目を閉じて念じてみいや。好きなようになるじゃろ。
=======うーむ、どういうことか…
=======おぬしの亡くなった家族の誰かを思い出して、話しかけるように何か念じてみ。
=======「おばあちゃん、おじいちゃんとはそっちで会えてますか?」
=======もちろんですよ、あなたのこといつでも感じてますよ。
=======おばあちゃん!お墓にも行かずすみません。
=======あなたがたまに思い出してくれるからそれで十分。
***
意識素粒子との交信はこの日を機に格段の進歩を見せ、地球上の人たちにその方法が浸透すると日常化し、体を持つ期間がとても貴重なことであり、
その後死んで意識素粒子になることへの恐れも薄らいでいった。
さらに地球上のプランクトンに至るまで意思素粒子との交信がかない、
のちに地球外の同様の素粒子へも繋がった。
そこでは経験値の違いを超越した宇宙の秩序を考え合う交信が行われ、
概ねうまくいっていたがときにずれが生じた時はあの人たちの出番だ。
=======あのブラックホールはわしの仕業じゃないぞ。お前さん方が恨もうとわしの知ったことじゃないわ。
=======ただあんなところに突然ポッカリ口を開けるなんて、誰かが仕掛けたとしか思えないですな。
=======それでなんでわしなんじゃ! 他にもいるじゃろ。
=======いえ、どうもそちらの方から発信された念が動かした記録があり…
=======意素研の星くんみたいなこと言うやつじゃな!
=======とにかく勝手に穴開けるのはやめてください。
=======わかったわ。つまらんのう。じゃあこれからはうるさいこと言わんヤツの方に仕掛けるかのう。
すべてのものに分け隔てない対応を取れるのが丿貫の持ち味だが、悪戯好きが時に和平交渉を邪魔した。
=====ま、この宇宙もどうにもならんことだらけじゃから、お互いに仲良くやっていこうや。
=====なんだかわかったようなわからないような感じですが、
まあいいでしょう、これからもよろしく。
時には地球同様、生命物質を備えていた地球外素粒子との交信もあるが、
そんな時にはデモクリトスだ。
=======あんたらの星はどのくらいの大きさだったんじゃ?
=======地球の百倍の容量で生命体は大体同じくらいの数だ。
=======それじゃスカスカじゃのう。
=======われわれの星は高い山々と海が大半を覆っているから、ビオトープのように生態系は全く変わらずにいられるし、森を切り開く必要もない。
=======それは健全じゃのう。必要な分だけ食べるものを得て、余計に生えた分だけ木を切って燃料にすればサイクルは保たれるわけじゃな。そしたらストレスなく長生きできるじゃろ。体を備える期間はどのくらいだったのじゃ?
=======平均70年だな。大体30年目で子を作るからその子が30年経てば親は60年。2人作ると全体数は維持されるから、二人目を2年後に作れば、孫の成長を見てから体を抜け出すことができるサイクルだ。
=======随分計画的なサイクルじゃな。
=======体を抜け出すことに未練は全くない。体を維持し続けることは、星の適正サイクルを崩すことになるからな。みな70年経ったら自ら抜け出す。
=======自殺か?
=======いや、離脱だ。有機物である体を地や海に戻すため自然へ向かい自分の意思で心臓を止める。その後は今のこの意識素粒子の状態で子を見守り、子がこっちへやってきたら再び繋がる。その仕組みを知っているから、離脱に躊躇も不安もないのだ。
=======その仕組みはいつからわかったのじゃ?
=======星ができる時から。我々は地球のように進化したのではなく、念によって一気に作られたものなのだ。だがどちらにしてもその構成物はこの素粒子だ。
=======素粒子はさらにどれだけのもので構成されてるんじゃ?
意識が動くメカニズムは素粒子の結合だけではないじゃろ?
=======もちろんだ。宇宙も限りなく広がっているが、その構成物である素粒子も入れ子構造のように中からより微小のものが出てくる。追跡するほどにきりがない。
=======もはや想像がつかんな。それで、あんたらのところではわかっておるのか、そもそものこの世の始まりを。
=======いや、未だに一気に星を作ったものも、この世を作ったものもわからないままだ。
=======まさに、神のみぞ知る、じゃな。
=======まさにそれだな。
(完)
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