「今の若者は根性がなくてすぐ辞める」の真実
この動画は私がこれまで書いてきたnoteを、テクニカルに数値化して、まとめてくれた動画かもしれない。
長年の疑問や不満をたらたら私は書き続けてきた。結局、若者はすぐ辞めるというデータは、今に始まったことではなく昔からそうだったということは知っていたのだが、なんで老人たちはそのように勘違いしているのか、また、これを防げない原因は何なのか。ということまで、私はたどり着けなかった。
日本の働き方みたいなものが本当に嫌で、なんでみんな嫌なことを我慢して働くのを前提としているんだろうな。というのが気持ち悪くて仕方なかった。
それが甘い考えとか、お金貰えるだけありがたいとか、そうなってしまうのは何なんだろうと思ってしまう。例えば、東大に入りたいからみんな受験勉強を一生懸命やる。みたいな、それはよくわかる。
ただ、仕事というのは、会社全体が同じ目標を持ってみんなが同じ方向へ向かっているわけではないし、ただカネのために時間と体力を消費する時間を40年作るのは、人生としてどうなんだろうか。
海外の人がよく一ヶ月単位で休みを取ったりしている。ただ、何回も私の記事で書いているが、日本においても1日1時間の労働時間を削れば、結果として1ヶ月と同等の時間を1年間に作り出すことが出来る。計算すれば、数字として出てくることでも、いざ実行に移すとなると難しい。
よく海外の人は自分の仕事が終わって無くても帰るみたいな事を言う。その有無が日本のホスピタリティに関係してくるのだと思う。日本では0円で買える労働力が山ほどある。「笑顔で挨拶・接客」だとか「メールにはすぐ返信する・顧客を待たせない・締切を守る」「クレームにしっかり向き合う」「送料無料」などなど。
日本では0円のものが、海外では2000円くらいで売られているとしたら、それは日本の生産性が低いというのも当然のことだろうし、労働時間も長くなる。結果として賃金だけを比較すると、海外に負けていることになるし、0円で働かされるので、当然ながらストレスも多くなる。
冒頭の動画には、主に日本の社内教育・マネジメントについて語られている。参考になることがたくさん出てくるが、海外比較というよりは、いま日本で課題となっていることって、本当にそうなのか?みたいな、実態と雰囲気を照らし合わせているような動画になる。
ひとつ気になった言葉で、勉強になったことは、「仮想的有能感」という言葉だろうか。
簡単に説明すると、他人を見下したり、欠点を指摘することで、自分のほうが優れていると勘違いすることを仮想的有能感と言うらしい。なんというか、まさにネット上で氾濫しているのが、この仮想的有能感に違いない。
よく私も政治について首相がダメだとか、この政策が間違っていると書いてしまう。だが、実際の所、私より政治家として何年もやっている人の方がよっぽど政治について詳しいだろうし、実務について何も知らない人間がマスコミの報道だけを見てグダグダ文句を言っているわけである。
それにより、政治家や先生というのは、尊敬されるべき人達であるのに、尊敬されないような職業になっている。
当然ながら、そのような人が溢れる組織になると、組織としては脆弱になる。そして人は離職することになるのだが、「不安型離職」と「不満型離職」があるとも動画内では語られている。
不安型というのは、将来の不安。つまり、こんな仕事をしていて自分は成長できるのかな?なりたい自分になれるのかな?みたいな事だと思う。
不満型というのは、給料が安いとか労働環境が悪いということだと思う。不安型離職をする人間に、不満型離職をするような人の改善アプローチをしても意味がないだろうし、そこらへんもしっかり読み解かないと会社全体の問題が解決できないのかもしれない。
仕事をやめて転職するにしても、自己分析とかそういう抽象的な言葉よりも、順を追って自分が能力を過信していないか、自分は不満型なのか不安型なのかを考えると、キャリア構築に役立つかもしれないし、新人教育でも役立つと思う。
世代間ギャップみたいなものが会社だけでなく、日本全体で語られることが多い。ただ、その真偽は不明である。確かに昔に比べたら荒っぽい若者は減ってきている。東京リベンジャーズのようなヤンキー割合を考えてみたら、昔よりは遥かにヤンキーの数は減っているはずである。
それで治安は良くなっただろうし、過ごしやすい社会になった一方で、必死に仕事に打ち込んだり、部活に打ち込んだりする人の数は減っているかもしれない。
実利的になってきているというか、仕事への向上心はあっても、昔の人ほど残業して、自費で道具を買い揃えてまで勉強するという感じでもない。プログラマーなど、自分の能力が収入に直結する人は別かもしれないが、一般の会社員では英語を勉強するくらいかもしれない。
そもそも趣味に時間とカネを費やしたいという人が増えている。そのせいで結婚する人が減っているとも言われている。
昔と今の環境が違うということは事実であるし、会社としても間違ったことを言ってない人間をどうコントロールするのか考える必要がある。サービス残業が当たり前の時代に育った人は、自分が育った環境のように部下を育てたがる傾向がある。
根拠があろうがなかろうが、それを成功例と信じている限り、同じようなパターンに嵌め込もうとする。それが多くの会社では、問題になる。
学校の部活で、先輩が言っていた意味の分からない練習メニューを「伝統だから」という理由で、やらされることに私は納得がいかなかった。だから、私の代でその伝統を終わらせた。
科学的根拠もなければ、目的にも沿ってないことを「昔からやっていた」という理由だけで、日本人は継承することが多い。だが、そういうことは人の流動性が高まることで、消える傾向がある。
水戸黄門の印籠みたいなものが好き過ぎる日本人は、特に理由や根拠を考えること無く、周りがやってるから同じようにやろうと思ってしまう。印籠を見せられたら、印籠がなにか分からなくても「ははー」と言ってしまう。
それ自体は変わらないが、水戸黄門が印籠を変えたら、リアクションが一気に変わるという特徴も日本人は持っている。つまり、誰かゲームチェンジャーのような人が現れない限り、ずっと同じことをやる。そのゲームチェンジャーが全責任を負うことになるし、それでもやるかどうか議論がグダグダと長引く。
若者がなぜ会社をすぐ辞めるのかと考えてみれば、答えは一目瞭然で、他に選択肢があるからだと思う。他に選択肢がない食い扶持がない人間が辞めることはしない。
引きこもりやニートのような人が増えているとも言われているが、個人的にこれにも懐疑的で、昔にもそのような人はいたが、世間体のこともあり形式上どこか親戚の会社で働いていることにしておいて、実際は働いていないような人もいたんじゃないだろうか。
構造的な環境要因は違っても、結局人間がやる行動は世代に関係なく同じというか、ストレスに弱い人は人を避けて引きこもろうとするし、カネが好きな人は他人を蹴落としたり、引きずり下ろしても、金を儲けたいと思うものである。
もちろん世の中に簡単に大金を稼げる仕事はない。ストレス無く大金を稼げる仕事があるにしても、そのお金の代わりに何か大切なものを失わざるを得ない仕事であったり、極僅かな期間しか働けなかったりする。
でも、若者がそういう仕事を求めているかというと、そうでもない気がする。ありがちな言葉になるが、自分のやりたいことを実現するために、うろうろしているのだと思う。
自分はずっと会社員になりたくないと思いながら生きてきた。だが、結果的に大学に行き、何も面白いことにチャレンジせずに終わった。このまま人生が終わったら、生きている意味がないなと思う。
結局、探し続けても決めない限り何にも満足できずに終わる。不満があっても、続けてたら楽しくなるという理屈もわかる。だが、そういう次元じゃない仕事というのも現実にある。
転職が多い人でも生涯10社くらいしか転職できないんじゃないだろうか。何万とある仕事場や会社で10社では、何のサンプルにもならない。かといって数万社を転職したり、調べ尽くすわけにも行かない。
運命というか、縁という言葉を信じるしか無くなるし、宗教的な自分が楽しくなるように頑張るとか、周りに合わせることになる。
前述した例で言えば、私は不安型の退職理由になるかもしれない。ただ、とてつもない大きな不安だと思う。自分の将来が理想通りにならないとか、楽しくない人生が続くんじゃないかという思いがある限り転職を繰り返し、さらに面白くない人生へ向かっていく。
外に理想を求める限り、この問題は解決しない。楽しいか楽しくないかは、自分でしかコントロールできない。自分の人生に満足するかどうかも、自分で決めるしか無い。