日本における緊急事態とは何か
緊急事態とは【健康や生命および財産あるいは環境に危険が差し迫っている緊急の状態のこと。】らしい。
日本は現在、それが政府から宣言されている状態ということになる。
当然ながらウイルスは健康や生命に危険が迫っているわけだろうし、人間の健康が脅かされれば、経済的に逼迫するのも目に見えている。
私はコロナウイルスで死ぬ可能性が低い年代ではあるが、N501Yという変異株の重症化は20代の基礎疾患が無い人でも例が出ている。
もちろん珍しい病気の一例を見つけて、それが自分の人生にも起こり得るんじゃないか。と考えることは、現実味がない。同じ年代でもガンで死ぬ人もいれば、生き残る人もいる。
ただ、自分の人生で万が一が起こって、それが死に至れば、それは確率や可能性など関係がない。それで人生が終わってしまう。
もともと日本人の死者数が欧米に比べてなぜここまで低いのか謎ではあった。それがコロナはただの風邪という表現をする人が増えた理由の気がする。
仮に風邪であっても、欧米やインド、ブラジルなど莫大な死者が出ているし、風邪でも感染症でも呼び方はともかく、対策無しに生活できるほどのウイルスでは無いと思われる。
実感がないということはある意味幸せなことかもしれないし、自分の身近に重傷者がいるような感覚にならないことは、日本がそこまで逼迫した状態ではないと勘違いする要因の一つかもしれない。
このような問題を考えるときに、自分の価値観で考えるのか、世間全般を考慮した価値観で考えるのか、個人差が出ると思う。
もうあまりコロナウイルスについては飽きてしまって、noteでも取り上げる人が少ない印象がある。医療知識の具体的な記事を書くと、意図せずに誤った知識を拡散してしまうこともあり、テーマとしても見る人が減っているだろう。
個人的に気にしているのは、やはり医療従事者の人達である。私の友人はコロナ病棟にはいないが、医療従事者として働いているので、全く無関係というわけでもないだろう。
人手が足りなければ、応援に行ってくれと言われるかもしれないし、応援に行ったら、その後数週間や数ヶ月は家に帰れないかもしれない。
人手が足りなければ、助かる人が助からなくなるという状況が増える。別の病気の人の手術が遅れたり、そういうことも起こり始めている。
おそらくゴールデンウィークで多くの人が旅行している。緊急事態宣言が出されていても、そんなのにもう付き合ってられないという気持ちも理解できる。
ただ、医療従事者の人の苦痛に比べれば、私達のそんな感情などかなりレベルの低いものだと思う。
コロナ前から寝ずに働くのが普通の医療従事者の方々にとっては、コロナ体制になってから、1年以上緊急事態が続いているような感覚になっているかもしれない。
気軽に友達と遊びに行くのも気がひけるだろうし、そもそもそんな暇があるのかもわからない。
このnoteで主張することが多いが、本当に一生懸命頑張っている人に感謝出来ない国というのは、価値がないと思う。
私が感染してもおそらく私は死なないし、風邪と似たような症状や無症状で済むかもしれない。
それでも、他人には感染する可能性があるし、私が感染したら、それは誰かからうつされた事で間違いない。
日本人の最悪なところは、極度の面倒くさがりで意思決定と行動が遅すぎるという事と、新しい知識やテクノロジーを取り入れて改善しようとしないことである。
ウイルスというのは変異をする。
それはこれまでと違った対策が必要になる可能性がある。ということである。
当然ながら、感染者が増えれば、変異する可能性が増えるだろうし、変異してウイルスが弱くなるという可能性は低いと考えると、より強い殺傷能力の高いウイルスになり得るということだと思う。
医療従事者でなくても、コロナウイルスの研究に全力を尽くしている人達もいる。私はそういう人達の頑張りをデマだとか、自分には関係のないことのように扱いたくはない。
私は死んでもいいが、私の大切な人が死んだり、志村けんさんのように好きな芸人が死ぬのも見たくない。
もし、コロナがなかったら、竹内結子さんや三浦春馬さんも、もしかしたら死ななかったんじゃないかと思ってしまう。
結局のところ、自分がコロナに感染するとかしないとか、そんな簡単な話ではない。
これまでが大丈夫だったから、これからが大丈夫という保証はない。状況は変わっているし、時代も変わっている。
医療従事者が働きすぎでどんどん倒れるかもしれない。彼らにも、家族がいるし、「忙しいから辞めます。」と言う権利もある。
なんの悪さもしていない、むしろ助けようとしてくれるような人達に恩を仇で返すような人間を増やすのは良くないと思う。
感染を長期戦に持ち込むのは負けになる。ということは、政府も初めから理解してただろうし、一番厳しい措置を出した1回目の緊急事態宣言後に策を打てなかったのは完全に失敗だったと思う。
N501Yという新型は、感染力も重症化リスクも従来より上がっている。散々言われてきた三密だが、バーベキューなどの屋外でも感染例が確認されているらしい。
人と会うという事にこれまで以上に慎重になったほうが良さそうだ。
私自身も都合の良い情報ばかり集めて、なんとなく安心していた節もある。
なるべく海外の記事を読んだり、国内の批判的な記事や具体的な対策の書かれた記事を読んで、表も裏も知るようにはしてきているつもりでも、最終的に現実を見ると、病院で医療逼迫して、死者が増えているのなら、楽観はすべきではないというのが私個人の結論になった。
コロナに限らず、苦しんでいる人を増やさないようにしよう。というのは、基本的な人間の心理にあって良いことだと思う。それに私は賛同したい。
旅行や飲食業の人達には苦しい時期であるには変わらない。だから、長引かせるのは負けになるのは目に見えていた。中途半端な対策を続けて、結果的に3回目の緊急事態も旅行に行く楽観ムードで失敗に終わりそうではある。
空港に務めている友人いわく、羽田は国内客がめっちゃいるらしい。去年のパチンコに並んでいる客に自粛警察のオッサンがブチギレていた光景が懐かしい。今こそ出番だと思うが、もういなくなってしまった。
政府の信頼の低さは、緊急事態の時に暴走を起こすというのは、ある意味1個教訓として得られたかもしれない。反抗期の子供のように、もうこれだけ我慢したからいいだろう。と大人になっても考えてしまう。
政府の命令や法律が無いと、要請だけではどうしたらいいかわからない。という人も多かった。人から言われないと、何を優先すべきかわからないのは、東日本大震災で地震があった後に、これからどこへ逃げるか会議を始めようとして津波に呑まれた行政の職員の人らの話を思い出す。
究極的には、緊急事態というのは誰も助けてくれないし、自分で生き残る術を考えなければいけない。ゆっくり考える時間もないし、先延ばしにすることは死者を増やす可能性もある。
パニックに乗じて泥棒や詐欺をする人間もいるかもしれないし、周りの人がいくら死んでも、自分だけ生き残ることを考える人間も増えると思う。
過去から今の現状が大丈夫だから、未来も大丈夫というのは、何の根拠もない。その理論が当て嵌まるなら、コロナは地球上に存在し得ないし、志村さんも死ななかったことになる。
別にコロナの陰謀論のようなものを広める人に付き合う必要はないが、現実問題として病院が医療逼迫して苦しんでいる人が増えているなら、それを改善するようにすべきだし、協力できることがあるならするべきだと思う。
何を信じるとか、信じないとか、そういうことではない。目の前だろうが、遠く離れた場所だろうが、苦しんでいる人がいて、その人達を助けたいと思うかどうかの話である。
尾見会長も、自分自身が高齢者で、あちこちテレビの取材に答えないといけないとなると、立場上、絶対にコロナには感染できないだろう。
自分がもしその立場になったとしたら、気が狂いそうではある。
医療従事者が最前線で患者に厳重装備で死物狂いで対応しているのに、自分が能天気に近所の買い物くらいで感染している場合じゃないとも思ってしまう。
物理的な距離とは別に、心理的な分断が始まってきたような印象もある。
世界中の人がコロナを克服したお祝いパーティーのような存在に東京オリンピックがなればいいなと思っていたが、どうもそんな夢物語は言ってられない。非常に残念で仕方がない。