第5波で医療崩壊した日本
最近、あまりコロナについて書いてなかったので、クローズアップ現代「新型コロナ”第5波”病院を襲う負のスパイラルとは」を見た感想を書いていきたいと思う。
まず始めに、日本の感染者が全国で2万人を超えるようになり、医療崩壊が始まった。重傷者の数も増加している。
デルタ株はこれまでのコロナウイルスとは全く別のウイルスだと認識したほうが良い。との事を医療従事者の方々は口を揃えて発言しているのが目立つ。それなのに私達の対応は、今まで通りで本当に大丈夫なのだろうか。むしろ気が緩んで、以前より人が出歩き、テレワークも無くなっている。
感染者数が少ない早めに厳しい処置をするのが、先行逃げ切りで正しい感染症対策だと私は1年以上前からずっと考えていて、このnoteでも書いてきているが、ダラダラと続けて結果的にはこのような結果を招いてしまった。
基礎疾患のない30代の死亡者というのも何人か報道されるようになった。多くはワクチンが未接種の人達との事で、未だに国民全体の半分にも到達していない接種率は感染拡大の懸念になっている。
ワクチンを打ちたくないという人は家でじっとしていればそれでいいと思うが、やはり外に出歩く人はワクチンを打って可能性を減らすということが重要かもしれない。
感染するとか副作用が出るとか、そういうことではなく、感染拡大の可能性を限りなく減らすということが重要であって、可能性を減らすことに意識が低い人が多い気がする。
外出するよりは、ECで買い物したほうが感染の可能性が低いし、ワクチンを打たないよりは打ったほうが可能性が低い。水洗いの手洗いよりは、石鹸とアルコールで消毒したほうが可能性がより低くなる。スマホや買い物した商品まで手洗いすればさらに低くなるだろう。
なんだか、近所の親戚の家であれば安心して遊びに行っても良いような雰囲気もある。感染者の多くは家庭内感染や職場感染である。それを認識できておらず、マスクをしても防ぎきれないような距離で接したら、それはもう確実に感染する。家族なら大丈夫とか、親戚なら大丈夫と思っている人が多すぎる。家族や子供を危険に晒してまで賭けで仕事に出かけるべきなのだろうか。
なぜ一番大切な人達を危険に晒す行為をするのだろうか。外に出て不特定多数の人とすれ違ったり共有のモノを触れる可能性がある場所に出たなら、それはもう感染する可能性がある。
あまりにも大袈裟だろうが、そんなんで感染しないと思っている人が一定の割合で感染しているし、確認されている感染者が増えているということは、確認されていない感染者が周りにいる可能性が高まっているということである。それは自分が感染する確率が従来より遥かに高まっている事を意味する。
政府が定める濃厚接触者の定義もかなり甘い。オフィスで隣同士に座っている人が感染しても、マスクを外して同時に食事をしていなければ、それは濃厚接触者ではない。これを聞いてみなさんはどう思うだろうか。
私は絶対に濃厚接触者だと思うが、濃厚接触者との診断が出なければ、おそらくPCR検査をやるかやらないかは自由だろう。無症状の可能性も含めて、自分から休むような人であれば安心だが、多くの人はそうではない。
なぜ政府がオリンピックを開催するまでに、希望者の国民全員にワクチン接種を完了させなかったのか疑問であるし、インドでデルタ株が大流行して、日本の渡航者でも感染者が確認され市中感染が広がる可能性があるとき、「経済との両立が重要」という理由で国境を封鎖しなかった事は政府の罪はかなり重いと思う。
国境を封鎖したり、何か法律を変えたりというのは、国民一人が頑張って出来るものではない。それをやってくれなかったら、政府は何のための政府なのか謎であるし、現にオリンピックの開催期間中で爆発的に感染者が増えてしまった。
結果的に日本は医療崩壊した。
そして、政府の信用がなくなった今、政府の責任にして思考停止するのではなく、国民一人ひとりが出来ることを自律してやるべきだと思う。
一般病棟を縮小、あるいは閉鎖して、コロナ病床を拡充させる病院が増えてきた。これが意味するのは、脳梗塞や交通事故などで救急搬送されても、人手が足りないし、救急車などの到着が遅れる、また受け入れ先の病院が全然決まらないということだと思う。
クローズアップ現代では、聖マリアンナ医科大が出ていたが、コロナ用の病床を拡充させるとすぐに満床になり、OBなどのスタッフを呼んで臨時の編成チームで医療処置にあたっていた。一人が山を超えて処置を終えた30分後には新しい患者が急患で入ってくるという想像絶する状況になっていた。受け入れ拒否も出て、助からない命は現実に溢れている。
また、コロナで快方に向かったとはいえ、後遺症に苦しむ人達も増えているようだった。主に若年層に多く、パンの焦げた匂いなどが感じられなくなったり、倦怠感や頭痛などが半年近く続くなど症状は様々なようだった。
休職する人もいれば、記憶力が低下してミスが続くようになり自責の念で退職した人もいた。顔は編集で隠されていたが、コロナに感染したことを後悔しているような雰囲気は伝わった。コロナで社会が一変するどころか、自分の人生が一変してしまった。
妊婦の感染者もいるようで、母子の安全を考えて帝王切開で出産するなど、医療現場はコロナだけでなく、コロナの影響があらゆる医療現場に波及していることは目に見えて感じられた。
重症者が少なければ大丈夫。というような楽観論を言う人が多かったが、中等症でも酸素吸入が必要である場合が多く、病院にかかる必要がないというわけではない。何より、軽症から数日で一気に重症者になるケースが激増している。
重症者というのはもう死の瀬戸際ということだろうし、自宅療養と保健所から連絡を受けた3日後に容態が急変した20代の男性は、意識不明で運ばれたときには血中酸素濃度が60%代にまで一気に悪化していた。
高熱だなぁ~と自宅療養になって様子見をし始めた3日後には、助けを呼べなければ死んでいるわけである。明らかにこれまでのコロナとは全く違うウイルスであるし、欧米の人がよく亡くなっていたけど、日本人は死亡率が低いというデータも覆された可能性がある。
それでもここまで死者数が低いのは、どう考えても医療現場の人たちが死物狂いで働いているからだと思う。
日本以外の国であれば、重症者がほぼ死んでいてもおかしくない。救急車もすぐに来ないだろうし、医療従事者だって彼らの生活があるから、仕事のために自分が死んでまで見ず知らずの他人を助ける義理もない。
これから医療崩壊が進めば、間違いなく自宅療養者が死ぬケースが増えるだろうし、医療が滞れば感染者が増えて対応できなくなる。
そもそも医療従事者は2年近くずっと休みという休み無く働いているわけである。オリンピックなど見る暇もなく。
コロナで亡くなった人の数字は公表されるかもしれないが、コロナによって医療処置が満足に行き届かなかった事で亡くなる急病人やがん患者やけが人などは公表されることはないだろう。
呑気に聖火ランナーで医療現場の人達を讃えようという雰囲気を出していたが、そんなもの見る暇もなく医療従事者の戦いは続いているし、そもそも状況は悪化している。
豪雨災害で日本各地が洪水で大変になっているが、そのような人達の対応もコロナが無ければもっと満足に出来ていたかもしれない。
まず一般市民の私達がすべきことは、医療現場のお世話にならないようにまずコロナに感染しないことであるし、コロナ以外でも病院のお世話にならないようにすることである。
テレ朝の制作スタッフがオリンピックの打ち上げで階段から落ちて骨折して救急車で運ばれるなど、それによってどこかのコロナの急患が一人死んだかもしれない。
そもそも何でそこまでして集まって酒を飲みたいのか、私のような人間からしたら全く理解不能である。
ワクチン接種して、PCR検査していれば大丈夫などと言うが、医療現場の人からしたら勘弁してくれよ。と思っているだろう。本当に経済を回したいなら、居酒屋に直接クラウドファンディングするか、寄付するかもっと考え方はあるはずである。
もちろんウイルスなので目に見えないから簡単なことではない。公共交通機関を使わずに、外食など一切していない人でも感染ケースがたくさんある。政府が言う対策はあくまでも基本中の基本であって、自分たちの生活スタイルを見て、より厳しい処置を自分たちで課して感染予防すべきだろう。
基本的に仕事に毎日出掛けたら、いつでもどこでも感染する可能性はあると思う。
PCR検査数が少なすぎる日本の現状を見れば、何十階建てのオフィスに感染者は絶対にいるだろうし、PCR検査は発熱したら受診する人が多いので、無症状陽性者はほぼ発見できないだろう。
私達が認識することは、医療崩壊が始まった今、これから感染して重症化しても満足な医療が受けられる可能性は低いということである。
医療現場では命の選別が始まっている。1人に7~8人の医療従事者が付きっ切りで処置を施すのであれば、まだ助かる可能性が大きい人に人員を割かなければいけない。
考えてみればコロナはいろいろな当たり前を壊してきた。行動の自由であったり、医療やサービスなどの充実が当たり前ではないと実感させられた。
それらは必ず支える人がいるから成り立っているわけで、金を支払えば満足な医療をすぐに受けられるわけではない。やりがいや責任感という言葉で縛り付けてきたシステムが崩壊してきている。
医療従事者はコロナ前から人手不足で、24時間勤務が当たり前である。忙しいお医者さんなら自分の命を削って48時間働く人もいる。
まるでロールプレイングゲームのように、当たり前に街があるような感覚をもっている人が日本人には多い気がする。
自分の周りの人ひとりひとりに人生があるし、家族がいて親がいるわけである。
そんな当たり前のことを日本人は見失っているのかもしれない。
満員電車で命を捨ててまで仕事をするべきなのかと思う反面、身勝手に仕事を取り上げられた飲食店を経営する人達は、不条理な世の中をどのように考えているんだろうか。経済のために働く人がいる一方で、仕事を取り上げられる人もいる。国民が向いている方向は、バラバラである。
今日まで累計で、日本の人口のおよそ1%が1回はコロナに感染したようである。今後も急拡大するだろう。ここまで広がると、そう簡単に収まらない。後遺症に苦しむ人もいれば、2回感染した人もいる。
今週の人口10万人あたりの割合では、沖縄がダントツで感染者が多く、病院内クラスターも報告された。高齢者が多く、離島である事を考えると、医療体制の拡充は困難で、そう簡単に復活できないだろう。確実に助けられた人が、タイミングが悪く助けられなくなる。
家で歌おうとか、コロナに負けないとか、補助金を出せとか、そんなことを言えていた時代がはるか昔のようである。
そんな報道をしないのは、本当に日本に余裕がなくなってきているのか、もう諦めたのか、責任を放棄したのか。
死生観はひとそれぞれなので、疫病で死んだらそれまで、と思う人もいるかもしれない。それはそれでいいし、遅から早かれ死ぬのが人間だし、生きていたからといってその後の人生が幸せとも限らない。
ただ、医療現場の人を見ると、他人の命を救うために自分たちの生活を犠牲にして働き、身勝手な行動で感染した人達の処置が徒労で終わり、たくさんの死を目の当たりにするのは、コロナに感染するより強い後遺症が残るんじゃないかと勝手に思っている。