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市民革命、民主化運動、憲法、三権分立

世界史を勉強していると、市民革命として、権利の章典、アメリカ独立宣言、フランス革命、思想的背景として、自然権、抵抗権、社会契約論、三権分立、また、第一次大戦後の民主化運動の成果として各国で憲法が制定されたなどという話が出てくる。
受験生時代は、これらの内容は押さえていたし、論述問題でも合格点を取ることはできていた。
しかし、フランス革命については、絶対王制を市民が打ち破ったくらいの理解しかなく、そのあとゴタゴタが続いたのはどうしてなのか(どこで対立していたのか)、民主主義となったのに三権分立が必要なのはどうしてなのか(市民の代表である議会に任せておけばいいじゃないか)、憲法を制定することがどうして民主化につながるのかといった点については、実は腑に落ちていなかった。

これが腑に落ちるようになったのは、大学で憲法学を学んでからだ。
市民革命は、絶対王政下で、国王の横暴により市民の権利が脅かされたことを契機に、市民の権利を守ることを目的として、その手段として、俺たちの代表に力を与えることを求めたという動きである。そして、その成果としては、国王でも侵すことのできない市民の権利を認めさせたもの(権利の章典や憲法の制定)から、王制を廃して共和制に移行するものまで様々である。
イギリスの例からも分かるように、市民の権利を守るという目的が達成できるならば、共和制でも王制でも実はどちらでもよい。フランス革命のゴタゴタもこのあたりの考え方の対立から来ている。

逆に、トップを国王から市民の代表にすげ替えて、共和政に移行すれば、政府も議会も市民の代表だから、市民の権利は守られ、憲法も要らなくなるのかというとそうではない。
憲法は、もともとは、国王の権力から市民の権利を守るために、市民(の代表)が勝ち取ったものであるが、市民の代表による統治が行われる世の中にあっては、その市民の代表の権力から市民の権利を守るためのシステムとして機能している。このことは、市民の代表である議会や政府の行為や法律であっても、憲法に反するものは無効とされるということなので、分かりやすいだろう。

三権分立論は、国家の作用を立法、行政、司法の3つに分けて、それぞれ別の機関に担わせるというものだ。
ここで、立法とは「法規の定立」作用であり、「法規」とは、伝統的には、市民の権利を制限し、義務を課す一般的抽象的な法規範(要するにみんなに平等に適用されるルール)とされてきた。そして、立法作用を議会に担わせるということは、市民の権利を制限し義務を課す(一般的抽象的な法規範を制定する)ことができるのは市民の代表である議会だけだという意味であることは、容易に理解できるだろう。しかし、それだけではなく、議会は一般的抽象的な法規範を定めることしかできない(議会で制定する法規範は一般的抽象的なものでなければならない)という逆の意味も含んでいる。市民の代表である議会なら万能なようにも思えるが、「個別具体的な者やこと」を対象とする行為、たとえば、法律に基づいてビル・ゲイツに税金を課すことも、ビル・ゲイツだけに税金を課す法律を制定することもできないのである(個別具体的な行為は、行政が、法律の執行という形で、担うことになる。)。
このような仕組みが考えられたのは、市民の代表たる議会ですら時に横暴になってしまうからだ。議会の横暴から市民の権利をためには、先に述べた憲法という仕組みのほか、議会ができること自体を限定してしまう必要があるということだ。

このようなことを考えていると、小学生のころのことを思い出す。
たとえば、誰もやりたくない鬼ごっこの鬼を決める場合、幼いころは、ボスのような存在が独断で決めていた。学年が進んで、ボスの権力が相対的に弱まり、独断では決めにくくなってくると、多数決の出番だ。誰かが、〇〇君がいいと思うと言い出し、多数決が取られて鬼が決まる。こんなときに鬼にされるのは、大概、自分だったが、横暴に感じたものだ。さらに学年が進むと、ジャンケンで鬼を決めるようになる。ここでは、ジャンケンで鬼を決めるというルールが多数決で決められ、そのルールの適用により、鬼が決められており、たとえ鬼にされたとしても、以前感じたような横暴さは感じなくなった。
この流れは、歴史の流れとそっくりだ。絶対王政のようにボスがすべてを決めていた時代、ボスから多数決に権力者が入れ替わっただけで多数決が万能であった時代を経て、多数決は、ルールを定立することに使われるようになったのである。

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