「恐れ」とは? - 乗り越え方
今回、ヒーリングスクールでの発表に伴い、何か形に残しておきたいと思い、このnoteを制作することにしました。
なぜ「恐れ」をテーマにしようと思ったか
幼い頃から「不安感」が強く、不安を感じているのがデフォルトだったので、この「不安」の正体がなんなのか、どのように乗り越える道があるのか。知りたいと思い、関連の高そうな「恐れ」をテーマに選びました。
また、別の記事にも書いていますが、以前Netflixで観た「13 Reasons Why/13の理由」というドラマの中で描かれている、自殺してしまった女の子を取り巻く環境の中に、たくさんの社会問題が描かれており、そうした社会問題の根底に、この「恐れ」が潜んでいると感じていました。
この「恐れ」について知ることで、自分自身について、そして社会で起きている問題について、多角的に理解を深め、恐れを超えていきたいと思いました。
それでは早速、本題に移りたいと思います。
「恐れ」とは?
「情動」 … 感情と情動
「情動」ってなに?
情動とは、これ以上 細分化することのできない、最小単位の感情のことです。逆に言えば、赤ちゃんが産まれて、1番最初に「感情」として感じるのが、この情動です。
赤ちゃんは、生き延びていくことが必要です。そのために必要な感覚から生み出されます。つまり、本能的(命に関わる)な感情が、1番最初に生み出されます。これが情動です。
情動があることによって、生命を維持するための行動を取ることができます。
例えば…
・ヘビが近寄ってきたら(不快)、逃げる。
・いいにおいがしたら(快)、近寄っていく。
このように、情動には「快・不快」どちらも存在しています。
これに対し、「感情」は
情動を含む、あらゆる感情を指します。
つまり、情動から派生しうる、より複雑な感情(同情、罪悪感、憧れ、期待など)は、感情に分類されます。
脳で言うと、
奥の方(中心部)は、本能的なものを処理する
表面部(大脳新皮質)は、後から獲得した、より複雑なものを処理できる
という働きがありますが、感情にも同じことが言えます。
情動 は、大脳辺縁系(脳の奥の方)
より複雑な感情 は、大脳皮質(表面の方)
が処理しています。
ちなみに、大脳皮質は、哺乳類にしかありません。
「恐れ」 の定義
恐れ も、情動のひとつだと言われています。
人間が、生き延びるために獲得した感情ということです。
「恐れ」とは、危険から身を守るための感情です。
つまり、逆に言えば、危険を感じた時に感じる感情ということになります。
なので、「恐れ」を感じているときは、
何か「危険」という特定のものがあります。
これに対し、「不安」とは
特定の危険というより、漠然とした「恐れ」のことを指します。
「恐れ」を感じるメカニズム (恐れの認知)
では、「恐れ」とは、どのようにして生み出されるのでしょうか。
感情の生まれるメカニズムについて、代表的な2つの説があります。
簡単にいうと、「ニワトリが先か?卵が先か?」みたいなお話で、
「肉体の反応が先か?感情が先か?」ということを唱える、相反する説です。
それぞれ見ていきましょう。
① キャノン・バード説
キャノン・バード説では、
何か怖いもの(恐怖刺激)を認識したとき、その情報がまず脳に送られ、そこから「情動」と「生理的反応(体の反応)」が別々に生み出されることを提唱しています。
② ジェームズ・ランゲ説
一方、ジェームズ・ランゲ説では、
何か怖いもの(恐怖刺激)を認識すると、まず生理的反応が引き起こされ、その生理的反応を認知することで情動が生まれることを提唱しています。
相反する2説の共通点
こうして見ると、この2説は、真向から相反して矛盾しているように見えます。
ですが私は、このどちらもが起きているのではないかと考えました。
それは、この2説には共通する点があるからです。
つまり、
まず「何を恐怖対象をして認識しているのか?」によって、
反応がトリガーされるかどうかが決まります。
そして、
「何を恐怖対象をして認識しているのか?」という認知の基準は、
この3つが判断基準になると考えました。
ということは、
何にトリガーされるのか?は、
何を恐怖刺激として認識するのか?が人によって異なるため、
「恐れ」と一言に言っても、
何がトリガーとなって、どのような反応が出るかは、人による。
というのがここまでの結論です。
恐れが認識されるメカニズムについて
もうひとつ「情動の二要因論」を紹介したいと思います。
「情動の二要因論」とは
生理的反応と、環境の認知の両方があって、初めて情動として認知される、という理論です。
例えば、あなたは今、満員のライブ会場にいるとしましょう。
暗がりですが、自分の背後から「シューーー」と、蛇がなく音がします。
振り返ると、大蛇が床を這っていました。
体は硬直し、心臓はバクバクしていました。
ですが、みんな見ても何ともないような顔で、ライブが始まるのを楽しみに雑談しています。あなたも、「まあ周りもなんともないし、大丈夫か。」と思いました。
そこに、蛇の存在に気がついた人が一人。大衆に向かって言いました。
「みなさん、ここに大蛇がいます。危ないですので、離れてください。どなたか、係の人に連絡して、警察を呼んでもらえませんか。」
そこで初めて、周りの人たちは大蛇を危険なものとして認識しました。
このように、
体の反応(ファクターその1)が
生み出された要因や刺激(ファクターその2)という
2要因揃って、初めて情動としてラベリングされる。
これが情動の二要因論です。
しかし、これには問題があります。
なぜなら、この例の中でもわかるように、
「危険」を危険として認識していなければ、
それを回避する行動が取れません。
また反対に、
「危険」ではないものに対して
「危険だ」と誤認してしまうことで、
体の反応と結びついて、危険ではないのに恐怖を感じる
という誤作動を起こしかねないリスクをはらんでいます。
まとめると、
危険を正しく認識することができなければ
認知・脳・体の連動で誤作動が起き続けるということです。
冒頭に少し触れましたが、
私は幼い頃から不安感が強くあります。
これは、「危険ではないものを危険だと捉えている」ことや、
「恐れ」と結びついてしまった体の反応によって
結果的に間違って「不安」としてラベリングされてしまっている
いい例だと思いました。
恐怖刺激の種類
では、恐怖刺激になり得るものには、どのようなものがあるのでしょうか。
大きく分けると、2種類あります。
学習を必要としない刺激
これは、人間がみんな本能的に持っている恐怖刺激です。
大きな音にびっくりしたり、痛みを感じたとき、または、初めて目にするものなど新しいものに対して、「恐れ」が出る、といった感じです。
「進化の過程でその種にとり生得的な脅威となった刺激」というのは、
進化の過程で、命を守るために役に立つ行動をするために、恐怖を感じるようになった刺激のことです。
例えば、人間は霊長類なので、元々はサルでした。木から落ちることは、命の危険に関わります。ですので人間は、「高所」に対し、恐怖を感じます。
このような本能的な恐怖刺激と対照的なものが、学習を必要とする刺激です。
学習を必要とする刺激
ベルを鳴らすと、電気ショック(恐怖刺激)が与えられる。
これを繰り返されたら、ベルを鳴らすのが怖くなりませんか?
このように、「ベルを鳴らすこと」自体は、怖いことではないのに、その後に恐怖が待っていることを条件付けすることで、ベルを鳴らすこと自体が怖くなります。
このように、恐怖を予測させる刺激のことを「恐怖条件付け刺激」と呼びます。
ここまででようやく
私たちがどのように認知を歪めてしまっているか(=トリガーの認識)がわかりました。
次に、恐怖刺激を認識したとき、どのように肉体反応が起きるのか、について、体と脳の関係性を紐解いていきたいと思います。
体の反応(生理的反応)
危険時の行動
恐怖を感じた時、生物が咄嗟にとる行動は、基本的に4パターンあります。
このいずれも、生存率を高めるための行動です。
冒頭でも述べましたが、「恐れ」自体、危険から身を守る行動を促すための情動なので、当たり前といえば当たり前なのですが、
危険を認識→恐れ→行動
だけでは、まだ何か足りない気がします。
「恐れ」によって、どのように「行動」が引き起こされるのでしょうか。
行動を促す体の反応
行動を引き出すために、体の中ではさまざまな反応が引き起こされます。
大きく分けると3種類。
神経伝達
さらに、上記の「体の反応」は、脳の神経伝達によって、引き起こされます。
扁桃体
「恐れ」を認知したときに働く、代表的な脳の部位である「扁桃体」に焦点を当てて見ていきたいと思います。
まず、恐怖として認識された刺激が、扁桃体に情報伝達されます。
そこから、その恐怖に対処するために必要な行動を取れるよう、体の準備をします。
「心臓はドキドキしてください!」「目は見開いてください!」
というような、司令を出す役割が扁桃体です。
もう少し難しく言うと、情報として処理された恐怖刺激を扁桃体が受け取り、必要な神経伝達を行う、また、視床下部などの必要箇所に信号を送り、内分泌の促進または制御を促すのが扁桃体、ということになります。
ちなみに、視床下部は、自立機能を司ります。
呼吸、循環、水分代謝、性機能などの調節をしてくれます。
恐怖条件付け刺激が入力された時に、中でも重要となるのが「扁桃体中心核」と「外側扁桃体」です。
「扁桃体中心核」から、各所に信号が送られ、体が恐怖に対応できるように備えます。
また、「扁桃体中心核」と「外側扁桃体」をつなぐシナプスは、同じ体験が多いと、そのシナプスのつながりが強くなり、使われない回路は、段々とシナプスのつながりが失われていきます。これを、シナプスの可塑性と言います。
例えば、赤ちゃんは初め、すべての音を「音」として認識していますが、そのうちお母さんの声を優先的に聞くことができるよう、脳が発達していきます。そこから、「お母さんの声」「日本語」といった、自分にとって必要な音を、他の音よりも優先して受け取れるよう、脳の回路が特定の方向に強く、他のものは切断されていきます。
恐怖を条件付ける際にも、恐怖を予測させる刺激と「恐怖」の結びつけを強くする時に、この可塑性が働いていると言うわけです。
みなさん、そろそろお忘れかもしれませんが、私の意図は、「恐れについての理解を深め、超えていくこと」にあります。
恐れがどのように生成され、認識されているのか。そのメカニズムを知ることで、逆手に取って「恐れ」を超えていくことが出来るのでは、と思いました。
条件付けと消去の学習
条件付けには、扁桃体以外にも大切になってくる脳の機関があります。
それが「海馬」です。
海馬は、環境や空間情報を記憶する役割があります。
PTSDの人が、トラウマが出来たその瞬間に、無意識に見ていたものや、物の配置によって、その後の生活の中で同じ条件に遭遇した際、トリガーされてフラッシュバックが起こるのは、そのためです。
では、条件付けされた恐怖というものは、一生のこり続けるのでしょうか。
実は、「消去の学習」というものがあります。
今まで条件付けされていたものが、そうではなかったと認識し直す(認知を変える)ことです。シナプスの可塑的変化を、新しい形で起こすという言い方もできるかもしれません。
この「消去の学習」に必要なのが、前頭葉と下辺縁皮質です。
感情が動いたとき、理性を持って感情をコントロールしたり、また、入ってくる視覚情報などを捉えて処理するのが前頭葉の役割です。
つまり、今まで脳が条件付けのみによって連動していたところに、意識的にそうではない現実を取り込ませることで、無意識的な条件付けの反応を解除していくことが可能になります。
別ルートの神経伝達
扁桃体と、その連携機関となる脳の部位について前述しましたが、他ルートでの情報伝達も存在します。
恐怖刺激 → 基底扁桃体 → 大脳基底核 側坐核
このルートを辿ることで、人間は恐怖に対して、能動的に行動をとることができるそうですが、恐怖刺激は、扁桃体のみにその情報が送られるわけではありません。
脳幹や脊髄からくる、自律神経系の刺激も、この「大脳基底核」に終着します。大脳基底核は、ドーパミンを受け取る受容体でもあります。
ここで受け取られた情報、ドーパミンから、脳は体に興奮するようにと指令を出します。
ここまで色々と、難しいことを説明しましたが、結論は至ってシンプルです。
ここまでの私の見解
こんなにも人によって違うのであれは、私たちは一体どのようにしてこの「恐れ」と向き合っていけばよいのでしょうか。
まず、ここまでの知識をベースに、私自身の考えをまとめてみたいと思います。
既に前述していますが、カギとなるのは「認知の歪み」と、「条件付け刺激」だと思いました。
まず、前提として、「認知」は生まれる前から始まっているということを念頭に起きたいと思います。つまり、私たちが覚えていないような小さな頃から、さまざまな感覚が私たちにはあり、そして、その体験に基づいた条件付けがなされているというわけです。
大人になった私たちは、そうした過去のことをすべて記憶しているわけではありません。ですから、何をどのように誤解してしまったのか、一から遡ることが難しいゆえに、無意識に抱えている「不安感」や「恐れ」に対し、どのように認知を正して行けば良いか、わからなくなってしまっているということです。
例えば、私には母のお腹の中がとても心地よかった感覚記憶が残っていますが、同時に、母の周りでは喧嘩や荒いエネルギーがとても多く、それは私にとって、「不快」なものでした。
ここでの条件付けは、「心地よさがあると、荒いエネルギーが同時にあって危険だ」というものです。なので私は、心地よいと感じると、同時に不安な感覚になってしまいます。何も起きていないのに、胸がドキドキして、臨戦態勢に入ってしまうのです。
そして、さらに厄介なことに、この臨戦態勢の感覚というのは、一種の「興奮」であり、脳は「快」だと認識します。
心地よい+不快(条件付け)→不安感、臨戦態勢(誤認からの反応)→興奮(快)
という、なんとも残念なループ(シナプスの可塑性)を持ってしまっているわけです。
ということで、ここで伝えたいことは以下。
恐怖から来る興奮=快…?
私の抱えている不安感、そして、冒頭で少し触れた社会問題の根底にある「恐れ」。
誤認があるとは言え、恐れを持ち続け、そしてそこからの反応を「快」としてしまっている以上、この条件付けからは自由になれないと思いました。
興奮転移理論
ここで私が興味を持ったのは、恐怖からの反応(興奮)を、脳が「快」だと捉える点です。なぜなら、これは私にもとても馴染みのある感覚であり、その一方で、なぜ「快」として認識してしまうのか説明のつかないものだと思ったからです。
みなさんにもあるのではないでしょうか。
例えば、ジェットコースターで落ちる時。
人間は高所に恐怖を感じるはずなのに、乗り終わった頃にはなぜかとても楽しくてみなぎった気分になっていたり。
例えば、ホラー映画を見るとき。
怖いはずなのに、胸は高鳴り、興奮して、ものすごく集中していたり。
また、見終わった後の安堵感で、気持ちよく感じたり。
このように、ある生理的反応が、現在の状況とは関係のない情動反応を高め、また持続的影響を与える、ということを論じた、「興奮転移理論」というものがあると知りました。
「恐れ」を感じるのは、生物として生き延びるための本能です。
ということは、生存本能に関わる反応に、人間も「快」を生み出している。
そう考えると、例えば、集団から受け入れられないことは(社会的に)命に関わるため、集団の高い位にいること(ヒエラルキーの頂点を極める)などは、生存本能的に言えば「快」ということが出来ます。
誤認であることは間違いないのですが、レイプをする男性に支配欲が強い、という傾向があるのは、「誤認した恐れ」による生存反応ゆえの反応である、という因果関係を持たせることができるのではないかと思いました。
このレイプという社会問題を例に挙げると、倫理的に見て、許されるべきことではないのは明らかです。ですが、その行為の下に隠れている「恐れと快の条件付け」が未処理になっていることこそが、本当の問題なのではないかと思いました。
この「興奮」反応と、「暴力性」に関わるさまざまな研究がされていることを、調べていくうちに知りました。ですが、関係があるという結論と、関係がないという結論の、どちらもが浮かび上がるという、まだ研究中の領域であることも分かりました。
私の仮説ですが、
同じように、恐れから派生する興奮であったとしても、それが「反応」であるという客観的視点(理性)を持つ、もしくは、興奮と暴力性を感じ分けられる人と、反対に、この反応こそが性的、本能的欲求であり、パワーであると、「快」に身を委ねてしまう人、または、興奮と暴力性が同一化してしまっている、という違いから生まれるのではないかと推測しています。
ここで、次なる疑問が浮かびます。
三大神経伝達物質
ここで登場するのが、神経伝達物質です。
脳のところでは、あまり詳しく触れませんでしたが、恐怖刺激の情報が脳(扁桃体)に送られ、そこから各所に反応の伝達が起こります。この過程で、三大神経伝達物質がレセプターで受容されることによって引き起こされる生理的反応が数多くあります。
ということは、「興奮」は、レセプターとなる臓器や脳の器官が指令を出すことで生まれる、生理的反応ということになります。
三大神経伝達物質と呼ばれるものの働きを、簡単にみていきましょう。
ドーパミン
ノルアドレナリン
セロトニン
三大神経伝達物質に関する補足
ちなみに、性的興奮時(オーガズム)にも、このような神経伝達物質が多量に分泌されることが分かっています。
同じ神経伝達物質であっても、
「恐れ」により分泌される場合もあれば
興味関心があることから分泌される場合もあり
性的に興奮していて分泌される場合もあるということです。
これにより、自分の体が反応していることに、間違ったラベリングをしてしまうと、先ほどのレイプの例で説明したような、感じわけができないことによる犯罪に繋がってしまうのだ、という回路が分かりました。
また、補足して付け加えたいのは、ノルアドレナリンの分泌についてです。
私たちには、コンフォートゾーンと言われる、いわゆる「安全地帯」が存在しています。これにも、神経伝達物質が関わっています。
図解したように、適度な緊張感がある環境下において、適量のノルアドレナリンが分泌されることで、人間はやる気や集中力が増して、高いパフォーマンスを発揮することが可能になります。
ですが、もともと生き残るために分泌される「闘争か逃走ホルモン」でもあるため、過度なストレス下においては、多量の分泌がされることにより、心拍数や血圧が急上昇し、パニックに陥ります。
このことと、コンフォートゾーン(心理的安全)が関係があるようです。
ここで言いたいのは、ホルモンの分泌が悪いということではありません。
「恐れ」を超えることとは
今回の取り組みを通して、私は「恐れ」を超えるということは、自分のコンフォートゾーン(危険に対処でき、安全だと思い込んでいた「快」を生み出すサイクル)を超えてゆくことだと結論付けました。
私が思う、コンフォートゾーンの超え方を最後に記して終わりとしたいと思います。
最後に
1万字を超えるレポートとなりました。
「恐れ」について調べ始める前は、調べたい方向性は色々ありましたが、取り掛かることへのイメージ(大変そうとか、恐れと向き合わなきゃいけない…とか。)がたくさんあり、それこそ「恐れ」に取り込まれて、動けなくなっていました。
1年近くも準備時間があったのに、取り掛かったのは一月に入ってからでした。笑
ですが、調べていくうちに、段々と自分の体や心についての理解が深まっていくことが面白く、また、先代の研究者たちが、とてつもない時間と労力、そして情熱を費やしてここまでの理論を体系作っていることに、とても感銘を受けました。
「恐れ」というテーマに向き合う中で、現実的に起きた変化もありました。
私は今まで、自分の夢を叶えられるというイメージがどうしても持てず、自信がなくなり、動けなくなってしまっていました。
失敗する。全て失われる。という恐れがとても強くあったからです。
ですが、このタイミングでたまたま読んでいた『チーズはどこへ消えた?』という本にある言葉に、とても励まされました。
そこで私は、「成功する」ことや、「夢を叶えること」ではなく、「体験する」ことに意識を切り替えることができ、また、恐怖に支配されるのではなく、恐怖がなかったらどうしたいのか、自分の気持ちに素直になることを選びました。
夢が形となるのかどうかは分かりませんが、少なくとも、私の夢に賛同してくれる仲間に出逢いました。ひとりではなく、協力することで進むプロジェクトというのは、独立してから初めてのことです。この時点で、私の「協力」というエッセンス、そして夢が、ひとつ叶ったことに、踏み出してから気がつきました。
また、これは不思議な体験だったのですが、最後に記した「恐れの超え方」ステップ④、体の感覚をただそのままにしていたとき、今まで体の内側のパルスをそのままにしておくことに対して内包していた「恐れ」が柔らかく溶け、今ここに全て存在しているという、究極の「今」、「共時性」を体験しました。今ここにいることの豊かさを享受するには、内側のパルスを恐れずそのままにしておくことができる必要があったことが分かった体験でした。
最後に、私だけでなく、「恐れ」という幻想に取り憑かれて身動きが取れなくなっている人が、この長い長いレポート(笑)を読んだときに、夢を実現する勇気となることを願います。
ご精読ありがとうございました!
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