ニートだった私が通訳になった。

イタリアから帰国して
お金もなかった私に残された選択肢は

実家しかなかった。

だけど

うちって両親めちゃくちゃ仲悪いのね。笑

しかも、そのとばっちりが
子どもたち(つまり私や妹)にビュンビュン飛んでくるの。笑


そりゃ〜〜〜もう
耐えられたもんじゃないわけ。


イタリアから帰ってきて
親も寂しかったらしく

しかも
破天荒すぎてついていけなくなった両親は

しばらく私のことを
放置しておいてくれたおかげで


ヒマでしかないニート生活を
悠々と過ごすことができた。


ヒマも飽きてきて
お金もなく家から出られなくなると思った私は

バイト生活を始めることに。

まさか社会人になって
バイト生活する日がくるとは思わなかったよ。笑


そんな時
私が以前習っていた心理学の先生が
(後の私のヒーリングの先生。
というか元々はヒーリングがメインの先生)

「ワークショップで通訳のサポートを出来る人を探してるの」
「なおちゃんやってみない?」

と言ってくれたのをキッカケに

通訳の世界に足を踏み入れることになった。


その時

英語が出来るのと
通訳が出来るのは

全く別の技術が必要なんだ!って痛感して、


保育の時のように
体験学習したいと思って

派遣会社に登録。

オファーがあったタイミングで
ケーキ屋さんのオープニングのバイトが受かっちゃってたから
面接受けるか迷ってたんだけど笑

とりあえず受けてみよー

っていう
こりゃまた安易な二つ返事で受けたら

受かっちゃった。


派遣会社の人には
面接行くなら、なるべく断らないでくださいね
って言われてたし、どーしよーーーーって

一瞬悩んだ挙句


通訳をやることを決意した。


社内通訳って言って
普通の社員みたいに週5、8時間

社内で通訳が必要になったら
「ちょっと来て〜〜」って呼ばれて通訳したり
「この日、会議があるから通訳お願い〜〜」と頼まれたり

そんな感じの毎日。


入った業界が航空業界で

物理の話とか、設計だとか、
航空局の規約が…とか

最初は日本語でもチンプンカンプンで

最初の3ヶ月くらいは
一言も訳せずに後ろでちょこんと座ってた。笑

ほんと、よくあれで許してくれたなと思うよ。笑



そんなこんなで、
来る案件は、だいたいなんでも対応出来るようになってきた。


通訳の仕事が
楽しくて大好きになった。




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