性的マイノリティLGBTQのBについて主観的なつぶやき(少子化が解決したら良いな的な話も)
こんにちは、世界。
バイセクシャル Bisexual 両性愛者 について、なんとなく主観的につぶやいてみたいと思います。
先に宣言しますと、シス女性 や トランス女性 や トランス男性 のバイセクシャルの方の感覚については、まったく不明です。
シス男性のバイセクシャルについて、個人的に主観的な感覚に関して、自由に無責任につぶやいてみたいと思っています。
両性愛とは何か
同性愛および異性愛が女性か男性のいずれかに対する性的指向であるのに対して、「両性愛」は男性と女性の両方のように二つ以上の性別に対して恋愛的、性愛的感情を抱く性的指向である。両性愛の人々は必ずしもそれぞれの性に同等に魅力を感じるとは限らない[5]。いずれかの性を、もう片方の性よりも好む人も多い[6]。また、両方の性を好むが、セックスとしては一方を好んだり、両方のセックスへの指向をもちつつも一方の文化的性のみに魅力を感じるという形態も存在する[要出典]。両性愛という語は同時に、同性愛および異性愛といった単性愛指向を内包するものであると定義されることもあるが、両性愛自体を独立した性指向とみなすべきだという議論も少なくない[7][要出典]。
Wikipediaでは、上記のように概要に記載されていました。
以下、あとで追記編集します。まずは、適当にメモ書きします。
同性愛なのかな?って最初は思った。
でも、別に異性も魅力的に思う気持ちもあった。
逆に、同性でも異性でも惹かれる人自体が元々少なかった。
ただ、同性愛も可能と知られたら、オレのこともそういう(性的な)目で見ていたのかよ、と誤解されるだろうが、どこからそんな自意識過剰な自信が湧いて来るのだろうかと、おそらくツッコミたくなるだろうし、そもそも誰かにアウティングでもされなければ、そんな精神レベルの人には開示することは無いことだろうと思います。
自分の場合は、性別は男女どっちでも良くて、惹かれる点は、もちろん容姿も大切で重要なファクターだと思っていますし、加えて、会話が楽しいと感じて、自分を好いてくれることも重要なファクターだと感じています。
僕の好きな歌手の歌詞で「愛とは、愛されたいと願うこと」と歌っていましたが、まさにそうかもしれないと、納得しました。
会話が楽しくて、この人に愛されたい(好かれたい)と願う気持ちが、僕の中で芽生える「愛」なのかもしれないと感じています。
バイセクシャルでさらに、性的欲求が薄いと自覚しています。
その為、結局自分から抗えない欲望が湧き溢れて恋焦がれて相手を追いかけるような恋をした経験が無いですね。
カッコいいと少し思っている同性とカジュアルに話せる機会は意外と多いですし、どタイプの容姿で無くても同性との会話が楽しく弾めば、潜在的な欲求が無意識に少しずつ満たされているような気がします。
それに、異性に対して性的な対象として接しないように意識して接していると、無害判定されるのか、案外、容姿がタイプな方とも友好関係が続き、相手が誰かとカップルであろうが無かろうが、会話する機会が続く為、異性での場合でも同じく、会話が楽しく弾めば、潜在的な欲求が無意識に少しずつ満たされているような気がします。
そのような日々から、欲求は日々薄まっている為、私は利用しませんが、性的な欲求が稀に高まっても、性的なサービスを一時的に利用すれば、または、自家発電すれば、性的欲求についても自己管理が可能になってしまいます。
これは、生物としては行き過ぎた自制で、欠陥でさえあるのでは?と自覚があり、危険視しています。
別の話に逸れますが、
両性愛者って、異性愛者の異性からは、理解を得られて付き合えることは、あるのだろうか?日本以外の国でなら、多様性の許容が文化的に進んでいて、理解を得られている地域も存在するのでしょうか?単なる疑問です。
同性同士での性愛も可能もしくは、既に経験ありの両性愛者のことを、わざわざ理解して許容して惹かれる必要性が僕には見つけられません。
惹かれるポイントは人それぞれの好みですので、惹かれた後に両性愛者であると知って、それでも尚、相手に執着して愛されたい選ばれたいと感じ続けているようなケースがあれば、実現するのかもしれないですね。この設定を軸にして、小説が一本出来そうです。複雑な内面の問題による2人の困難を信頼によって乗り越えて、晴れて結ばれる2人、、、。両性愛者を許容する異性愛者の方の器の大きさが試されますね、浮気されないか心配になる心情が標準的な反応だと考えます。
両性愛者って、同性愛者よりも内面的に複雑な気がしました。
社会的な生きづらさに関しては比べる必要は無いので、どちらも同じように各々の困難を感じているでしょう。
両性愛者としては、「絶対的に片方の単一の性に対して恋愛や性愛の感情を抱く」といったような自認が出来ていない為、選択肢が多い分、選択出来ないような不甲斐ないケースがあります。
また、同性と異性で同時期に気になる人が出来ても、社会的に楽なので異性を選ぶハードルの方が低いと打算的な考えが無意識に脳裏によぎってしまい、そんな打算を意識してしまい、本当に異性の相手に惹かれているのか、同性の相手に対する気持ちを安易に避ける為に、好きな気持ちを打算的に過剰に錯覚しているのか、もはや意識下での判断は不能だと理解して、結局気持ちに蓋をしてしまうことだってあります。実際にはしてもいないのに、心の中で二股をしたような罪の意識も感じていたり。無意識に抗おうとする理性のようなナニカも、こういう場合は生物的には欠陥的な思考だと思います(同性でも異性でも良いから、惹かれた人と結ばれたいという欲に従え、と我ながら思います)。
もういっそ、結婚は選択的に回避して、選択的な一人親として子供を授かれるような風土文化制度支援サービスなどが整ってくれたら、結婚せずとも、僕一人分は少子化軽減に加勢出来るのですが、、、一人親を選択した親のもとに産まれて育てられる子供の人権的には、片親家庭確定の人生は不幸なのでしょうかね。
みんなスマホを持っていて、AIも使いこなしていて、疑問はすぐに知識に還元され、みんなの知能が知性が高まった結果として、両性愛者では無いにしても、少子化に繋がってしまっているような気がします。
両性愛者でなくとも、選択的な一人親として子供を授かれる制度支援などが整えば、需要があるのでは?と思い、少子化が深刻な問題であるのであれば、選択肢の一つとして、上記のような選択肢を増やすことが検討されても良いのでは?と感じました。選択的一人親の片親家庭に生まれた子供が差別されることなく平等に生きられる制度支援が整ったならば。
いったん以上です。
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