【映画】『ウォッチメン』 ネタバレ有り
これは映画『ウォッチメン』の原作コミックの作者であるアラン・ムーアのヒーロー観だ。
アメコミの最高傑作と謳われるウォッチメン
今回はそんな名作コミックの映画化作品について書いていく。
ウォッチメンは1980年代、冷戦下のアメリカを舞台にしたヒーローアクションだ。作中登場するヒーローは混乱する社会情勢の中で立ち上がった自警団のような存在だった。しかし彼らは政治の道具として利用されるようになり、ヒーローの関与によって史実とは大きく歴史が変わることになる。ここがこの作品の一番の特徴であり、ウォッチメンはヒーローコミックであると同時にもしもアメリカにヒーローがいたらというIFの世界を描いた歴史改変SFでもある。
本編の話をする前に少しこの歴史の改変について説明しておかなければならない。
まずヒーローが参加したことによって、ベトナム戦争にアメリカが勝利している。
戦争の勝利に大きく貢献したヒーロー達だったが、彼らが過激なデモの鎮圧を行ったことにより市民はヒーローに反感を抱き、1977年にヒーロー活動を禁止する『キーン条例』が施行される。
そして作中舞台となる1985年には、ソ連とアメリカが第三次世界大戦に向けて危機的な状況にあるが、アメリカ側は作中唯一の超人であるDr.マンハッタンの存在によって均衡を保っていた。
この物語は条例に背き違法にヒーロー活動をしているヒーロー"ロールシャッハ"を中心に展開される。
彼は冒頭で述べた作者アラン・ムーアのヒーロー観を体現したヒーローだ。性格は冷酷で暴力的だが自らの思う正義に絶対忠実で決して妥協を許さない人物として描かれている。
ヒーロー活動を禁止するキーン条例が施行された際にも犯罪者の死体に『断る』と書いたメモを添えて警察署の前に放置するといった有様だ。調査の為に容赦なく悪人の指をへし折って拷問するなど暴力的な活動方針から市民からも疎まれ警察にも犯罪者として追われている。
この物語はロールシャッハがかつてヒーローであったコメディアンの死を調査するところから始まる。
調査するうちにかつてのヒーローを狙った殺人であると考えたロールシャッハは、かつての仲間に警告して回るが耳を傾ける物はいなかった。
その後、かつて実験により超人的な力を手にし「歩く核抑止」とも呼ばれたDr.マンハッタンが、ある出来事によって火星に逃げたことをきっかけに米ソは核戦争へと向かってゆく。
ロールシャッハはこれら全てが元ヒーローであるオジマンディアスの陰謀であることを突き止め、彼の待つ南極へと向かう。
南極で対峙したオジマンディアスが語った陰謀の全容は、世界主要都市を破壊し第三の敵を作ることで冷戦を終わらせるというものだった。
そんなことはさせないと息巻くロールシャッハ達にオジマンディアスは無慈悲にも既に計画を実行したことを告げる。
モニターには「第三の敵」に対処するため米ソが団結したというニュースが流れていた。
数百万人の命と引き換えに冷戦が終わり、核戦争の危機が去ったのだ。
ヒーロー達は逡巡したが結局はこの事実を胸に秘めることに決めた。
もし事実が公表されれば数百万人の犠牲は無駄になり、世界はまた核戦争へと突き進む。
そんな未来が訪れるくらいならばこの陰謀は秘したままであるべきだと考えたのだ。
ただ一人、ロールシャッハを除いて。
唯一ロールシャッハだけは妥協しなかった。
彼だけは例え数百万人の犠牲が無駄になったとしても、真実を公表すべきだと主張した。
引き止める仲間に対し
「たとえ世界が滅んでも絶対に妥協はしない」
と突っぱね真実を公表するために立ち去ろうとするロールシャッハの前に超人たるDr.マンハッタンが立ちはだかる。
躊躇うDr.マンハッタンに対して自分の正義を曲げるつもりの無いロールシャッハは
「奴の理想郷を守るんだろう?今更ひとつ死体が増えても同じことだ。何を待ってる?やれよ…殺せ!」
と叫ぶ。
直後片手を僅かに動かしただけでDr.マンハッタンはロールシャッハを消し飛ばした。
斯くしてロールシャッハによって真実が公表されることも無く、核戦争の脅威は去り世界に平和が訪れた。
平和になり記事のネタに困ったある新聞社の元に1冊の日記が届く。南極に向かう前ロールシャッハが送ったその日記には全ての陰謀が記されていた。果たして世界は…。
というのが今作のあらすじだ。
原作のコミックスと違い映画ではそれぞれの登場人物についてあまり語られていないため、やはり原作を見てからの視聴をおすすめしたい。
映画だけではロールシャッハが何故数百万人の犠牲を無駄にし、挙句殺されてまで「妥協しないこと」にこだわり続けたのかが分かりにくい部分があると思う。
また冷戦当時のアメリカの歴史について多少事前知識がないと分かりにくい部分もある。
映画からでは中々取っ付き難い作品ではあると思うがアメコミの独特な雰囲気があまり好きではないわたしには映画の方が好みだった。
細かい設定については分かりにくい部分もあるとは思うが
「ヒーローとは自らの意思でもって世界を良くしようと戦う人々である。」
というこの作品の命題のようなものは映画だけでも十分に伝わると思う。
なにせこの作品は超人的な力を持たないヒーロー達が、それでも世界を良くしようという意思を持ってコスチュームを纏い戦って話だ。
この映画を見れば超人的な力が手に入らなくとも、ビール片手にテレビを見るのをやめて、世界を良くするために戦う意思を持つことが出来るかもしれない。
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