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世界は色で溢れている

人との出会いは不思議なものだと思う。毎日顔を合わせているのに挨拶する仲にしかならない人もいれば、数少ない出会いが生涯忘れられないものになる人もいる。

スイスで学生をしていた頃からもう6年が経った。当時はよく使っていたFacebookも開かなくなってしまい、未だに連絡を取る当時の仲間は数えるほどしかいない。

ウザルとは友達のホームパーティで知り合った。イスラマバード出身の学生で、当時は博士課程に所属していた。初めて会ったときは大勢の中の一人だったし、その日はたくさんワインを開けたから、あまり記憶がない。

それから1週間ほどたって、私が住んでいた学生寮に彼がやって来たのを偶然見かけた。当時私と同じ階にイスラマバード出身の友達がいて、彼が作る夕飯を食べに来たらしい。私も招いてもらって3人でカレーを食べた。その時に、ウザルが来年学会で東京に行くという話をしてくれた。その頃には帰国をしているだろうから、予定が合えば会おうといって帰っていった。ヨーロッパにいる最中彼とは一度も会わなかった。

翌年になり、彼からメッセージが届いた。来月東京に行くよ、と。彼の学会の予定が終わってから都内で落ち合い明治神宮に行った。知っている限りの情報を伝えてあまり言葉を交わすことなく境内を見て回った。

参拝してみる?というと、静かにウザルはうなずいた。列に並んでいるとTempleとshrineの違いは何?とウザルが唐突に聞いてきた。Templeは仏教、shrineは神道の場所と、浅い情報しか知らなくてごめんねと思いながら言い終わるころ、丁度私たちの番になった。僕の国ではtempleはお祈りをささげるところ、とつぶやくと、彼は周りの人のまねをして手を合わせて目を閉じた。

その後新宿に向かった。都庁の前の広場のタイルへまっすぐ沿うように歩いて、とりとめのないこと話した。私の寮に住んでいたイスラマバードの彼はストックホルムで仕事をしていること、その年の冬は暖冬で雪が降らなかったこと、夏に故郷へ帰ったときiPhoneを盗まれたこと。私たちの3回目の再会は、その回数にふさわしく少しだけ他人感が漂い続けていた。

日も暮れる頃、レストランに入って席に着いた。確かビアバーみたいなところだったのだが、その時私は彼がムスリムだということをすっかり忘れていた。ごめん、お酒飲めたっけ?と聞くと、もちろんと返された。豚肉は食べないけど、というおまけ情報と一緒に。その線はどこで引くの?と聞いてみた。未だにこういう質問をどのタイミングで、どの辺の距離感の人にしていいのか分からない。ウザルは少し考えて、なんとなく、と答えた。その答えが本当のところからきているのか、説明のめんどくささから来ているのか、話すことの不快さからきているのかはわからなかった。

料理が揃い、お酒も何杯か進んだ頃、言葉の話になった。初めて日本に来た彼は、書かれた日本語の情報量の多さに圧倒されていると言った。ウザルの日本語レベルはゼロだから、頭にインプットされる情報量が多いという意味ではなく、視覚的に忙しく感じるということを言いたかったのだと思う。私は箸で何かをつまみながらバベルの塔が壊されずに、世界の国の言葉が一つだったらどれだけ便利なことかと、その当時の本音を口に出した。ウザルは笑いながら、

I know, but that is what makes the world colorful.

そりゃそうなんだけど、これだけ言葉があるから世界はカラフルなんじゃないかな。

と返答してくれた。もし、彼のこの一言が無かったら、この日一日の出来事、ひいては彼との出会いすら、ここに書けるほどくっきり覚えているものとはならなかっただろう。もしかしたら私のFacebookと共に関係が消えていったうちの一人になっていたかも知れない。

昨年、スイスを訪れた際に彼に会って来た。あの頃から、少しのふくよかさとphDという肩書を得た以外、新宿でお酒を飲んだ時のままだった。テラスでハンバーガーを食べながら、ウザルが突然、あの東京の高いビルの前の広場で色々話をしながら散歩したの、あれ何も覚えていないけどいい時間だったなと独り言のように口に出した。どんな言葉を使っても、心の中にある同意を表現できないと思い、軽くうなずいて無視するかのようにポテトをつまんだ。

言葉その違いが世界に色を塗る。色とりどりに塗られる世界地図を見るたびに彼のあの言葉を思い出しては国の形を指でなぞってしまう。

また世界のどこかで会えることを願って、彼に誕生日おめでとうの言葉を送った。



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