カナダに移住したのが2018年の8月。
私はものの数ヶ月で鬱になりました。
ワーホリに来たのが2016年の5月で、この時はなんともなかったです。
ただ毎年冬が終わり暖かくなってくるとどこかのタイミングで心がふわっと軽くなる時があり、その度に「あー冬しんどかったな」と思っていました。
今思えば昔からそういう気質はあったのかもしれないです。
大学の時にはあまりにも起きられなくてしんどい時期があり、学校のカウンセリングに行ったら「怠惰だね」って言われたこともありましたがそれも鬱の症状だったのかもしれないです。
話は戻って2018年の8月、晴れて永住者としてカナダに引っ越してきました。
夫くんとの生活も始まり、まず私が思ったのが
『『早く仕事を見つけないと』』
永住したらバリスタをしようと思っていたので日本にいる間にバリスタ養成セミナーを受けてラテアートの練習をしていました。
けれど実際のバリスタ経験がないこともありなかなか採用されず。
やっと受かったのが日本人がやっているカフェでした。
ただワーホリの時からずっと決めていたことですが、日本人のコミュニティには入りたくない、というのが正直な心境。
けれどとにかく仕事をしてお金を貯めていかないと、という思いから働き始めました。
しかし働き始めると案の定すぐに「辞めたい」という思いが出てきました。
コーヒーショップとは違いカフェなのでバリスタ以外の業務が大半で、しかもほぼずっと日本語を聞いている状態。
まだまだ英語勉強中の自分としては日本語に囲まれている環境も耐え難く、お菓子作りをしている自分も嫌で1ヶ月半で退職を申し出ました。
この時点で10月。
バンクーバーはレインクーバーと呼ばれる雨の時期に入っていました。
そして辞めてすぐにラテアートの大会で優勝経験のある日本人バリスタがやっている少人数制のセミナーを見つけて参加しました。
「ちゃんとバリスタとしてコーヒーショップで働きたい」
「セミナーに参加すればカナダでバリスタをするってどんな感じか聞けるかもしれない」
「英語でのセミナーだから英語の勉強にもなる」
「日本でもラテアートの勉強はしたし、ちょっとだけではあるけどバリスタ経験もできたから今度こそ大丈夫」
そんな思いでセミナーに参加しました。
当日行ってみるとセミナーの参加者は私ともう一人、日本人。
”あぁ、ここでもまた日本語で話すのか”という落胆。
2人とも日本人でセミナーするのは初めてだと言ってたのでなんたるアンラッキー。
そして実際のセミナーが始まってみると相手は私より経験があり初めて使うエスプレッソマシーンでも何のその。
私はといえば、まともにミルクをスチームすることすら出来ない。
『バリスタ経験あります。』
『日本でもセミナー受けました。』
馬鹿みたいに自信満々で参加して蓋を開けてみればハートすら描けない有様。
”次こそは大丈夫だと思って仕事も辞めたのに”
ここで糸が プツンっと 切れました。
次の日から私は仕事を探すこともまともに起きることもできなくなりました。
とにかくずっとベッドにいるかソファにいるか。
かろうじてごはんは作れる状態。
ふとしたら涙が出てきて、泣き疲れたら寝て、を繰り返していました。
ただこの時はまだ自分が鬱だとは思っていませんでした。
毎年冬はしんどいし、セミナーでの出来事が思った以上に辛かったんだなぐらいに思っていました。
自分がおかしいなと思ったのは
”もう生きていたくない”
そんな感情が出てきた時です。
死にたいとは思わなかったんですが、先のことを考えるとこのまま生きていくことがとにかくつらい。
それならいっその事生きるのをやめてしまいたい。
そこで初めて私は誰かの助けがいると気がつき、カウンセリングを受けることにしました。
カウンセリングでは色んな話をしました。
家族のことや自分の生い立ち。
それから特に社会人になってからのこと。
どうも私は世間知らずだったようで、社会の波に飲み込まれすぐにメンタルはボロボロになりました。
社会人1年目で人間不信になり、そこから2年かけて嘘をつく事を覚え、嫌いな人とも仲良くするスキルを身に付け、なんとか心をリカバリーしていきました。
少なくとも自分ではリカバリーできたと思っていました。
ワーホリ中は日本人とほぼ関わることもなかったので日本での自分のことは見ないふり。
それでもカナダに来たことで内向的な性格に拍車はかかり、1度大泣きしたことはありました。
そこも自分ではなんとか修正して乗り切ったと思っていました。
それが永住してきて、些細なことで爆発したんだと思います。
薄々気がついていたけれど、自分がどれだけ社会不適合者なのか。
内向的であまのじゃく、大きな口叩くくせに小心者でかっこつけ。
HSP気質。
必死にどこかに居場所を探して。
自分は大丈夫だと言い聞かせて。
それでも結局自分の居場所はカナダにもなくて、日本にもない。
それに気がついた時に動けなくなりました。
カウンセリングでは薬の使用も勧められました。
最初は断ったんですが、私のその時の精神状態ではまともに会話をすることもできなかったのでこのままではカウンセリングの効果が出ないと言われて抗うつ剤も使用。
私は結局1年半ほど使用しました。
面白いもので鬱でも冷静な自分がいて、「高いお金払ってカウンセリング受けてるのに大半泣いてたらお金もったいないな」と思ったんですよね。
カウンセリングがどこまで効果があったのか、正直なところ分からないです。
なぜなら鬱になった時は糸がプツンと切れた感じがありましたが、治る時はゆっくりゆっくり傷が薄くなっていった感覚。
なので気がついたら気持ちが安定していて、気がついたら泣かなくなっていて、気がついたら仕事をしようという意欲も出てきていた、という感じです。
ただ他の傷と一緒でこの傷は完全にはなくならないです。
小さい頃に受けたハンコ注射の痕と一緒。
いつまでもうっすらとある。
なので今でもしんどくなることはあるし、涙が出てくる日もあります。
けれど
”生きていたくない”
この感情は出てこなくなったから改善はしたんだろうなと思っています。
カナダはレインクーバー真っ只中。
ここでは医者が言うぐらいビタミンDが大事です。
今つらい方。
ビタミンD摂ってください。
それだけでも気持ちが晴れるかもしれない。
私が今回鬱のことを書こうと思ったのは、同じようにしんどい思いをしている人がいるとnoteで読んだのがきっかけです。
それを読んで「私だけじゃないんだな」と思うと気持ちが楽になった、というのが一つ。
それからもう一つ。
病歴は付いて回ります。
不意に自分が鬱だったと打ち明けないといけない場面に出会うことがあります。
その度にあの辛かった時期とそれを恥じる自分が出てきます。
私はこれを書くことで、公開することで、何も恥じるべきことではないと自分と言い聞かせたいんだと思います。
これを読むことで誰かの気持ちが晴れればいいし、私の気持ちも晴れればいい。
そんな思いで書きました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。