見出し画像

失った心を取り戻して

私たちはここまで速く歩き過ぎてしまい、心を置き去りにして来てしまった。心がこの場所に追いつくまで、私たちはしばらくここで待っているのです

引用「旅をする木」星野道夫

この本を紹介されたときに教えてもらったフレーズ。そして、私がこの本を読んでみたいと思ったフレーズでもある




「あぁ、まさしく自分そのものじゃないか」

そう思った。

あの時は、愛が、賞賛が、自信が、当時はなにがほしいかなんてわかっていなかったがひたすら走った。駆け抜けた。がむしゃらに

自分に自信がなく、でも強がって
”できる自分でないと” ”欠点がない人にならないと”と必死だった。

そうしないと、誰からも愛されないと思っていたから。誰からも必要とされないと思っていたから。

だからものすごいエネルギーが出た。当たり前だ。ただ存在してるだけでは人から受け入れられないのだから。社会の一員として、家族の一人として、友人として
ただ、いるだけではダメだと思っていたのだから。

そうやってがむしゃらに走って、それなりに結果は出た。
でもその過程で、たくさんの心を失った

人としてどうなんだろう。やり方としてどうなんだろう。という疑問が心のどこかでずっと拭えない。
その時その時で納得する答えを出して、ときには持たないまま進んだけれど、ずっとしこりとして残っている。

そのしこりがあるからこそ
自分はどう生きたいのか。どんな働き方をしたいのか、ずっと考えている。


なぜ、この思いを書きたいのだろう

残したいのだろう。そして人に見てほしいのだろう。
本を読んでいたら、件のフレーズが出てきて、心揺さぶられた。
急に書きたくなった。

人に見てもらって私が感じた感動を共感してもらいたい思いもある。
とても素敵な考えだから知ってほしい思いもある。そしてそれに感じるにあたった自分の人生を知ってほしい思いもある。

これが一番だろう。
自分を知ってもらって、私はどんな欲を満たしたいのだろう。

変わった自分を認めてほしいのかもしれない
心を失ってがむしゃらに走ってきたことに後悔の念が残っているから、過去の自分を否定し、今の自分を一生懸命肯定したいのかもしれない

いずれにしても、カンタンに自分でオーケーをだせない私の心が書くことによって癒され、落ち着きを取り戻すことだけは確かだ。


ここ最近、読んだ本でエッセイ調なのか詳しいことはよくわからないが体験談をもとにどう感じたか。を綴った本に心を揺さぶられた。

それと同時に、私もこうやって体験したことをもとに、感じたことを書きたい!と強く思った。

なぜだろう

私はものごと一つ一つ、思ったことに逐一、『なぜそう思ったか?』考えたいタチらしい
ただ書けばいいのに、いちいちそんなことを考える自分を面倒だなと思う面もある。でもそれが私だ。


【自然や生命のもつ弱さ、脆さに惹かれる】

とあってへぇ〜と思った。私と真逆だったからだ。今まで自分の価値をつけるために、強さや良さを見出して身につけようと必死だった。

強さや良いところがないとダメだと思っていたから

私の至らないところ。それをみっともない。情けないと思っているその姿が人間らしくていとおしい。

そう言われたことがある。意味がわからなかった。こんな情けなくて、かっこわるくて、ぐちゃぐちゃなのに

最近少しずつその意味がわかるようになった。
人が悩み、苦しみ、葛藤しながらも、自分の弱さを吐露し、なんとか受け入れようとしている姿にいとしさと美しさを感じるからだ。

できない人間は格好わるい。失敗したら情けない。そう思って人前で失敗することも、その失敗を指摘されるされることも大のニガテだった。

恥ずかしさで顔が赤くなるだけでなく、なにも喋れなく地蔵のように硬くなる。
脈も早くなるし、力が入って頭はうまく働かない。

一生懸命、言い訳を考える

「大した失敗じゃないと思ってるよ」「よくやるんだよね」と必死になんてことないように装うけど、内心必死だ。

そんな自分が人の失敗(何をもって失敗というのか甚だ疑問だが)や感情がぐちゃぐちゃになっている様子をみていとおしいと思うようになったのは、自分の心と向き合うようになったからだ。

ずっと旅に出たいと思っている


いや実際には旅にはちょこちょこ出ているのだが

いわゆる旅行的なモノではなく、あてもなく知らないものや土地、人や文化に触れたいのだと思う

なぜ旅に出たいのかー

ただ知的好奇心を満たしたいだけなのか
一箇所にとらわれず旅をしている人をすごいと思っているから自分もすごい人になりたくて、旅をしたいのか
少なくともこの理由ではダメだと思っている自分がいる

おそらく星野道夫さんの本を素敵だと思ったのも、他の方で旅をしながら感じたことを表現しているものをみて、心を動かされたのも

旅をして純粋な心を取り戻したいのだろう。
未知なものや自然に触れて、自分を取り戻したいのだろう。
誰も自分を知らない場所で、誰の目も気にせずに、思いっきり心を解放したいのだろう。


私は今までたくさんの心を道中に落としてここまで来た。

人を思いやることよりも、目標を達成すること、効率よく合理的にゴールに行くことを優先させることもした。人の心を蔑ろにしたこともある。反対に人を思いやれる人を見て、羨ましく思い、そうなれない自分を責めた。

親や人の顔色ばかり伺って、嫌われないように怒られないように好かれるように行動してきた。

そうやってたくさんの自分の本心を無視して、感じた感情、気持ちを失くしてきた。だんだんと自分が本当は何をしたいのか、どういうものが好きなのか、楽しいのかわからなくなっていった。

だからこそ、自分の心を取り戻したい。
何かを成さず、何もせず立ち止まることは怖いと感じるけれど、今の私には必要なことだと思う。

もちろん日常を過ごしながらでも立ち止まることはできる。
近くの自然や愛溢れるもの、この本のような心が詰まったもの。そういったことでも心は取り戻してる感覚はある。

だけど、私は旅に出たいのだ

誰からも何からも左右されないで、自分の心を思いっきり感じてあげたい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?