Kawaiiカルチャーを産んだ3つの潮流とは?__その1:戦後の少女文化
先日開催したイベント「増田セバスチャン5時間トーク」(結局8時間トーク…)の中から、原宿でKawaiiファッションなぜ生まれたのか?についてお話した前回に続いて、今回はどのようにして世界でムーブメントを起こした「Kawaiiカルチャー」が生まれたのかを増田セバスチャン的解釈でお届けしたいと思います。
KAWAIIとはなにか?
「可愛い」と聞くと、日本人はすぐ漢字に置き換えて、人形や小動物や赤ちゃんなどを思い浮かべる人も多いと思います。「可愛い」という言葉自体は、いとおかし、とか、平安時代からすでにその語源があったりとか、学者さんたちの間で諸説あると思うのですが、僕が追いかけたいのはカルチャーとしてのアルファベットの「KAWAII」です。
今や世界では、日本人が独自で作り上げてきたひとつのクリエイティビティとしてリスペクトの気持ちも込めて使われることも多い「KAWAII」というカルチャー。これはどこから生まれたのでしょうか。
僕はKAWAIIカルチャーは大きく3つの潮流が合わさってできたものだと思っています。まず、この1つ目の潮流についてお話しします。
戦後の少女文化〜女の子たちだけの秘密のカルチャー
KAWAIIを作ったひとつめの潮流は、戦後の日本で生まれた「少女文化」。これを今からざっくり語ります。
第二次世界大戦が終わって、日本は焼け野原になった。だから男は外で死に物狂いで働いて、女は家庭でそのサポートをする。そんな中で、ひっそりと女の子たちは隠れた自分たちのカルチャーを育てていくことになるのです。
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