「広島の街で」
どうしても会っておきたい人が3人いた。
今までなら、「機会があれば会おうね」「時間があったら会おうね」といったところだったけれど、がんという病気を発症してからは、あらためて命には限りがあることを実感したし、大好きな人達と永遠に無限に会えるものではないことも自覚した。
だから、この3人には必ず時間を作って会っておきたかった。
遡ること去年の11月の初旬に広島を訪れた。
放射線治療が終わって職場復帰まで2週間。
仕事が始まれば休みは治療と休息に当てることになるだろうから、2週間だけ自由な時間を作っておいた。
その間に、広島に行って私を支えてくれた3人に会って、どうしてもお礼を言いたかった。
▪️乳がんの先輩であり、前職の後輩
noteには何度も登場している「始まれば終わる」の名言でお馴染みの彼女。
治療が始まる頃、「治療を受けて、美味しいもの食べましょう。二人で乳がんを語る会でもやりましょう。」と言ってくれた。
よし、熱く乳がんを語ろうじゃないか!
数年ぶりに会う彼女は、全く外見だけでは化学療法を受けて全摘手術も受けた人とは誰も想像できないくらい、いたって普通でやっぱり美人な後輩だった。
陽が明るいうちの美味しいパフェから始まって、確か22時頃までしゃべりっぱなしだった。
もう、話したいことは山のようにあったから、全く時間の経過がわからないほどだった。
乳がんの診断がついた時から、彼女には家族や他の友達には言えないような心身のしんどさをいつも聞いてもらっていた。
抗がん剤からくるあの吐き気や、異常な体のだるさ、ごっそり抜けてしまったハゲ頭の悲しみなんて、経験した人にしか絶対にわからない。
彼女も仕事をしながら化学療法を受けていたので、仕事と治療の両立の大変さもわかってくれる唯一の同志のようだった。
私を支えてくれた周りの人達、それぞれ役割が違っていたから、どの人が欠けてもダメだったけれど、彼女のサポートの存在は本当に大きい。
唯一弱音を吐ける人でもあった。
彼女もまた、食べられそうなものや、色々なプレゼントを送ってくれた。
彼女なしでは、ここまで来ることはできなかったと思う。
ありがとう!
一緒に仕事をしたのは、もう10年以上も前になるけれど、まさか10数年後にこんな形でまた繋がって助けてもらうなんて想像もできなかった。
人生の伏線回収をしてるみたいだ。
また、今年中に『第2回 乳がんを語る会』を開催しようね!
参加費実費、同志募る!
▪️元上司と先輩看護師さん
新卒で働いていた時の師長さんと、ひとまわり年上の先輩看護師さんにも会いたかった。
よく3人で温泉に行ったり、インドに旅行に行ったり、一緒に旅する3人だった。
年末から治療を始めて、お正月なんて全く頭になかったから二人から年賀状が来て戸惑った。
乳がんのことを話すべきか否か・・・
二人に同じ書面を封書で送ることにした。
もちろん二人は驚いてすぐに連絡してきてくれた。
「大丈夫よ、大丈夫。絶対会いに行くから必ず会おうね。」と励ましてくれた。
それからは、広島からたくさんのプレゼントや手紙が届いた。
LINEで電話もたくさんして、ずいぶん気晴らしになった。
一人で家にこもって治療している時にどれだけ心強かったことか。
8月の手術の前に、わざわざ関西まで会いに来てくれたこともあった。
このお姉さん二人にも、どうしても会ってお礼を言いたかった。
川沿いの景色のいいカフェで、3人でランチをした。
広島は街中に川や緑が多く、静かできれいな街だ。
会うといつもの3人だった(笑)。
しゃべる、しゃべる、しゃべる!
私達3人のすごいところは、3人いっぺんにそれぞれにしゃべって誰も話しを聞いていないところだ(爆笑)。
看護師恐るべし。
でも、話をしていると元上司が
「あなたから手紙をもらった時は本当にショックでショックで、当分落ち込んだのよ。だって私達よりこんなに若いのに・・・」と言って泣き出した。
「でもよかった。こんなに元気になってよかった、よかった。よくがんばったね。」と。
私はこの時、とてもショックを受けた。
あんなに強くて頼りがいがあって頭のいい師長さんを泣かせてしまった、こんなに心配させて悲しませてしまった・・・
乳がんがわかってから、自分のことしか考える余裕がなく、周りの人の悲しみなんて知りもしなかった・・・
もっともっと元気になって、お返ししなくては。
ありがとう!
私はこれでまた一つ、大人になった。
両親の墓じまいをした時、これで広島にはもう来ることもないと思っていたけれど、まさかこんな形で自ら広島を訪ねるようになるとは思ってもみなかった。
全ての治療が終わった報告に、『第2回 乳がんを語る会』の開催に、また広島を訪ねよう。
そして、来週ついに最後のキイトルーダ投与を迎え、1年5ヶ月に及んだ乳がんの治療が終了する。