父親の死
2月11日。青年が25歳の時、父親は亡くなりました。死因は肺ガン。全身に転移し、手のほどこしようがありませんでした。
直接の死因に母親は関わっていません。父親はタバコの好きな人で1日に1箱くらいは吸っていましたし、職場でも粉塵が舞う現場で作業を行うコトもありました。物理的な要因は別にあったのでしょう。
でも、青年の中では「あの母親の側に居続けたら、そりゃ病気になるよな…」という確信は変わりませんでした。自分自身が10代の時に殺されかけたし、弟や妹も精神的に追い詰められておかしくなってしまったし。思い当たる節は多々あります。
人ってのは物理的要因だけで健康を保ったり、病気になったりするわけじゃないんです。どんなに体にいい食事を取り続けていたとしても、心が病んでしまったら体の方も連動して狂ってしまうものなのですから…
父親は、最後におかしなコトを言っていました。
「今やっている仕事を辞めて、東京から実家に帰ってきてくれ。そうして、一緒にたこ焼き屋をやろう!」
たこ焼き屋なんて、どこから出てきたのでしょう?
それまでマジメ一辺倒に働き続け、ほとんど1日も休むことなく、遅刻することもなく、毎日毎日同じ時間にスーパーカブ(バイク)に乗って職場に向かい、決まった時間に家に帰って来る。休日には、畑作業に出かけたり、親戚の墓参りに行ったりで、たいしておもしろいコトもなく過ごしてきた人生です。
たこ焼き屋を始めるだなんて、死の直前になってあらぬ妄想を見ただけに決まっています。でも、どうやら父親にも夢があったようです。現役時代は懸命に働き、老後は自分の好きなコトをして過ごすという夢です。その中にたこ焼き屋もあったのかもしれません。
このコトは青年に影響を与えました。
「どんなに一生懸命マジメに働き続けたって、最後は好きなコト1つできずに死んでいくんだ。どんなに老後に素晴らしい夢を見たって、もう遅すぎる。仕事を引退する頃には、もう手遅れなのだから…」
ここで青年の決心は固まります。
「生きるってのは、老後のために自分を犠牲にするコトじゃない!生きるってのは、未来を見すえつつも、今を精一杯楽しむコトなんだ!」
もう誰かのために自分を犠牲にするのはたくさんでした。「母親」や「父親」や「親戚」や「近所の人たち」や「会社」や「社会」や「世界」や「世界で一番大切なあの人」が理想とする姿。
そんなモノに無理に自分を合わせて、人生を変えていったって、その先に幸せなどありはしないのです。最後の最後にあの父親が物の見事にそれを証明してくれたではありませんか!自らの命を賭して!
少年時代より見続けてきた「3つの夢」の内、どれを選択し、どれをあきらめるか。その決心は、この時すでに固まりつつありました。
noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。