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ヨシュアたちが実在した証拠? - ハツォル 聖書考古学①

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今回はヨシュア記に登場するハツォル考古学的な視点で紹介します。


「ハツォルは当時、これらすべての王国の盟主だったからである」 ヨシュア記11:10

聖書に書かれているこのハツォルの説明、本当にその通りです。
現在ハツォルの遺跡を訪れることが出来るのですが、初めて聖書考古学の課外授業で訪れた時は度肝を抜かれました。
その大きさと建築物の立派さは南レヴァントの中期〜後期青銅器時代(紀元前2000年〜1150年頃)において一位を争うものであったようです。

ハツォル(Hazor)の位置
Ben-Tor, A. 2013. Who Destroyed Canaanite Hazor?より

考古学では発掘を行うと発掘レポートを出版するのですが、ハツォルの発掘を監督していたヘブライ大学Ben-Tor教授によると

ハツォルは中期青銅器時代のカナンにおいて重要な場所のひとつとなった。

Hazor VIIより

とのことです。
実際に発掘で出てきているものを見るとオルトスタト(玄武岩などを綺麗に削って壁に付けたもの)などといった非常に高価な材料が建造物に使われていたことが分かっています。

ハツォルのオルトスタト(燃えて変色しています)

有名なオルトスタトの立派なライオン(イスラエル博物館にて展示)もハツォルで見つかりました。

重要な建物の入り口に置かれたハツォルのオルトスタトライオン

ヘブライ大学のYadin教授が1950年代にハツォルの発掘を監督していた際、後期青銅器時代IIB(紀元前13世紀頃)のハツォルの大きな破壊層を見つけました。
出エジプト紀元前13世紀頃に起きたという学説に基くと、ヨシュアたちが約束の地に入ってきた時期にちょうど重なるということで聖書学者・考古学者は大変盛り上がりました。

実際にハツォルの遺跡に行ってみると破壊の跡がはっきりと残っています。
Ben-Tor教授も下記のことを報告をしています。

通常の火の倍の高熱な摂氏1300度まで燃え上がった炎が泥レンガや陶器を燃やしました。

Ben-Tor, A. 2013. Who Destroyed Canaanite Hazor?
泥レンガが燃え溶けた様子

ヨシュアたちはそこにいたすべてのものを剣の刃で討ち、聖絶した。息のある者は一人も残らなかった。⭐️彼はハツォルを火で焼いた

ヨシュア記 11章11節
聖書 新改訳2017

聖書の「彼はハツォルを火で焼いた」という記述にピッタリであることから多くの聖書学者・考古学者はハツォルの遺跡の研究を進めました。

さらに、ハツォルの破壊層にて故意的に壊されたハツォルの神々の像が発見されています。

故意的に破壊された像の例

誰が後期青銅器時代末のハツォルを破壊したのか

大きく分けると4つの学説があります。

1. エジプト

エジプト軍がカデシュの戦いを終えてエジプトに戻る道中ハツォルを征服したという学説です。
Kitchen教授によるとエジプト軍はレバノンの海岸を南下し、ヴィア・マリス(海の道)を通ったため、ハツォルに寄ったと考えるのは難しいと主張しています。

2. 海の民 (ペリシテ人)

*テルアビブ大学では海の民にペリシテ人が含まれると学びましたが、様々な学説があります

ペリシテ人ハツォルを征服したという学説です。
こちらの学説も、海岸を中心地としていたペリシテ人が、離れていて且つ内陸にあるハツォルを破壊したとは考えづらいという主張が強いです。

3. ハツォルの住民を含む、ハツォル近辺の人々

この主張は2007年にBen-Tor教授と共にハツォルの発掘を監督していたヘブライ大学Zuckerman教授によって発表されました。

Zuckerman教授は町の重要な建物(神殿・宮殿)にのみ破壊の跡が、現れるということに着目しました。
また、町の層が重なるごとに重要な建物(神殿・宮殿)が聖なる場所としての機能を失っているということに気づきました。

ハツォル上流階級(祭司・皇族など)の権力が衰退していき、肉体労働による課税などから不満を募らせた市民が反乱を起こしたいう主張です。
ちなみにこの肉体労働による課税については聖書(第一サムエル記8章11~18節)にも記されています。

4. イスラエルの民(聖書の記述通り)

聖書の記述通り、約束の地に入ったヨシュア達がハツォルを征服したいう学説です。

  • 聖書の記述通りハツォルが燃えたということ

  • ハツォルの住民が崇めていた像を自ら破壊したとは考えづらい(③の主張に対して)

ということを理由にした聖書学者・考古学者の主張です。

ハツォルの祭壇とライオン頭のコップ

燃え上がったことで有名になった神殿/宮殿の前には大きな祭壇がありました。

ハツォルの祭壇

この祭壇の前でテルアビブ大学のSergi教授がクラスメイトに説明をしました。

この祭壇の周りに人々が祭りの度に集まっていることを想像してみよう。
そこであのライオンのコップを持った上流階級者(祭司・皇族など)がそのコップから飲むと、まるでライオンになったかのように見える。
祭りや儀式を通して市民に上流階級者の権力を見せつけていました

ハツォルのライオンのコップ

その他に、祭壇から少し離れた神殿/宮殿への入り口には下のような大きな木の柱がありました。

アシェラの木柱

聖書に偶像礼拝として登場するアシェラ像はこのようなものだったのかもしれません。

最後に

このヨシュア達が破壊したとされているハツォルの陥落はその後の世代に受け継がれていき、ヘブライ語(旧約)聖書が編纂される時まで人々の記憶に残っていきます。
この記憶がどのように残ったのかがテルアビブ大学での私の研究テーマでした。
聖書考古学シリーズまだまだ続きます。

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参照

Ben-Tor, A. 2013. Who Destroyed Canaanite Hazor? Biblical Archaeology Review 29. 26-60

Zuckerman, S. 2007. Anatomy of a Destruction: Crisis Architecture, Termination Rituals and the Fall of Canaanite Hazor. Journal of Mediterranean Archaeology 20.1: 3-32.

Ben-Tor, A., Zuckerman, S., Bechar, S., and Sandhaus, D. 2017. Hazor VII. The 1990-2012 Excavations. The Bronze Age. Jerusalem.

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石田平和 Heiwa Ishida
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