ショートショート 山猫のレシピ
洋食屋さんにその山猫が来たのは、よく晴れた秋の日のことでした。生え変わったばかりのむくむくの冬毛を膨らませながら、人間ほどもある大きな山猫が、入り口の前ににゃあ、という顔をして座っていたのです。
「そんなところにいたら、邪魔になる。」
料理長が文句を言いに来ました。
「お客さんが入れないだろう。」
「僕は、この店で働きたいんです。」
山猫はいいました。
「料理を作るのがね、好きなんです。」
「山で仲間にでもふるまえばいいだろう。」
コックさんが言いました。
「山の仲間にだって? 冗談じゃない。あいつら、なんでも生でばりばり齧っちまう。味ってものがてんでわかっちゃいない。」
山猫はいっぺんに言って興奮しすぎて大きなあくびをしました。鋭い犬歯がのぞきました。
「それに比べて、ここにくるお客さんは、料理ってものがなんなのかわかってる、そうでしょう? おいしいものを食べに来たお客さんに、とびきりおいしいものを、僕は振る舞いたいんです。」
「見上げた心がけだね。」
料理長がコックさんを横目で見ながら言いました。
「立派なもんだ。」
褒められて、山猫の髭がくるんと丸まります。
「だけど、猫だろ。いくら猫の手でもっていっても、不器用じゃ話にならないぞ。」
コックさんがちょっと意地悪そうに言いました。山猫は自分の両手を見て、片方ずつざりざりと舐めました。右手で顔を撫で回します。
「ごもっとも。僕の右手は、みなさんみたいに器用じゃないよ。だけど、ほら、尻尾があるからさ。」
山猫は自分の太くて長い尻尾をゆらゆら動かしてみせました。
「包丁で野菜の皮を剥きながらお鍋をかき回せるし、ちょっと離れたところにある鍋のふたなんかも動かないで引き寄せられる。お望みなら、仕事しながら、君の肩をもんであげたりもできるよ。」
「ん? ううん。」
コックさんは言い淀んで顔を赤らめました。肩をもんでもらいたいと思ったのです。
「それにさ。」
山猫はだんだん饒舌になります。小さく舌なめずりをしました。
「お土産もあるんだ。きっと気に入るはずだよ。」
背負っていた小さな荷物を下ろしました。中に小さな帳面が何冊か入っていました。
「僕のレシピだ。きっと気に入ると思うよ。」
料理長はおそるおそる帳面に手をのばしました。なるほど、料理のレシピでした。しかも、見たことがないようなものばかり。どれもこれも素晴らしく美味しそうです。
「こりゃすごい。たいしたもんだ。」
「そうでしょう!」
山猫はとてもうれしそうです。
「けど、これ、なんのためのレシピだい?」
コックさんがまた意地悪そうにいいました。
「あんた、さっき、山の仲間には振る舞わないって、言ったばかりじゃないか。」
「たまには振る舞うんだよ。それに、時々味のいい人間も山にはくるからね。」
「味のいい?」
「そう。みんな、一口でも僕の料理を食べたら、もう、夢中になっちゃうんだ!お腹いっぱいになってもまだ食べたがる。だからさ、このレシピをたくさん振る舞って、たっぷり肉がついたところを僕が……。」
わんわん、と犬の声がしました。
料理長の奥さんでした。山猫が店の入り口にいるのを見て、近くの猟師さんから、猟犬をかりてきたのです。
「ああ! 犬だ!」
山猫が青ざめました。
「こんな物騒なところには勤められないや!」
慌ててさっきの帳面を包みおなすと、背中に担いで、大慌てで山に逃げていきました。
「夢中になるほど、おいしいねえ…。」
料理長が手元の紙切れをみながらつぶやきました。さっき、山猫の帳面から一枚だけ破って盗んだのです。
奥さんが怖い顔をして、料理長を見ました。
料理長は苦笑いをして、山猫のレシピを破って捨てました。
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140字版