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最遅本命発表~天皇賞(春)編~

瓶のスーパードライを小さなグラスに注ぎながら、俺は今週末に行われる天皇賞(春)の予想をしていた。

一般的に土日が休みの人間には想像もつかないかもしれないが、俺は週休一日で一週間の内、六日間は労働に殉ずる生活を暫く続けている。

当たり前の話だが、俺は日々疲労している。

仕事が終わった女がクレンジングオイル?だか何だかよくわからない油でメイクを落とすのと同じように、今日も俺は日頃の疲れをビールという名のクレンジングオイルで洗い流していた。

時に、ふと思う。

何故俺は酒を飲んでいるのだろうか、と。

聞く所によれば、近頃は若者の飲酒率は著しく低下しており、曰く、

「酔う意味がわからない」

「お金がもったいない」

「時間の無駄だ」

こうした理由で若者は酒を飲まないらしい。
若者はいつだって合理的だ。ステレオタイプの上司を見下し、野心なのかあるいは「そうあるべき」と仕込まれた価値観に則ってこの令和の時代を生きている。

事実、若者の主張は正しいと思う。

正しいと思うからこそ、何故俺は今も酒を飲んでいるのだろうかとふと考える。

別に、酒を飲まなければ人生が成り立たないということはない。

むしろ、コストパフォーマンス的にも、近頃流行りの言葉を用いればタイムパフォーマンス的にも、酒を飲むことは効率的とは言えないだろう。

にも関わらず昭和と平成の狭間に生まれた俺はグラスに注がれたスーパードライをだらだらと喉に流し込んでいる。

別に、単に味覚的な欲求で酒を飲んでいる訳ではない。
ビールの銘柄にもウィスキーの銘柄にもこだわりはないし、ほどよく疲れている日であれば「ハイボールです」と言われれば黄色く着色した炭酸水を提供されても俺は「美味しいハイボール」としてジョッキを飲み干すだろう。

別に、酔いどれ気分で馬鹿騒ぎをしたい訳でもない。
それならばこうも淡々と一人で酒を飲むこともないだろうし、酔っぱらった途端に日頃とは打って変わって豹変するタイプの人間と酒を飲むのは好きではない。

唯一、酒を飲む上で思い当たる理由はと言えば平成後期の横浜ベイスターズの試合をハマスタまで現地観戦に行った時の精神安定剤としての酒だ。

5勝15敗の高崎健太郎、3勝12敗の加賀繫がエースとして君臨していた時代、俺は熱狂的な横浜ファンだった。
ハマスタで阪神戦を現地観戦した時、ライトスタンドに着席したにも関わらず周囲には特攻服に身を包んだ阪神ファンしかおらず、更には5回を待たずに二桁失点を重ね、更には屋根のない球場で激しい豪雨に襲われ、ライトスタンドで威勢の良い六甲おろしに耳を傾けることしかできなかったあの時間、普段ではまずあり得ないハイペースで酒を飲むことでしか自我を保つことができなかったことをよく覚えている。鈍色の空の下、揺れる縦縞模様を肴に飲んだ酒は雪解の高原で食べた蕗の薹よりもずっと苦かった。

この話はやめにしよう、DeNAしか知らない横浜ファンには刺激の強すぎる暗黒時代の話だ。

では「何故人は酒を飲むのか」という議題を酒を飲みながら考えていた時に、ふと気付いたことがある。おそらく俺は、酒を飲んでいなければこんな議題について思い耽ることはなかったのではなかろうかと。

そう思った時、色々なことが腑に落ちた。

思うに、人は酒を飲むことで日頃は蓋をされた感性が表出したり、あるいは許容できずにいたものが許容できたり、日常の中では感知できずにいる微細な感情に相対すことができるのではないかと。

思い当たることは、多々あった。

酒を飲んでいる時、普段は聴きもしないジャズが柄にもなく心地よく聴こえる。

酒を飲んでいる時、いつもは「なんかクセェな」と思っていた金木犀の香りが恋しく思える。

酒を飲んでいる時、芸人として1ミリも認めたことがないはんにゃの金田が妙に面白く思える。

酒を飲んでいる時、近くの中華屋のギトギトのチャーハンがやたらと美味く思える。


酒は、いつもより俺を寛容にしてくれた。

酒を飲んでいる時、大したやりがいもなく続けている仕事をなんだかんだで好きな仕事だと思う時がある。

酒を飲んでいる時、友達の少なさを嘆くのではなく少ないけれど友達でいてくれている奴らを有難く思う時がある。

酒を飲んでいる時、父ちゃんと母ちゃんが死んだらさぞ悲しいなと想像する時がある。

酒を飲んでいる時、昔飼っていた犬のことを思い出して涙が出てくる時がある。

酒を飲んでいる時、かつて付き合っていた女性に対してもっと優しくしてやれたのではないかと思い直す時がある。


酒は、いつもより俺を素直にしてくれた。

それだけで、十分だったのかもしれない。
人が酒を飲む理由などどうでもよくて、ただ俺にとってはそれだけで十分だったのかもしれない。

所詮、酔っぱらっている人間の戯言だと思われるかもしれないが、そうではない。

酔い潰れて転んで擦りむいた膝が、シラフの翌日になると痛むのと同じで、たとえ酔って居ようがそこで想起した感覚や感情は自分の中に残っている。

酔った時に聴いたジャズの心地良さを理由にマイルスのトランペットに耳を傾けてみたり、あるいは家族、友人、大切な人に連絡を取ってみようと思い立つこともある。

昨今の若者たちにとっては無駄な行いだと揶揄されるだけかもしれなくとも、コスパやタイパと同じ天秤で計ることはできない価値観を求め、このストレス社会の中で俺達は酒を飲んでいるのだ。そうなのだと思いたい。

思うに、このnoteに目を通してくれている愛すべき読者の皆様の中にも救えない酒カスがいらっしゃると想像する。

であるならば、きっと皆様にもあるはずなのだ。

酒を飲んでいる時でなければ気付けない感性が、あるいは酒を飲んでいる時でなければ素直に打ち明けられない本当の想いが。

思い当たる節があるならば、週末の夜には酒を味方につけてどうぞその想いを素直に捧げるべき相手に捧げるといい。

伝えたい想いは、伝えられる内に伝えるべきなのだから。

とはいえ、俺もいよいよ中年男性真っ盛りだ。

年がら年中、365日酒を飲んでいては身も持たない。

酒を飲むことによって気付かされる大切なことを失わない為に、近頃は週間の中に少なくとも数日は休肝日を設けることにしている。

決して数多くはないが、こんな自分の体を気遣ってくれた人もいる。
酒を愛するが故に、今後も酒とは上手く付き合っていきたい。

ところで、どうして俺はこんな散文を書きなぐり始めたんだっけな。

そうだ、天皇賞(春)の予想をしていたんだ。

思えば、シラフの俺は馬に対しても素直になれなかった。

ステイヤーズSが行われたあの日。

「長欠明けで手を出すのは流石に怖いな…」

俺は素直になれず、君の単勝馬券を買えなかった。

ダイヤモンドSが行われたあの日。

「東京の瞬発力戦で3kg軽いサリエラに勝てるのだろうか」

俺は素直になれず、君の単勝馬券を買えなかった。

阪神大賞典が行われたあの日。

「流石にここは天皇賞に向けた叩き仕上げだろう」

俺は素直になれず、君の単勝馬券を買えなかった。

今夜はそれなりにお酒を飲んでいるけど、酒の弾みで言うわけじゃない。
普段は素直に言えずにいた、本当の気持ちを伝えるよ。

2024年4月28日、京都競馬場で行われる天皇賞(春)。

僕は今度こそ、君の単勝馬券を買うよ。

本命は、テーオーロイヤル。




●あとがき

長らく休止していた「最遅本命発表」を、久方ぶりに酒の勢いで書いてみました。特に練っていたものでもないし、気楽に書きなぐったものですので当時と印象も違うかもしれませんが、またゆるりと気ままに時には書きなぐってみようかと思います。まずは何より、ここまでのご一読に感謝致します。

こんな駄文を有難くも楽しんでくださった方はどうぞこの先に記します
「今一番酒に合う懐メロ邦楽ロック」に耳を傾けながら、今夜の晩酌をお楽しみください。頂きましたサポート代はもれなく私の肝臓を潤す為に用いることをここに誓います。

では、最遅本命発表の今後に乞うご期待。

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