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『欅坂46』から読む-デモクラシーと気候正義 第五話

第五話「ガラスを割れ!」闘うフェミニズムと気候正義

 1945年9月、日本の降伏とともに第二次世界大戦が終結した。
 戦勝国となったアメリカでは、男性たちは戦場で夢見ていた「穏やかな家庭」に戻り、「幸福な主婦」とともに平和と繁栄を謳歌した。彼らの大半は「全てが上手くいっている」と疑わなかっただろう。

 しかし、女性たちはそうではなかった。アメリカでは1920年に既に女性参政権が導入されており、男女の平等が達成されたように「表面上は」思われていた。だが少なくない女性たちは、妻・母としての役割をこなそうとする中で生じる「得体のしれない悩み」に苦しんでいた。

 この原因として「女らしさの賛美の風潮」を見出したのが、1963年に出版され、第二の女性解放運動の嚆矢となったベティ・フリーダン『新しい女性の創造』である[1]。戦後のアメリカでは、学者やメディアが、女性には教育や自由といったものは不要で、夫と子供のこと、家庭のことだけを考えればよいという価値観=「女らしさ」を蔓延させていたのである。これによ(値観を批判する。そして彼女らが個人として自己を確立し、自らの能力を発揮できるよう解放される道を示したのである。

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[図1]「WOMENS LIBERATION(女性の解放)」を掲げるデモ

 この本を一つの契機として、女性たちは「居心地の良い収容所」=家庭から抜け出し、職場や政治において自分たちの昇進を阻む、目に見えない「ガラスの天井」へと挑んでゆくことになる[2]。新たな女性解放運動、第二派フェミニズムが巻き起こったのである。

・目の前の「ガラスを割れ!」

 ここで、欅坂46の楽曲「ガラスを割れ!」の歌詞を一部抜粋する。

今あるしあわせに  どうしてしがみつくんだ?
閉じ込められた 見えない檻から抜け出せよ
Rock you! 目の前のガラスを割れ!
握りしめた拳で やりたいこと やってみせろよ
おまえはもっと自由でいい 騒げ!  邪魔するもの ぶち壊せ!
夢見るなら愚かになれ 傷つかなくちゃ本物じゃないよ
抑圧のガラスを割れ! 怒り込めた拳で
風通しをよくしたいんだ 俺たちはもう犬じゃない 叫べ!
偉い奴らに怯むなよ! 闘うなら孤独になれ
群れてるだけじゃ始まらないよ
想像のガラスを割れ 思い込んでいるだけ
やる前から諦めるなよ お前はもっとお前らしく 生きろ
愛の鎖引き千切れよ 歯向かうなら体向けるな
ぬくもりなんかどうだっていい 吠えない犬は犬じゃないんだ

 デモクラシーが「市民の平等」を旨とするならば、同じ市民たる男女の間に大きな格差を生むような社会はデモクラシーとは程遠い。第二派フェミニズムは、格差を生む「見えない檻から抜け出し」、女性たちの「抑圧のガラスを割る」ことを目指した運動であり、それはデモクラシーの闘いでもあったのだ。

・職場における「ガラスの天井」

 1945年の敗戦で、日本はアメリカの占領下におかれた。同じ年、マッカーサーの改革指令を皮切りにして日本の女性の結社権と参政権が認められる
 翌年には、連合国側の主導で「大日本帝国憲法」にかわる新たな憲法が作られる。その24条には、アメリカの合衆国憲法にさえ存在しない「男女平等」の条項が刻まれていた。当時22歳だったアメリカのフェミニスト、ベアテ・シロタ・ゴードンの尽力により加えられたと言われている[3]。

 日本の第一波フェミニズムの先駆者であった平塚らいてうは、戦後に実現した数々の「男女平等」政策に対して複雑な心境を打ち明けている。

いま敗戦の苦渋とともに、わたくしたち女性の掌上に、参政権が突如として向こうから落ちてきた。まったく他力的に。連合国軍の占領政策の遂行、なんという運命の皮肉だろう。…すなおに、朗らかによろこびきれないものが胸にいっぱいつかえていた。
(平塚らいてう「わたくしの夢は実現したか」) 

 そして、女性参政権の次なる目標を見据えてこう述べる。                           

今日の働く女性は、自分自身で食べるために職業につくのであり、また親や子供を養わねばならないものも少なくないであろう。こういう女性にとって、男女同一賃銀の原則は当然実施されなければならない。

 60年代にアメリカで生まれた第二波フェミニズムの波は世界中に広まり、日本でも職場での男女平等の気運は年々高まっていった。「男女同一賃金」はそれに欠かせないものだが、男女の賃金格差は現在でも20%以上の開きがあり、いまだに平等とはいいがたい状況にある。

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[図2]男女賃金格差の推移

 この要因の一つとして、「女性は家庭にいるもの」という価値観がいまだ根強いことがあげられる。実際、日本における女性の家事労働時間は男性よりもはるかに長い。女性は結婚して「妻」となり、家庭で子供を産んで「母」となる、と当たり前に思われているような社会では、女性が職場で働くのは「補助」に過ぎず、増給や昇進は不要だとされるのだ。

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[図3]男女の家事労働時間の差

・政治における「ガラスの天井」

 第一話で、普通選挙による民衆の「参加」と、選挙を通じた複数政党の競争による「異議申し立て」を満たす政治体制=「ポリアーキー」を紹介した。ポリアーキーはデモクラシーの必要条件を示したもので、女性参政権が不可欠とされている。女性の「参加」と「異議申し立て」を欠いては、デモクラシーとは到底呼べないとみなしているのだ。・

 これに従えば、日本は1945年に女性参政権が認められる(ポリアーキーの成立)まで、デモクラシーからはほど遠い政治をしていたことになる。日本の植民地となっていた朝鮮では独立し「大韓民国」となった1948年から女性参政権が導入されているが、この時点においての日本と韓国の民主化度合は同程度だったのである。

 では、女性参政権によって女性が選挙に参加し、政党や政治家を自由に選べるようになれば充分に民主的だといえるのだろうか。
 そうとは限らない。なぜなら、政党や政治家が男性ばかりだと女性の意見が代表されにくいからだ[4]。政党政治が始まって長らく、女性議員の数は男性に比べはるかに少なかった。女性は家庭で男性に従うもので、社会に出て政治を担うのには向いていない、という偏見がこの背景にある。

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[図4]各国の女性議員の割合の推移

 現在でも日本の政治家の大半は男性であるが、それによって女性の多くが関心をもつ問題の多くが無視されてきた。いまでこそ議論されるようになったが、選択的夫婦別姓や男女同一賃金がその良い例だろう。他にも家庭内暴力や避妊・中絶の権利など、(シスジェンダーの)男性が経験しにくい事柄については、女性政治家の方が女性の意見をより良く反映できるといえる。
 
 つまり、男性ばかりの政治では女性の意見を代表することができず、市民の平等を掲げるデモクラシーの名に値しないのである[5]。 

・女性を代表するために

 1986年、日本で中曽根首相率いる自民党が衆議員選挙で圧勝する。これを受けて当時第一野党であった社会党の石橋政嗣は辞任し、日本初の女性党首となる土井たか子が就任した。社会党はその後、1989年の参院選で消費税廃止を掲げるとともに12人の女性候補者を擁立する[6]。
 「マドンナブーム」と呼ばれるこの選挙で、野党は初めて自民党の議席数を上回った。このとき、土井たか子は与謝野晶子の詩を引いて「山は動いた」と宣言し、この後も女性議員の数は少しづつ増えていった

 与党はもちろんだが、野党がまず女性の代表者を重視することが政治を変える一歩になった例である。

・気候正義でガラスを割れ!

 2018年、アメリカの中間選挙で番狂わせが起きる。
 史上最多の女性議員が誕生するとともに、29歳のアレクサンドリア・オカシオ・コルテスが現職の「白人高齢男性」議員を破り当選したのである。
 オカシオ・コルテスは、労働者階級でシングルマザーの家庭で育った女性だ。社会主義とデモクラシーを掲げるアメリカ民主社会同盟Democratic Socialists of Americaのメンバーとして出馬し、最年少で「ガラスの天井」を破ったのである。

 当選後、彼女は気候正義を掲げる若者団体「サンライズ・ムーブメント」と協力し、現副大統領のカラマ・ハリスなどに化石燃料会社との癒着をやめさせた[7]。さらに2019年には、民主党議員94名の支持を取り付けて大規模な気候政策である「グリーンニューディール決議案」を提出している。

 100年以上続くフェミニズムの波が、気候正義とともに社会を変えようとしているのである。

<参考>

[1]矢木公子「ベティ・フリーダン『新しい女性の創造』」江原由美子・金井淑子編『フェミニズムの名著50』平凡社 2002
[2]「「ガラスの天井」とは? 過去の大統領選でヒラリー・クリントン氏も言及」HuffPost Japan 2021
[3]「憲法 変えるのではなく世界に広げて 24条草案者の長女ニコルさんに聞く」東京新聞 2019
[4]Phillips, Anne. 1995. The Politics of Presence. Oxford University Press.
[5]前田健太郎『女性のいない民主主義』岩波新書 2019
[6]「1989年の参院選 土井たか子らマドンナブームを振り返る」NEWSポストセブン 2016
[7]明日香壽川『グリーン・ニューディール』岩波書店 2021


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