決められた場所に行く方法を選んだだけ
人生で最初の岐路は高校受験。
自分の将来を決める初めての機会だった。
市の中でほぼ1番小さいような小さなコミュニティで小中の9年間を過ごしてきた私にとっては高校が人生の全てを決めるくらいに重要なことでした。
国際に興味があって自由を手にしたかった私は私服OKで国際系の単位制の高校を受験。
結果は大敗。
自分のレベルより背伸びしたからで原因も分かっていた。
けどその高校に入って夢見ていたやりたかったことは全て崩れて人生お先真っ暗に思えた。
併願先の高校は楽しめないと思った。
入学してから暫くは後ろ向きだったし半分自暴自棄だった。
けれど3年間過ごしてみると良い友達に巡り会えたし、バカみたいに騒いで、学校の愚痴もして楽しい毎日だった。
もちろん私がやりたかったことは殆ど叶わなかったし、そこの後悔は少しあるにしても結果的に大学でできたことだったから問題なかった。
そして現在私は再び人生の岐路に立っている。
人間不思議なもので人生の岐路に立つと視野が狭まる。
高校受験で人生全てが決まるものではないし結局は人であり、やりたいことは自分次第なのだと学んだはずなのに、目の前の将来を考えるとそれ以外見えなくなりキャリアが全てだと思ってしまう。
新卒というファーストキャリアを手にできるのは今だけ。そう考えてしまう。
でも、この先もう一度大学に入るかもしれないし、保育士になるかもしれないし、政治家を目指すかもしれない。
人生どう転がるか分からないのに誰もが通りそうなレールに沿って進むことを考え、安全でありたいと願う。
安全なんて保障はないのに危険すらもおかせないビビりなのです。
長年蓄積された日本の集団主義に縛られていると俯瞰してて分かってはいる。でもファーストキャリアに一喜一憂する自分もいる。
この前志望度が高い企業からお祈りを喰らい、参っていた最中、友達がある言葉で励ましてくれてそれが今でも私の中の核になり続けている。
芦田愛菜ちゃんが映画『岬のマヨイガ』の試写会で言った言葉だそうです。
自分が選んだと思うと自分を責めるし辛い思いをする。結果にたどり着く方法を私たちは今やっている最中なのだと考えたら気が楽になった。
どんな企業に入っていても10年後20年後はさらに成長しているかもしれないし、既に決められた出来事に私は向かってるだけだと。
もちろん自分の手で掴み取る!!という人もいるだろうし、私もその気持ちでありたい。
でも、人生選択で自分が押し潰されて、自分を見失いそうになるくらいなら最終決定権は私ではなく運命に委ねた方がいいのではないか。
私はそう思って最終決定権は運命に委ねてみようと思いました。そう考えたら自分がやっていることに不安をあまり感じなくなったし人生なんとかなるような気がして。
誰1人同じ人生なんていないので私のやり方で私らしい将来を歩んでいきたいと思います。
就活に疲れたみんなもこういう考え方があるんだよって知ってもらえたら嬉しいです。
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