短編|アクションコメディ|その馬鹿を死なせるな-21-
ミルティッロの指示どおり、建物の中にはいったロッソは背から千歳を降ろして横たえたる。
すかさずミルティッロが千歳のからだにかけられたロッソのコートを外し、傷を検(あらた)めようとすると、ロングコートの持ち主がその手をとめた。
「ジネ、アズールと一緒にノーチェを迎えに行って来い」
ロッソがそうやって、不自然にジネストゥラを遠ざけた理由はすぐに分かった。
羽織りと着物の袖を切って傷を見たミルティッロが息を呑む。
「千歳がこんな負傷の仕方をするなんて──」
千歳の右腕は抉り取られるように肉がなくなっており、ひどい状態だった。
「民間人をかばったんだよ。避難しそびれた親子がいたんだ」
ヒップバックから医療キットを取り出したミルティッロがラバー製の手袋をはめ、痛み止めを千歳の右肩にいまいましげに突き刺す。
「人としては賞賛に値しますが、CSFの隊員としては褒められた行いではありませんね。千歳?」
うっとまたうめいて、千歳が顔をゆがめる。
「間に合うと、思ったんですが……すみません」
アズールとジネストゥラとともに息を切らして到着したノーチェは、すぐさま千歳のそばに寄ろうとして、本部から入った音声通信に足をとめた。左耳のイヤホンを押さえながら何度か早口に通信交わしたのち、珍しく声を荒げたその姿に原色組は驚き、ミルティッロはわずかに眉をひそめる。
「チトセさん」
千歳のそばにかがみこんだノーチェはいつもどおりだった。
「申し訳ありません、ノーチェ。大事なときにヘマをして」
ノーチェは黙って首を横にふる。
「すぐに医療チームが来ますから。だから、少しだけ辛抱してください」
それからノーチェはミルティッロに向き直ると少しだけいいか、と聞く。ミルティッロはロッソに止血を頼み、ノーチェとともに千歳の側から離れた。
「ねえ、チトセ、大丈夫なの?」
やや離れた場所でジネストゥラはアズールの顔を見上げて訊いた。アズールは自分の左肩をちらりと見た。コートの左肩部はべっとりと血で汚れていて、肩はおろか前身頃にまで流れて染みをつくっていた。先ほど千歳を支えようとした拍子にできたものだ。
アズールはジネストゥラの問いに何も答えなかった。
ミルティッロが戻るのと入れ替わりにノーチェは原色組を呼んだ。状況を改めて確認する。
「残りは全部で四体。Ψ(プシー)とΧ(キー)のグリュプスタイプが一体ずつ、Σ(シグマ)のアンフィスバエナタイプが一体。これらはいずれも削ってあるから、もう一押しだ。そして、もう一体新手が確認されている」
「新手?」
「解析チームよると、キマイラタイプがさらに一体確認されている。簡易解析の結果はパターンΧ(キー)」
ジネストゥラが視線を落としてため息をつく。
「二体やっつけたばっかりなのに、また四体なんだ」
滅多に弱音を吐かない彼にしては珍しい仕草だ。そればかりか、普段は大胆不敵なロッソも粛然と任務をこなすアズールもどこか神妙な顔で口を閉ざす。
ノーチェは三人を鼓舞するように言った。
「452地区はケーラー出現以来、人類がはじめて住むことができるようになった特別な地区だ。先人達が戦って獲得し、守ってきたこの地区を、我々の世代でだめにするわけにはいかない。それに──」
ぐっと拳を握りしめ、唇を噛み締める。
「ケーラーの数をもう少し減らさなければ、医療チームをここに入れられないと本部から言われている」
現在452地区は非常事態宣言が出され、ふたたび隔壁によって封鎖されている。あまりにもケーラーの数が多すぎるためだ。そして、魔物に対することができるのはこの世でこの六人だけであり、医療チームは当然武装能力を持たない。
「俺達で区外までチトセを運ぶってわけにはいかねえのか?」
「全員で護衛しながらなら可能だと思う。でも、それをすれば残り時間で四体ものケーラーを排除するのは難しくなる」
ノーチェの端末に表示されている時間は、残り五十三分だった。
「チトセさんが身をていして民間人を守ったのに、私達がそんなことをすれば本末転倒だ。きっと──」
千歳が受け入れるわけがない、とノーチェがこぼすと、ジネストゥラが心配そうにその顔を見上げた。
「じゃあチトセは、ひとりで置いていくの?」
「もちろん、ミルさんについていてもらうよ」
「せめて誰かもう一人でもここに残してくれ! この状態で襲われたら二人ともひとたまりもねえだろ」
「分かってる。だから、私が──」
ノーチェの言葉尻を奪って、アズールが口を開いた。
「俺が残る」
アズールの言い方はいつもと同じ淡々としたものだった。
「Σ(シグマ)はもう一体しかいないから、俺はそんなに役に立たない。こういう状況じゃロッソとジネの火力がものを言うし、こいつらはノーチェの指揮の方がいい」
声音はいつもと変わらなかったが、アズールの言葉は普段よりずっと長かった。
「だめだ。恐らく、ひとりでケーラーと対することになる可能性が高い。そんなこと、させられない」
「問題があるなら、ノーチェの命令じゃなく俺の独断ということにすればいい。始末書なら戻ったらいくらでも書く」
「そんなことを言っているんじゃない。危険すぎるってことだ」
平素は黙々と命令や指示をこなすはずのアズールの態度は、これまでにないほどに頑なで一歩も譲る気配もない。
見るに見かねたロッソが頭をひとつかいて、横から口を挟んだ。
「俺もアズールの方がいいと思うけどな。ノーチェの場合、火力のこと考えたら、単独とか、それこそ危ねえだろ」
「ロッソ」
「僕も班長はノーチェの方がいいな」
「ジネまで──!」
「……決まりでいいだろ?」
ノーチェはため息をついた。多勢に無勢だったし、これ以上時間を浪費するわけにもいかなかった。
「なるべくこっちに引き付けてやるようにするから、絶対に無理はするな」
いいね、とアズールに念を押し、ミルティッロと千歳に声をかけてからノーチェはジネストゥラとロッソを連れて出て行った。
時刻は夕暮れ時になろうかという頃だったが、あたりはすでに薄暗くなりはじめていた。朝から天気が悪かったせいかもしれない。
かりそめの静謐(せいひつ)な空間に電子音が響いていた。端末を利用してミルティッロが測定している千歳の脈拍を示すものだ。その音は正常のものよりもやや速い。
「アズール」
ブーツのかかとを鳴らし、黙って外に出ていこうとするアズールにミルティッロが呼びかけた。
「さっきのアンフィスバエナが近づいてきてる。外に出て引き付けてくる」
ミルティッロがなにか言いかけるよりも先にアズールは続けた。
「もうかなり削ってあるはずだし、Σ(シグマ)だ。仕留められなくても持ちこたえるくらいはやってみせる」
アズールははっきりと端正な顔を歪めた。
「だから、その馬鹿を死なせないでくれ」