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『共産党宣言』を読む

はじめに

 以下では『共産党宣言』(Manifest der Kommunistischen Partei, 1848,以下『宣言』)の読解を試みる.
 『宣言』がカール・マルクス(Karl Marx, 1818-1883)とフリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels, 1820-1895)ら*1によって書かれたことは,今日では周知の事実である.だが,その初版出版時には著者名はどこにも記載されていなかった.のちにマルクスとエンゲルスは「1872年ドイツ語版への序文」で『宣言』を「歴史的文書」と呼んでいる.「歴史的」というのは,『宣言』が書かれた時代状況または歴史的文脈に規定されているという意味である.著者はこう述べている,「第二章の終わりで提案されている革命的諸方策には,決して特別な重みはおかれていない.今日ならば,この章句は多くの点でちがったいい方をすべきであろう」,「社会主義諸文献の批判は,1847年までしかないのであるから,今日ではそれが不充分であることはいうまでもない」.したがって,我々はこの「歴史的文書」を,各論含めて無謬の正典として受け取るのではなく,その原理原則に従って理解することに努める必要がある.

『共産党宣言』(初版,1848年)

『宣言』初版の異本について

 橋本直樹(1953-)よれば,『宣言』初版にはいくつかの異本(Druckvariante)が存在するという(橋本2004)*2.例えば,橋本は次のように述べている.

 扉の4行目と6行目に,⑥表題と刊年月とを区切る双柱ケイ(二重線)ならびに刊行年と刊地とを区切る表ケイ(1本線)いずれをも備えているものと,そのような区切りの線いずれをももたないものと2種類の種類の刊本が伝承されている.

(橋本直樹 2004「『共産党宣言』初刷の確定——23ページ本の種々の刷——」79頁)
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(初版『共産党宣言』1848年,いわゆる「23ページ本」の標題紙)

 本稿で参照した『宣言』は,バイエルン州立図書館(Bayerische Staatsbibliothek, BSB)によって電子書籍化されたもの(以下「BSB版」)であるが,橋本の整理に従えば,BSB版には次のような特徴が見られた.

  • BSB版は「表題と刊年月とを区切る双柱ケイ(二重線)ならびに刊行年と刊地とを区切る表ケイ(1本線)いずれをも備えている」(橋本2004: 79).

  • BSB版は「第6ページの最終行53行目にあるherauf beschwor.という二語……のうち,heraufの語末のfの字の下半分が左に流れ,また続くbeschworのbesの各文字のやはり下半分が少し欠けている——いわゆる悪活字になっている——もの」(橋本2004: 79)である.

  • BSB版は「17ページのノンブルが17と正しく打たれているもの」(橋本2004: 79)である.

  • BSB版は「18ページの第33行目の行頭で,Zunftwesen in der Manufakturと始められている箇所に……■形の印刷上の汚れをもつもの」(橋本2004: 84)である*3.

以上の点を考慮すると,BSB版は,従来の分類では「異本2」に該当すると思われる.これは,Bert Andréasの分類では「B」であり,Wolfgang Meiserの分類では「A2」であり,Thomas Kuczynskiの分類では「A2」である.(以上の分類は,「23ページ本印刷異本対照表(その1)」(橋本2004: 86)に従った.)

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(BSB版の「■形の印刷上の汚れ」,画像下から四行目左端)

「共産主義の幽霊」というメルヒェンとその事実

 『宣言』は主に四つの章から成り立っており,その冒頭にはいささか文学的な序文が付されている.『宣言』の魅力はこの序文にある*4.では,その序文はいかなる意味で文学的な魅力を放っているのか.この点を考察してみよう.

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(Marx et al. 1848: 3)

 ヨーロッパに幽霊が出る——共産主義という幽霊である.ふるいヨーロッパのすべての強国は,この幽霊を退治しようとして神聖な同盟を結んでいる,法皇とツァー,メッテルニヒとギゾー,フランス急進派とドイツ官憲.
 反対党にして,政府党から共産主義だと罵られなかったものがどこにあるか,反対党にして,自分より進歩的な反対党に対して,また反動的な政敵に対して,共産主義の烙印をおしつけて悪口を投げかえさなかったものがどこにあるか?
 この事実から二つのことが考えられる.
 共産主義はすでに,すべてのヨーロッパの強国から一つの力と認められているということ.
 共産主義者がその考え方,その目的,その傾向を全世界のまえに公表し,共産主義の幽霊物語に党自身の宣言を対立させるのに,いまがちょうどよい時期である*5ということ.

(『共産党宣言』大内・向坂訳39頁)

ここで「この事実から二つのことが考えられる」という推論が展開されているが,その推論について検討してみよう.
 まず「この事実」とは,冒頭の二つのパラグラフを指していると考えられる.しかしながら,第一パラグラフと第二パラグラフを「事実」の記述として取り扱うにはレトリック過剰であり,その点で問題があると言えないだろうか.なぜなら,第一パラグラフは「共産主義の幽霊」*6という比喩で書かれた文学的な表現に満ちており,それ自体が「事実」だとはおよそ考えられないからである.第二パラグラフは反語で書かれていて,内容は伝わるものの,それは事実を述べるにふさわしい叙述の形式ではない.
 では,一体なぜ第一パラグラフが「この事実」に含まれると考えられるのか.その理由は,「共産主義はすでに,すべてのヨーロッパの強国から一つの力 eine Macht と認められている」という第一の推論が,第一パラグラフにおける「ふるいヨーロッパのすべての強国 Alle Mächte des alten Europa」という存在を前提としているからである.共産主義が「法皇とツァー,メッテルニヒとギゾー,フランス急進派とドイツ官憲」と並ぶ一大勢力に擬えられている*7.
 「共産主義者がその考え方,その目的,その傾向を全世界のまえに公表し,共産主義の幽霊物語に党自身の宣言を対立させるのに,いまがちょうどよい時期である」という第二の推論に関しては,正確には第一の推論「共産主義はすでに,すべてのヨーロッパの強国から一つの力と認められている」ことから導き出されていると考えられる.共産主義が国家権力に目をつけられるほどの一大勢力として認められた時期だからこそ,そのマニフェストを公にすることに意義があるというのが,その論理である.
 ところで「共産主義の幽霊物語 Mährchen vom Gespenst des Kommunismus」とあるが,この「メルヒェン」とは冒頭第一パラグラフで述べられている内容を指すのであろうか.だとすれば,この序文が文学的であるように思われるのは,「共産主義」が「メルヒェン」として語られてきたことと関係があるのではないか.
 「共産主義」が「幽霊物語」として語られていることは,一見すると我々には文学的な表現であるように思われるが,ここではそれは「事実」として描かれているのである.

第一章 ブルジョアとプロレタリア

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(Marx et al. 1848: 3)

 今日までのあらゆる社会の歴史は,階級闘争の歴史である.
 自由民と奴隷*8,都市貴族と平民*9,領主と農奴,ギルドの親方と職人,要するに圧制者と被圧制者はつねにたがいに対立して,ときには暗々のうちに,ときには公然と,不断の闘争をおこなってきた.この闘争はいつも,全社会の革命的改造をもって終わるか,そうでないときには相闘う階級の共倒れをもって終わった.

(『共産党宣言』大内・向坂訳40〜41頁)

最初の一文を読むと次のような疑問が出てくる.すなわち「今日までのあらゆる社会の歴史 Die Geschichite aller bishorigen Gesellschaft」というが,「階級闘争の歴史」によって「あらゆる社会の歴史」を語ることははたして可能なのか?この点を考慮してか,エンゲルスはのちに1888年英語版への注で次のように述べている.

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(Marx et al. 1908: 8)

すなわち,あらゆる書かれた歴史である.1847年には,社会の前史,すなわち記録された歴史に先行する社会組織は,全然といっていいほど知られていなかった.

(『共産党宣言』大内・向坂訳40頁)

ここでエンゲルスは,『宣言』の「今日までのあらゆる社会の歴史」を,「あらゆる書かれた歴史」のうちに限定している.今日の我々が「歴史」として認識することができることができるのは,それが文書等の形式で記録され・理解される限りにおいてである.しかしながら,(パロールではなくエクリチュールとしての)文字が発明される以前にも何らかの「社会 Gesellschaft」が存在したであろうことは想像に難くない.〈記録がないから存在しない〉というのは政治家の安直な発想である*10.

ツンフト内部闘争

 „Zunftbürger und Gesell“という箇所は文字通りに訳すなら「ツンフト市民と職人」である.この箇所が「ギルドの親方と職人」と訳されているのは何故であろうか.邦訳はどちらかといえば英語版の“guildmaster and journeyman”(Marx et al. 1908: 8)に依拠しており,1888年英語版でエンゲルスは“guildmaster”に次のような注をつけている.

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(Marx et al. 1908: 8)

Guildmasterとは,ギルドの正会員,すなわちギルドに属する親方のことであって,ギルドの長のことではない.

(『共産党宣言』大内・向坂訳41頁)

「ツンフト Zunft」とは,ここではヨーロッパ中世都市における手工業者団体を指していると考えられる.ツンフトの親方(Mesiter)は「独立の手工業者であり,ツンフトの成員であり,従って市民権を有するもので」(森村1990: 35)あった.つまり「ツンフト市民 Zunftbürger」とは,市民権を有する親方のあり方を指している.他方,職人(Gesell)とは親方に至る過程の階級であり,職人には修業のための遍歴の旅が課されていた.

たいていのツンフトは遍歴職人制が採用されており,職人は数年間(3年ないし5年)旅稼ぎに出て,困難に堪えて,自分の技能をためしつつ経験を豊富にして,また技能をいっそう錬磨する必要があった.そしてこの旅行が終ると自分の手工業の部門で得意とするもの,いわゆる親方製作Meisterstückを作りそれが親方の認定を得,また修業期間中の素行善良なる場合,初めて親方となることが許された.かくして,かれらはツンフトの完全なる成員,すなわち一家を構える独立の手工業者となり得たのであり,従ってまた都市の公民として政権に参与することを得たのである.

(森村勝 1990「中世ヨーロッパの遍歴職人制度と職人組合の問題」36頁)

したがって,『宣言』ではこうしたツンフトの親方(Meister)と職人(Gesell)の関係が階級闘争の一つとして捉えられているわけである.そして実際にその闘争はあったようだ.

15,6世紀ごろになると,ツンフトは外部の競争,とくに商業資本の圧迫を受けることがひどくなるにつれ,ツンフトは自己防衛に追われ,せまい門戸閉鎖を行って,独占的排他的傾向を強め,いろいろな人為的規制を定めて,新組合員の加入を困難にするようになった.かくして,親方権は世襲閥になり,ツンフトは技術の発展を助長する前向きの機関ではなくなり,親方の地位を守り,その職業を独占する特権的機関に変質した.かくして,従来の親方・職人・徒弟のあいだの温情的協調関係はゆるみだし,そのあいだに利害の背反が生じた.こうしてツンフト内部に対立関係をみることになり,ついにはそれが闘争にまで発展して行ったのである.

(森村勝 1990「中世ヨーロッパの遍歴職人制度と職人組合の問題」 37頁)

(つづく)

*1: モーゼス・ヘス(Moses Hess, 1812-1875).
*2: 橋本は『宣言』の異本を少なくとも7種類以上示している.ここで「少なくとも7種類以上」というのは,後に橋本が「異本6」をさらに「異本6-1」と「異本6-2」の二つに分けて整理しているからである(橋本2019: 58).
*3: 橋本自身は「筆者はこの刊本(■形の印刷上の汚れをもつもの:引用者注)は未見,またそのコピー等も未入手である」(橋本2004: 84)と述べているが,今や橋本が確認できなかった『宣言』の初版がGoogle Booksで手軽に閲覧できるのである.
*4: エリック・ホブズボーム(Eric Hobsbawm, 1917-2012)がすでに『宣言』の文学的魅力について次のように評している.「そのほかがどうであれ,政治的レトリックとしては『共産党宣言』はほとんど聖書的な力をもっている.要するに,文学作品としてそれがもっている読者を魅了する力を否定することはできないのである」(ホブズボーム2017: 146).
*5: 大内兵衛・向坂逸郎訳(岩波文庫)の「校註」には「「ちょうどよい時期である」Es ist hohe Zeitのhoheが,初版には欠けている」(99頁)と書いてあるが,画像から確認できる通り,„hohe“は初版には欠けていない.
*6: ジャック・デリダ(Jacques Derrida, 1930-2004)は,「共産主義の幽霊 Gespenst」をシェイクスピア『ハムレット』における父親の「亡霊 ghost」と結びつけ,「憑在論 hantologie」について論じている(デリダ2007).
*7: この点について詳しくは的場昭弘(1952-)による訳注(マルクス2018)を参照されたい.
*8: アリストテレスに依拠するならば,ポリスの領域において政治的活動を行うのが自由民であり,自由民である家長の政治的活動を可能にしたのは,オイコスという領域において奴隷が家政に関わる必要労働を代替していたからである(平子2007: 28).
*9: ここで「都市貴族と平民 Patrizier und Plebejer」は,歴史貫通的な概念としての「貴族と平民」ではなくて,古代ローマという特定の時代区分における社会階級である「パトリキとプレブス」のことを指している.
*10: 公文書に手を加えることによって,存在そのものが無にされてしまった記録もある(瀬畑2019).

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