ヴィーコ『新しい学』試論③
新しい批判術
ヴィーコは『学問の方法』でクリティカとトピカという二つの方法について言及している.キケロの『トピカ』以来,クリティカは真偽についての判断の術(ars iudicandi)とされ,トピカは論拠についての発見の術(ars inveniendi)とされてきた*13.時代的には若者はポール=ロワイヤル論理学を優先的に学んでいたが,このような論理学やデカルトの方法をヴィーコは当時のクリティカとして位置付けている.こうしたクリティカ中心の時代にあって,ヴィーコはキケロに倣い,トピカがクリティカよりも先行することを説いているのである.
以上を踏まえて先ほどのパラグラフでは,『新しい学』の中で「新しい批判術」を用いることが宣言されている.この批判術は,一体何が,どのような点で「新しい」のであろうか.これがただの「批判」ではなく,〈術 ars 〉としての「批判」であるからには,そこにはいかにしてキケロ以来の伝統が受け継がれ,そして発展させられているのであろうか.
この批判術の〈新しさ〉は,ポール=ロワイヤル論理学やデカルト主義のようないわば〈推論の精確さ〉だけにこだわったものではないという含意があるのではないだろうか.この「新しい批判術」は,「人間の選択意志に依存することがらすべてにかんする学説を検討すること」だと述べられている.「人間の選択意志」とは一体何であろうか.この点,ヴィーコは次のように述べている.
「人間の選択意志」(あるいは「恣意」)は,いわゆる人間の自由意志に関わるものであり,エピクロスの〈逸れ〉の概念のように決定論的な発想から抜け出るものである.したがってそれはきわめて曖昧であり,ここで「不確実」と呼ばれる所以である.しかし,ヴィーコはこの「人間の選択意志」は「共通感覚」(あるいは常識,コモンセンス)によって確固として規定されているという.というのも,人間は生物として生きていくのに必要なもの,有用なものを,一定程度の共通認識として持っているからである.そして言語・習俗・歴史といったものが「人間の選択意志」に依存しているということは,これら言語・習俗・歴史などの学説は、「人間の選択意志」を規定しているところの「共通感覚」(常識、コモンセンス)を基盤としており,この「共通感覚」(常識,コモンセンス)によって(「人間の選択意志」を介して)間接的に規定されているということになる.そこでこれらの学説の基盤となっている「共通感覚」(常識,コモンセンス)こそが問題となる.
「共通感覚」 (常識,コモンセンス)における〈共通〉性とは「ある階級全体,ある都市民全体,ある国民全体,あるいは人類全体」における〈共通〉性であり,またその〈感覚〉性は,それが感覚であるがゆえに理性を介しない直截的で「無反省的な」ものである.
しかもこの「共通感覚」が件の「新しい批判術」を提供すると述べられている点に関しては,わたしたちはキケロが彼の『トピカ』においてトピカとクリティカをそれぞれ〈発見の術〉と〈判断の術〉として区別していたことを想起する必要がある.これこそまさに「新しい批判術」を提供する「共通感覚」が「判断」であるとされている所以である.
ヴィーコとマルクス
こうした「批判」の方法は様々なトピックの書物を分野横断的に読解し,「批判 Kritik」として統合していくマルクスの方法に受け継がれていると言えるのではなだろうか.かつて柄谷行人は『トランスクリティーク』(柄谷2010)でマルクスからカントへ遡って読み込む必要性を感じたと述べていたように記憶しているが,マルクスの「批判」はカント以前のヴィーコの「新しい批判術」にまで遡る必要があるのではないか.
こうした読み方は,当時「死せる犬」と扱われていたヘーゲルの弟子だと自ら述べた序文を読んだとしてもそうはならないはずである.しかし,ヘーゲルをいくら読みといたとしてもマルクスの「批判」の立脚点は,ヘーゲルには見出すことができない.ヘーゲルとは別の思想家を経由する必要がある.もちろん若きマルクスがフォイエルバッハの人間主義に影響を受けており,そのフォイエルバッハがヘーゲル哲学「批判」をマルクスのヘーゲル法哲学「批判」よりも先に著していることは重々承知している.しかしマルクスのエスプリに富んだ「批判」の仕方*14は,同時代のいわゆるヘーゲル左派(Hegelsche Linke)の「批判」の仕方とは明らかに違っている.むしろここで注目したいのは,思想史における「批判」のもっと大きな流れのことである.
例えば,フォイエルバッハのヘーゲル哲学「批判」の方法は,逆さまにされていた主語と述語を転倒させるというものであった.しかしこれはその内容とは裏腹に形式論理的な批判に過ぎず,素材を抜きにした単なるクリティカに過ぎなかった.これに対してマルクスはフォイエルバッハのようなクリティカだけでは空疎な批判に陥ることに気付き,『独仏年誌』(Deutsch-Französische Jahrbücher, 1844)以降,古典派経済学や人間社会に関する事柄を分野横断的にその生涯にわたって学び,現実的な問題の場所を発見すること,すなわちトピカを重視した(マルクスがエンゲルスの『状態』を評価するのもこの観点からであろう).こうした点が,マルクスと他のヘーゲル左派との大きな分岐点になったのではないかと思われる.
マルクスがヴィーコに言及しているのは,『資本論』(Das Kapital, 1863)の一箇所とラサール宛手紙(1862. 4. 28)だけであるという(木前2008:8).しかし,もしマルクスの「批判」の源流がこのようにヴィーコに見いだされるとしたら,なんとも面白くはないだろうか.
「質料」と「形式」
ここで「知識」と訳されている原語は"Scienza"であり,これは本書のタイトル『新しい学の諸原理』における「学」のことである.
なお「形式 forma」は,アリストテレス的な用法で、「質料」と関わりを持つ.『新しい学』第1巻「原理の確立」第2部「要素について」の冒頭では次のように述べられている.
ここで「形式 forma」と「質料 materie」が強調されているように,これらは形而上学の用語として使用されていることがわかる.『新しい学』第1巻第2部以降で「学の形式」を与えられるところの「質料」については,第1巻第1部「年表への注記——ここにおいて質料〔素材〕の配列がなされる——」で叙述されるという構造になっている.
ここでヴィーコは「公理」のことを"Assiomi, o Degnità"というように言い換えているが,Verneによれば,この箇所は『新しい学』で"assioma"を"degnita"と等置した唯一の箇所だそうである*15.Verneは,ユークリッドの『原論』,ニュートンの『プリンキピア』,そしてアリストテレスの『分析論後書』に言及した後,次のように述べている.
「幾何学」と〈製作者〉の思想
たしかに「公理」や「定義」といった用語を見ると,ユークリッド幾何学のような原理原則が想起されよう.実際,ヴィーコは『新しい学』第1巻第4部「方法について」で「永遠の理念的な歴史」とともに「幾何学」について次のように言及している.
ヴィーコが「永遠の理念的な歴史」を我々人間が語りうると考えるのは,それを作ってきたのが我々人間だからである.ここで人間はその歴史に関しては造物主たる神と同じ地位へと引き上げられている.ヴィーコは製作者の技法を「幾何学」*16になぞらえているが,〈製作者〉だけが真の意味で(いわば「神的に」)認識しているというのはヴィーコの思想としてよく知られているものであり,これを仮に〈製作者〉の思想とでも呼んでおこう.ヴィーコのこのような〈製作者〉の思想は,マルクスやサイードといった偉大な思想家に大きな影響を与えた.〈製作者〉の思想とは,それを造りし者だけがそれを最もよく理解している,というものである.ただし,ヴィーコは幾何学と人間に関する事柄との違いについても述べており,その違いは「実在性(リアリティ)」の多様性にあると述べている.
〈新しい学〉における〈権威の哲学〉の側面
「この学」つまりヴィーコの〈新しい学〉は,いくつかの主要な側面から考察されており,それらの諸側面の一つが「権威の哲学」である.ヴィーコの〈新しい学〉の主要な諸側面については,第2巻「詩的知恵」第1部「詩的形而上学」第2章「この学の主要な諸側面についての系」で次のように整理されている.
先の引用箇所で最も関わりが深いと思われるのは,「詩的形而上学」の次のパラグラフである.
ここで〈新しい学〉の主要な諸側面の特徴の一つは,不確実なものを確実なものへと「還元する reduce」点にある.古代のことどもが不確実で曖昧であるのは,あくまで近代諸国民のわれわれにとってのことであり,古代人の常識からすればそれは確実なものであったはずである.したがって,〈新しい学〉とは,今となっては不確実になってしまったものを,かつての確実なものへと「引き戻す reduce」というのである.
物語と論理学
この箇所を読解するにあたって,「物語」という語に注目してみよう.ヴィーコは本書第2巻「詩的知恵」第2部「詩的論理学」第1章「詩的論理学について」の箇所で,「物語」という言葉の語源的解明を以下のように試みている.
「ロゴス λόγος」と「ミュートス μῦθος」とは「物語」を意味するものとして対比的に用いられていた.ヴィーコが「ロゴス λόγος は観念と話し言葉の双方を指している」と述べたとき,ヴィーコは「ロゴス」の相異なる二重の意味を強く認識していたといえる.
ヘシオドス『神統記』
単語
p.6. l.33.【接続詞】E「…と、そして」
p.6. l.33.【副詞】quivi「そこで」
p.6. l.33.【前置詞】co'「〜と共に」: 前置詞conの短縮形
p.6. l.34.【名詞】Principj「原理原則」: 男性名詞principioの複数形
p.6. l.34.【限定詞】questa「その」: 限定詞questoの女性単数
p.6. l.34.【形容詞】Nuov'「新しい」: 形容詞nuovoの女性形nuovaの短縮形
p.6. l.34.【名詞】Arte「芸術」: 女性名詞arte
p.6. l.34.【形容詞】Critica「批判」: 形容詞criticoの女性形
ここで触れられている内容は,訳者(上村忠男)が示しているように,ちょうど本書第一部「年表への注記」の以下の箇所と対応している.
ヴィーコがここで「自然神統記 Teogonia Naturale」と呼んでいるものは,これが「ギリシア人の想像力のなかで自然に作られていった神々の誕生の系譜 Generazione degli Dei, fatta naturalmente nelle fantasie de'Greci」である点を考慮すると,おそらく紀元前700年頃の古代ギリシアの詩人ヘシオドス(Ἡσίοδος)の作品とされている叙事詩『神統記』(θεογονία)のことを指していると思われる.「テオゴニアー」という言葉は本来「神々の誕生の系譜」の意である.したがってまたヴィーコが「十二の神々 dodici Dei」と呼んでいるのも,ギリシア神話のいわゆるオリュンポス十二神(Δωδεκάθεον)のことであろうと思われる.
ホメロスの詩とその文体
「ホメロスの二つの詩」というのは『イリアス』と『オデュッセイア』のことであろう.なぜこれらが「ギリシア諸氏族の自然法の二大宝庫」なのか.その理由は,まさにホメロスの詩が伝承された最も古い文学作品であったからではないだろうか.
今回注目したいのは,ヴィーコが「文体 Stile」に言及している点である.まず「文体」が「ホメロス的」だというのは,どういうことを意味するだろうか.ホメロスの詩が文字として書き起こされたのは紀元前6世紀頃であり,その作品の成立した紀元前8世紀頃よりもずっと後になってからである.それまでの間,ホメロスの詩は朗読されて伝承されてきたのであるから,そこには音楽的な抑揚があったと考えられる.その点を考慮すると,ヴィーコが「詩的な」フレーズと「通俗的な」フレーズという区別をしたことの意味も理解できるだろう.つまりヴィーコは,ホメロスの詩にみられるような音楽的な抑揚のある文体のことを「詩的な」フレーズと呼び,後にそうした音楽的な抑揚の失われた散文のような文体のことを「通俗的な」フレーズと呼んで区別したのではないだろうか.年代的には「詩的な」フレーズが「通俗的な」フレーズに先行していたのであり,「詩的な」フレーズが失われてしまうまでは,ホメロスの「勢力圏内にとどまっていた」のである.
単語
p.7. l.7.【名詞】favole: 女性名詞favola「寓話、物語」の複数形
p.7. l.7.【形容詞】eroiche: 形容詞eroico「英雄の」の女性複数形
p.7. l.7.【動詞】furono: 動詞essere「〜である」の直接法遠過去/三人称複数
p.7. l.8.【名詞】storie: 女性名詞storia「歴史、物語」の複数形
p.7. l.8.【形容詞】vere: 形容詞vero「真実の」の女性複数形
p.7. l.8.【縮約】degli: 前置詞diと冠詞gliの縮約(contraction)
p.7. l.8.【名詞】 eroi: 男性名詞eroe「英雄たち」の複数形
p.7. l.8.【限定詞】lor: 所有限定詞loro「彼らの」の語尾音消失(apocope)形
p.7. l.8.【形容詞】eroici: 形容詞eroico「英雄的」の男性複数形
p.7. l.8.【名詞】costumi: 男性名詞costume「習慣、慣習」の複数形
(つづく)
註
*12: 「哲学 Filosofia」と「文献学 Filologia」については次の箇所も参照のこと.「哲学は道理〔理性〕を観照し,そこから真実なるものについての知識が生まれる.文献学は人間の選択意志の所産である権威を観察し,そこから確実なるものについての意識が生まれる./この公理は,後半部分にかんして,文献学者とは諸言語および内にあっての習俗や法律と外にあっての戦争,講和,同盟,旅行,通商などの双方を含めた諸国民の事蹟の認識に携わっている文法家,歴史家,批評家の全体のことである,と定義する.」(Vico1744: 75–76,上村訳(上)165頁).
*13: キケロは『トピカ』で次のように述べている.「およそ議論のための厳密な方法は二つの部門,つまり一は発見(invenire)の部門,他は判断(iudicare)の部門からなり,私が思うに,アリストテレスがこの両部門の創始者であった.ところがストア派は後者の部門だけに関心を寄せてきたにすぎない.実際,ストア派は,彼らが弁証術(dialektike)と呼ぶ学において,判断の方法だけに専心してきたのである.しかし,トピカ(topica)と呼ばれる発見の術の方が,実用に役立つだけでなく,自然の秩序において先行するにもかかわらず,彼らはこれをまったく無視してきたのである.」(キケロ2010:21).
*14: フォイエルバッハに多大な影響を受けた若きマルクスの「批判」とその「方法」については荒川2013をみよ.
*15: "Vico uses assioma only once in the New Science, and he equates it with degnità."(Venere2015: 254).
*16: ヴィーコは『自伝』の中で幾何学学習の効用について語っている(ヴィーコ2012).
文献
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?