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『山路きて何やらゆかしすみれ草』はスミレは山にははえてないのです!

また(※久保田)万太郎には別な技法もある。たとえば古典との交錯である。

 枯野はも縁の下までつゞきをり

いうまでもなく「枯野」は芭蕉の「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」の「枯野」。その「枯野」が縁の下まで一気に来て、現実になる。読んでいてゾッとする人生の残酷さ、過酷な現実眼前である。

今週の本棚:渡辺保・評 『星を見る人 日本語、どん底からの反転』=恩田侑布子・著 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

芭蕉の「枯野」は「彼(かれ)野」なのです。「彼の世」なのです。「野」は『野ざらし紀行』なのです。

『野ざらし紀行』(のざらしきこう)は、江戸時代中期の紀行文。松尾芭蕉著、1巻。芭蕉第1作目の紀行作品。

「あの世でも野ざらし紀行をやろう、楽しみだなあ」という歌なのです。いきいきシルバーライフを過ごせば、死ぬのは全然怖くないのです。怨念にまみれたリベラルは生きながらにして餓鬼道に落ちているのです。お迎えが近いというのに怯えている場合ではないのです。

や・む 【止む】
[一]自動詞マ行四段活用
活用{ま/み/む/む/め/め}
①おさまる。やむ。
出典土佐日記 一・一六
「風・波やまねば、なほ同じ所に泊まれり」
[訳] 風や波がおさまらないので、やはり(昨日と)同じ所に停泊している。
②途中で終わる。なくなる。起こらないままで終わる。とりやめとなる。
出典竹取物語 かぐや姫の生ひ立ち
「翁(おきな)、心地あしく、苦しき時も、この子を見れば、苦しきこともやみぬ」
[訳] (竹取の)翁は、気分が悪く、苦しいときでも、この子を見ると、苦しいこともなくなってしまう。
③(病気が)なおる。(気持ちが)おさまる。
出典平家物語 三・赦文
「法皇、御憤(いきどほ)りいまだやまず」
[訳] 法皇は、お怒りがまだおさまらない。
④死ぬ。死亡する。
出典源氏物語 手習
「すべて朽木(くちき)などのやうにて、人に見捨てられて、やみなむ」
[訳] なにもかも、(山奥の)枯れて腐った木などのような状態で、人に見捨てられて、死んでしまおう。

やむの意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典

や・む 【病む】
[一]自動詞マ行四段活用
活用{ま/み/む/む/め/め}
①病気になる。病気で苦しむ。
出典徒然草 五三
「からき命まうけて久しくやみ居たりけり」
[訳] あやうい命を助かって、長い間病気で苦しんでいた。
②思い悩む。
出典万葉集 三三二九
「恋ふれかも胸のやみたる」
[訳] 恋しているからか、胸が思い悩んでいる。

旅に恋した芭蕉にとっては辞世の句などないのです。

山路きて何やらゆかしすみれ草(芭蕉)

『野ざらし紀行』の句なのです。

この句の季語は「すみれ草」です。これにしても日本全国に自生している草ですから、珍しいものではありません。むしろ地味な小さな花といえます。さほど自己主張もせず、ひっそりと咲いている感じです。ひょっとしたら見過ごしてしまうかもしれません。ポイントは、中七の「何やらゆかし」です。山路を辿っていて、ふとすみれが咲いているのが目にとまりました。それが何故かわからないものの、「ゆかし」という気持ちを湧き立たせたのでしょう。「ゆかし」というのは、心惹かれる・なつかしいといった心情です。

「山路きて何やらゆかしすみれ草(ぐさ)」(芭蕉) :: 同志社女子大学 (doshisha.ac.jp)

もう一つは、「すみれ」と「山」の取り合わせです。というのも、この句について北村季吟の子・湖春が、

 湖春曰く、「菫は山によまず。芭蕉翁、俳諧に巧みなりといへども、歌学なきの過ちなり」(『去来抄』)    
                       
と強烈に批判しているからです。古典の知識が豊富な湖春は、『万葉集』の赤人歌、

 春の野に菫摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける(1424番)

以下、すみれが野の花として詠まれていることを知っていたに違いありません。だからこそ「山路」に咲いていると詠まれていることが、歌道の常識に反すると難じたのでしょう。
それに対して去来は、

 去来曰く、「山路に菫をよみたる証歌多し。湖春は地下の歌道者なり。いかでかくは難じられけん、おぼつかなし」(同)

と反論し、芭蕉に助け船を出しています。では本当に証歌は多くあるのでしょうか。これについては同じく門人の各務支考も、『葛の松原』(元禄五年刊)でほぼ同様のことを述べています。しかしながら「すみれ」が詠まれている和歌を検索しても、「山」で詠まれた歌はヒットしません。かろうじて『堀川百首』にある大江匡房の、

 箱根山薄紫のつぼすみれ二しほ三しほたれか染めけん

が見つかったくらいです。どうやらこの論争に関しては、湖春に軍配があがりそうです。

なぜ山でスミレが読まれないかというと、はえてないからなのです。

花には閉鎖花も混じり、虫の助けを借りずに自家受粉して果実をつくる[5]。果実は蒴果で、はじめ下を向いているが熟すと上を向いて3つに裂開して、30 - 50個の褐色の種子が露出する[7]。種子の長さは1.8ミリメートル (mm) ほどの倒卵形で、へそ側が尖り種枕がある[7]。種子の端に、アリが好む脂肪の塊(エライオソーム)をつけていて、種子ごとアリが巣に持ち帰るので生育域を広げることができる[5]。

スミレ - Wikipedia

スミレは自家受粉してアリが種子を運ぶのです。近場にしかひろがらないのです。山にはえているスミレは人が植えたのです。誰が、いつ、なぜ、といったことを芭蕉は「ゆかし」と詠んだのです。江戸時代なので山道は暗く道もわかりづらいが、道標替わりのスミレを見つけると「道から外れていない」ことが確認できるのです。

ゆか・し
形容詞シク活用
活用{(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ}
①見たい。聞きたい。知りたい。
出典徒然草 一三七
「忍びて寄する車どものゆかしきを」
[訳] 目立たないようにそっとやって来る牛車(ぎつしや)の主が知りたくて。
②心が引かれる。慕わしい。懐かしい。
出典野ざらし 俳文
「山路来て何やらゆかしすみれ草―芭蕉」
[訳] ⇒やまぢきて…。

ゆかしの意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典

では、歌道の常套から外れたこの句は駄作なのでしょうか。そもそも和歌というのは、一つの詠み方が流行すると、次第に詠まれなくなるものです。そしてまた新しい詠み方が誕生するのです。だから和歌に「山」の「すみれ」が詠まれていないことは、決して芭蕉の句の欠陥とはなりません。むしろ「すみれ」の新しい詠み方が発明されたとすべきでしょう。いい換えれば和歌の伝統を破って、「山路のすみれ」を詠んだことこそは、芭蕉の句の斬新さというか、新たな美の発見だったといえます。やはり『野ざらし紀行』において、芭蕉は開眼していたのです。

芭蕉は万葉集に遡る歌の伝統にしたがっているのです。

「スミレ」の名はその花の形状が墨入れ(墨壺)を思わせることによる、という説を牧野富太郎が唱え、牧野の著名さもあって広く一般に流布しているが、定説とは言えない。

俳人や絵描きは何かあると紙と墨壺をとりだして、さらさらと書くのです。今ならスマホなのです。

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