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志賀直哉「国語問題」は日本語を荒廃から守るのです&「もののあはれ」はパンチラなのです!

1946年(昭和21年)、直哉は『改造』4月号に「国語問題」というエッセイを発表する。
直哉は40年近い文筆生活の中で、日本の国語が不完全であると痛感したとして「日本は思ひ切って世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとって、その儘、国語に採用してはどうかと考へてゐる。それにはフランス語が最もいいのではないかと思ふ。」と提言する。直哉はフランス語を話せなかったが「文化の進んだ国であり、小説を読んでみても何か日本と通ずるものがあると思はれる」という根拠でフランス語を推した。日本語の文章においては随一の作家であると評価されていた直哉のこの意見に、読者は戸惑い議論となった。

ウィキペディア「志賀直哉

現代仮名遣いですが引用させていただくと

 そこで私は此際、日本は思い切って世界中で一番いい言語、一番
美しい言語をとって、その儘、国語に採用してはどうかと考える。
それにはフランス語が最もいいのではないかと思う。六十年前に森
有礼が考えたことを今こそ、実現したらどうであろうか。不徹底な
改革より、これは間違いのないことである。森有礼の時代には困難
であっても、今なら実現できないわけではない。反対の意見も色々
あると思う。今の国語を完全なものに作り変えることができればそ
れに越したことはないが、それが出来ないなら過去に執着せず、現
在の吾々の感情を捨てて、百年二百年後の子孫のために思い切った
ことをする時だと思う。

 外国語に不案内な私はフランス語採用を自身を持って云うほど、
具体的にわかっているわけではないが、フランス語を想ったのは、
フランスは文化の進んだ国であり、小説を読んでみても何か日本
人と通じるものがあると思われるし、フランスの詩には和歌俳句の
境地に通じるものがあると云われているし、文人たちによって或る
時、整理された言語だと云うし、そういう意味でフランス語が一番
よさそうな気がする。

志賀がフランス語を選んだ根拠ははなはだ薄弱なのです。というより、どうでもいい感が漲っているのです。それなのになぜ国語を日本語から変えるのか?それは日本語を荒廃から守るためなのです。

国語を改革する必要は皆認めているところで、最近その研究会
が出来、私は発起人になったが、今までの国語を残し、それを作
り換えて完全なものにするということは悲観的である。自分にい
い案がないから、そう思うかも知れないが、兎に角このことは甚
だ悲観的である。不徹底なものしか出来ないと思う。名案がある
のだろうか、よく知らずに云うのは無責任であるが、私はあまり
それに期待を持つことは出来ない。

ウィキペディアにはその後の発言があり

戦後、直哉が閉口していたのは原稿を当用漢字や現代仮名遣いに修正されることで「原文のまま載せてくれない新聞雑誌には書かぬことにする」(展望、1950年3月号)と宣言している[108]。

日本語が酷くなるのは使われるからであって、使われなくなればそのまま保存できるのです。ぱよぱよちーんといったネット用語も全部フランス語に押し付けるのです。この手の人たちの日本語観は平安期が頂点で、そこからどんどん悪くなっているのです。進歩史観の正反対なのです。

💛

本居宣長は、『源氏物語』の中にみられる「もののあはれ」という日本固有の情緒こそ文学の本質であると提唱し、大昔から脈々と伝わる自然情緒や精神を第一義とし、外来的な儒教の教え(「漢意」)を自然に背く考えであると非難し[注 2]、中華文明を参考にして取り入れる荻生徂徠を批判したとされる[注 3]。

ウィキペディア「本居宣長

「もののあはれ」は実は人類普遍なのです。アニメ映画『リズと青い鳥』のポスターの柄では

葉隠れに 散りとどまれる 花のみぞ 忍びし人に 逢ふ心地する(西行)

見えそうで見えないパンツのことなのです。「忍び/偲び」なので、パンツは二人の気持ちの隠喩になっており、ユリだということがわかるのです。「逢ふ心地」は陳腐な言い方では「リアリティ」や「いまここ」なのです。存在しえないパンツ…「いまここ」を作り出すのが文学のはたらきであり、「意味」はスカートに相当するのです(なのでかわいくある必要はあります)。

この絵には赤はほとんどなく、柵の錆だけなのです。床とあわせて雨を連想させますが、散らばった楽譜が床から少し浮いているので、反射しているのは水が溜まっているからではないとわかります。
みぞれがカメラ目線で見ているのは希美以外にはありえないので、この絵は希美が自分を見ている構図なのです。そうすると希美はみぞれに見られていることはわかっても気持ちが見えないし、自分の気持ちもよくわからないまま物事から目を逸らし、ありもしない遠くを見ている(という自覚がある)ことがわかるのです。みぞれがへたりこんでいるのは、意志の強さと裏腹に、気持ちを隠そうとしている(と希美には見える)のです。つまり、二人ともおたがいに何かやましい気持ちを抱いているのです。
屋上から落ちたりしないように柵があるわけですが、赤い錆が浮いていることから、長い年月とどこか危うい感じがするのです。何にせよ、飛べないのに飛ぼうとしても死ぬだけなのです。

みぞれは腕時計はしないのです。希美の腕時計は女子にしてはゴツいのですが、どうもリスカ跡を隠しているのではないかと思うのです。手首の内側を切るので、ポスター絵では隠れるのです。手を後ろに回しているのは、視点の自分と絵の自分の両方から見えないようにです。断じて胸を張っているのではないのです。絵には描かれていない腕時計は自分が買いに行ったものではなく、リスカの現場を見つけた教師にもらったと考えるのが自然なのです。リスカ跡もまた「逢ふ心地」なのです。
人物と床にフォーカスがあっているから、青い羽根はモノとして存在するならカメラの近くなのです。なのでみぞれからは見えているが、希美が見ている自分からは見えず、希美からは近すぎてわからない、となります。この羽根は希美の音楽の才能を暗示しているのです。

💛

イコノロジー(英語: iconology)あるいは図像解釈学(ずぞうかいしゃくがく)[1]は図像を記述・解釈する技術だが、とくに20世紀の美術史学において、図像を生み出した社会や文化全体と関連づけて解釈するために発展した研究手法を指す。

ウィキペディア「イコノロジー

世の中にはイコノロジーというものがあるのですが、これは「からごころ」なのです。

パノフスキーのイコノロジーは、美術作品の外形ではなく、作品の主題・意味を取り扱う。パノフスキーによると、一つの作品は、ある意味を担う一種の言語とみなされるが、その意味には三つの層 (Three Strata)がある[3]。

Melencolia I

I. 第一段階的・自然的主題 Primary or natural subject matter
母親らしき女性と子供を描いた絵であるとか、穏やかな表現であるといった、画面に描かれた対象や色彩・形状など。
例)右のデューラー《メランコリア I》では、「翼を持った人物がしゃがみこんでいる」「道具類が周囲に散らばっている」といった、そこに描かれている事柄や状況(事実的主題)。また「この人物は物思いにふけっている」といった、特段の知識がなくとも見て取れる感情や心理的意味(表出的主題)[4]。

事実的主題はいいのですが、表出的主題になるともう解釈者の認知バイアスまみれなのです。またパンツのように「描かれていないもの」に全くの不注意なのです。「ありのままに見、描かれているものに意味を見出さず、描かれていないものに独りよがりではない想像力を使う」が第一歩なのです。つまり鑑賞もまた創造なのです。

II. 第二段階的・伝習的主題 Secondary or conventional subject matter
聖母子を描いた西洋絵画においては青色のガウンが貞淑さを表すとか、「剣」が正義や勇気を表現するといった、制作当時に常識とされていた慣習や取り決めなど。
例)《メランコリアI》では、膝の上に肘をついたこの人物のポーズが「四体液理論」でいう「憂鬱質」を示すこと、この人物が手に持っているコンパスや床に置かれている玉などが古くから「幾何学」の象徴であることなど。
これは作品そのものから読み取れず、この知識を得るためには過去にさかのぼる広範な史料調査を行う必要がある。パノフスキーはこの段階をイコノグラフィ(図像学)と呼んで、イコノロジーとは区別する。

現代日本では「青い鳥」は「幸福」を連想させるのです。しかし『リズと青い鳥』ではそれは薄く、「はばたく→才能」が鍵となる連想なのです。つまり「幸福」という連想を(一旦は)捨てる必要があり、むしろ最終的に芸術をもって幸福を意味づけしているのです。柵は鳥かごを連想させますが、こちらも「閉じ込めている」ではなく「大事にしている」なのです。
一流作品の元ネタは「広く知られているもの」「ググればすぐにわかるもの」ばかりなのです。なぜなら要で誰も知らないようなネタでイキるのはみっともないからなのです。

III. 内的意味・内容 Intrinsic meaning or content
作品のさらに奥底にある歴史意識や精神文化。たとえば聖母子像に意識的・無意識的に宗教観・世界観の変遷が表現されているといった、作品が差し出している総合的な意味。パノフスキーは、これを探るための手法をイコノロジーと呼んだ。
例)《メランコリアI》では、第一段階の観察、第二段階の史料踏査を踏まえたうえで、なぜ「憂鬱質」の人物が「幾何学」と結びつけられているのか、床に雑多に並べられた「幾何学」とは無縁に見える道具類が何を意味するのかといった、作品の最終的な意味に対する総合解釈をもとめる作業が、この三段階目にあたる。
パノフスキー自身は、この人物の空を凝視する視線・力なく開かれた手のひらといった描写と、周囲にちらばる創造的な道具類との取り合わせが、高度な技術と知性を持ちながらも自らの限界に悩む人間の絶望感、とりわけルネサンスの美術家の挫折感の表現だとする解釈を提示している。

パノフスキーの解釈の是非はわかりませんが、「図像を生み出した社会や文化全体と関連づけて解釈」する、性急なからごころ野郎だとわかります。

しかし絵は「見ている者」の存在だけは疑うことができず、「MELENCOLIA I」(だけ)が正面を向いていることもまた疑えないから、先ほどのポスターなど多くの絵と同様、「見ているのは誰か?」を出発点に問うのがいいのです。たとえば「憂鬱なのは描かれている人物や動物ではなく、見ている者である」など。虹と強烈な日差しから雨上がりの蒸し暑さが連想され、ダルそうな人物や動物と合わせるとウンザリした気分にはなります。また、意味ありげな小道具から意味を読み取ろうとすると神経が衰弱しそうでもあります。

ラス・メニーナス』もまた「見ているのは誰か?が重要なのです。

幼女様のスカートとその影の具合から、光源は向かって右上の窓明かりだとわかるのです。中央の四角は「国王夫妻が鏡に映っている」とされているのですが、光源の位置を考えると顔に光があたっているのはおかしいのです。つまりこれは「鏡ではありえない」のです。「絵」なのです。通常の肖像画と夫妻の位置が逆になっているのです。ここで絵の全体を見ると、「見るもの」描かれた国王夫妻が、「見られるもの」幼女様をあたたかく見守っていることに気がつくのです。結婚式と同じく、夫が左で妻が右なのです。そうすると鑑賞者もあたたかな気持ちになり、「鏡」に映っているのは自分自身の姿だとわかるのです。幼女様が見ているのは「両親」「未来」といったところなのです。そうすれば幼い頃の自分が両親に抱いていた気持ちも復活するのです。

描かれた夫妻からは視線が読み取れませんが、「見ているもの」「見られているもの」に注意すれば、幼女様以外にはありえないのです。もちろんこれもやまとごころなのです。両親の愛や子供そのものより大事なものはないから、巨大なキャンバスは「燻製ニシンの虚偽」なのです。

18世紀から19世紀に掛けてジャーナリストとして活動したウィリアム・コベットが書いた記事に由来し[2]、後に情報の受け手に偽の事柄に注意を向けさせ真の事柄を悟られないようにする手法を表す慣用表現として使われるようになった。例えば、ミステリ作品において、犯人の正体を探っていく過程では、無実の登場人物に疑いが向かうように偽りの強調をしたり、ミスディレクション(誤った手がかり)を与えたり、「意味深長な」言葉を並べるなど、様々な騙しの仕掛けを用いて、著者は読者の注意を意図的に誘導する。読者の疑いは、誤った方向に導かれ、少なくとも当面の間、真犯人は正体を知られないままでいる。また「false protagonist」(ストーリーの途中まで、主人公とは別の人物をあたかも主人公であるように見せる演出)も、燻製ニシンの虚偽の例である。

これでファイナルアンサーなのですが、ごく少数のわかっている人ははっきりとは書かないできたのです。

ジョナサン・ミラーの指摘によれば、「斜めの切断面が白く輝いている、その鏡に映る像と実像との違いで最も重要な点は、肖像をはっきりと映すには反射光しかなかったはずの周囲の壁の薄暗さと、明るく照らされた国王夫妻の姿との間に矛盾があることである。」[34]。

ウィキペディア「ラス・メニーナス

背後の壁に架かった鏡は、そこに存在しないものについても示している。すなわち国王夫妻、そしてハリエット・ストーンの言葉を借りれば「絵の前で、国王夫妻のふりをする見物人」である[21]。1980年に、批評家のスナイダーとコーンは次のように観察している。

ベラスケスは、便利なキャンバス代わりに鏡を使って、肖像を描こうとした。なぜ彼はそんな事を? 鏡の中の明るい像は、国王夫妻そのものを映しているように思えるが、実はそれ以上の効果がある。鏡は実像に勝るのである。鏡像は反映に過ぎない。何を反映しているのか? 真実、すなわちベラスケスの芸術を反映しているのである。神に定められた君主の面前で・・・ベラスケスは自分の芸術的技巧に歓喜し、フェリペ王とマリアナ王妃に、自分たちの肖像が鏡に映っているのを捜すよりも、熟練の画家の鋭い洞察力に注目すべきだと助言した。ベラスケスの前では、鏡像は真実の模倣に過ぎない[39]。

これらの批評家はわかっているのですが、大半の学者がやっていることはさしずめエヴァ談義なのです。ちゃんと見ると「旧劇エヴァは液モレ注意なのです!|天才🐾文学探偵犬|note」なのです。

これは図像というものが解釈の複数性を免れないにもかかわらず、パノフスキーの「イコノロジー」に従うと、その可能性を切り詰めて一つの解釈だけを選び取ってしまう、という批判だった。またディディ=ユベルマンは、パノフスキーの考える「意味」という概念そのものについても疑念を示している。何をもって「意味」と考えるべきかはまったく自明ではなく、芸術作品には意味作用しか存在しないかのような前提も自明ではない、という批判である[7]。

しかし学者はからごころなので、このような問いは立てられないのです。イコノロジーは「何が描いてあるのか?」からは一歩も出られないのです。ディディ=ユベルマンはごく少数の例外かもしれません。

1992年の著作『我々が見ているもの、我々を見つめているもの』Ce que nous voyons, ce qui nous regardeのなかでは、ワルター・ベンヤミンの「アウラ」aura(オリジナル作品がもつ「今」「ここ」という一回性の概念)を、単純な時系列を超えたできごとの邂逅(かいこう)や衝突を通して「見ているもの」と「見られているもの」の時空が織り合わされることにほかならないと述べる。

コトバンク「ディディ・ユベルマン

仏語のceは英語ではitなのです(queやquiは関係代名詞)。シェイクスピアの戯曲『As You Like It』やxvideosのit's comingなのです。これも鉄板の「逢ふ心地」なのです。

その答えとして、ディディ・ユベルマンはフロイトの「不気味なもの」(Unheimlich。心的生活において昔から親しいもので、抑圧の過程で疎遠にされたもの)を参照しつつ、痕跡あるいは残存として機能するためにはイメージが見る者の身体に直接働きかけ、見る者を完全にとらえてしまわなくてはならないと主張する。彼にとって重要なのはまさに、作品の意味作用すら不安定にし、そのアイデンティティを奪い取って、不安に満ちた不気味なものへと変えてしまうこの瞬間にほかならないのだ。

この手のものは実はわかってないコピペ野郎のほうがずっと多いのですが、「不安に満ちた不気味なものへと変えてしまうこの瞬間」はつまり「逢ふ心地」なのです。unheimlichは成語的には英語のunhomeliness相当ですが、「不気味なもの」は非常に誤解を生む訳で、「神秘的な・信じられない」といった肯定的な意味と両義的で、要するに日常体験から逸れているのです。

unheimlich (strong nominative masculine singular unheimlicher, comparative unheimlicher, superlative am unheimlichsten)
1. uncanny
2. creepy, eerie
3. incredible

wiktionary「unheimlich

蓮實重彦先生も同じことを書いているのです。

志賀が(中略)フランス語を国語として夢想することは、実はほとんど何も夢想していないのと同じことである。ただ、そこから逃れえないことを実践によって知っているだけに、「制度」としての「日本語」と「国家」としての「日本」とに対する苛立ちに捉えられ、その「制度」が「制度」として機能しえない理想郷を「フランス語」として思い描いてみたまでのことだ。
(『反=日本語論』ちくま文庫版p.274)

翻訳論その他「志賀直哉の日本語廃止論をめぐって

蓮實先生がカギかっこつきで「フランス語」と書くときは、フランス語そのものとは連想的な関係にある別物なのです。「制度」は規範的意味のことでしょう。

飽きたからでも、厭けがさしたからでも、不便だと思うからでもなくそれを無上に快適な環境として住みついているが故に、あるとき「日本語」ならざるもののさなかで目覚めてみたいと思う書く人の夢。
(『反=日本語論』p.274)

これもまた「逢ふ心地」のことなのです。こういった「意味ならざるもの」は、とにかく大量に言い換えることで(正しさではなく)確信を高める必要があるのです。

あらゆる「制度」に蔓延している怠惰な事実誤認、それは、「未知」なるものはいま、この瞬間にここにはなく、したがって見えてはいないと信ずることであり、そんな「貧しい」確信が、「未来」だの「彼方」だの「深さ」だのを捏造してもっと奥、もっと遠くへと困難な距離を踏破して進まんとするあまたの擬似冒険者を生み落すのであり、そうした楽天的な魂たちは、自分に最もふさわしい仕草を、「未知」なるものを「既知」なるものへと移行させんとする「発見」の旅だと信じて疑わない。だが、存在が真に有効な視線を欠いているのは、まさしく、いま、この瞬間に、ここにあるものをめぐってなのであり、そのとき瞳を無効にされた存在は、「彼方」を見やって視力の回復をはかるのではなく、むしろ自分自身の瞳を積極的に放棄して、「既知」と思われた領域の一劃に不意に不可解な陥没点を現出せしめ、そこで、いま、この瞬間に、ここにあるものと接しあいながら、もはや自分自身には属さない非人称的な瞳を獲得して、世界を新たな相貌のもとに把えることになるだろう。(蓮實重彦「言葉の夢と「批評」」『表層批判宣言』所収、1979)

蚊居肢、2017年11月11日土曜日

ここでは規範的意味に含まれないもの、つまり「逢ふ心地」、陳腐な言い方では「いま、この瞬間に、ここにあるもの」を論じているのです。「『既知』と思われた領域の一劃に不意に不可解な陥没点を現出せしめ」は「描かれているスカート」が隠すパンツや「描かれていない腕時計」が隠すリスカ跡に気づくことなのです。

「批評」は、本質的に言い換えの作業にほかならない。翻訳とも呼べるその作業は、言い換えるべき対象としての他者の言説の中でまどろんでいるしかるべき記号に触れ、それを目覚めさせることから始まる。数ある記号のどれに触れて目覚めさせるかで、読む主体の「動体視力」が問われることにもなろうが、それは、読むことで、潜在的なものを顕在化させる作業だといってよい。その覚醒によって、他者の言説は、誰のものでもない言説へと変容する。その変容は、 “できごと” として生起し、「批評」の主体をもいくぶんか変容させずにはおくまい。言い換えれば、その二重の変容を通して、とりあえずの翻訳におさまるのだが、「批評」は、それがあくまでとりあえずのものでしかないことを知っている。また、それを知らねば、たんなる「厚顔無恥」に陥るほかはない。
決定的な翻訳にたどりつくことなく、「厚顔無恥」に陥ることも避けながら、とりあえずの翻訳にとどまるしかない「批評」は、あるとき、その宿命として、「表象の奈落」を目にする。そこには、もはや、他者の言説など存在せず、覚醒すべき記号さえ見あたらない。その視界ゼロの世界で、とりあえずのものでしかないにせよ、主体にこの不断の翻訳をうながすものは何か、どんな力に導かれて「批評」は記号の覚醒を目ざしたりするのか、それが物として生みだされるのではなく、事件として起こることを許すものは何か、等々、いくつもの声として響かぬ疑問を前にして、人は言葉を失う。「批評」が「批評」を超えた何かに触れることで陥る失語に言葉を与えるものは、もはや「批評」ではない。だかれといって、それが「哲学」かといえば、それは大いに疑わしい。(蓮實重彦『表象の奈落』2006)

「厚顔無恥」は「からごころ」なのです。西洋ではプラトン以来、哲学=オ〇ニーなのです。この「哲学」はその意味で使われており、独りよがりではないということです。

ソクラテスは「死とは魂の肉体からの分離」であると言う。シミアスも同意する。
次にソクラテスは「哲学者は飲食・豪華衣類・装飾品を追求せず、魂に関心を持ち、できるだけ魂を肉体の交わりから解放する者であり、それゆえに多くの人々に肉体的快楽を味わわない死人同然の者だとみなされている」「知恵の探求・獲得において、頼りになるのは思考のみであり、肉体の諸感覚は役に立たないどころか邪魔になるので、哲学者の魂は肉体を最高度に侮蔑し、そこから逃亡し、自分自身だけになろうと努力する」「正義・美・善や物事の本質、真実在は、不純で邪魔な肉体的感覚を排除して、純粋な思惟のみで追求されるべきものである」と指摘する。シミアスも同意する。
ソクラテスは以上のことから、真正の哲学者は「生きている間は知恵を獲得できないし、生きている間はできるだけ肉体と交わらずその本性に汚染されずに、清浄な状態のまま神が我々を解放する時を待つ」ことを考えるし、そうした「魂を肉体からできるだけ切り離し、魂を自分自身として凝集し単独で生きるように習慣づけること」こそが「カタルシス(浄化)」であると指摘する。シミアスも同意する。
さらにソクラテスは「真正の哲学者は死ぬ練習をしているのであり、死を恐れないし、もし死ぬ際に怒り嘆く者がいればそれは哲学者ではなく、肉体を愛する者であったことの証拠である」「快楽・苦痛・恐怖といった肉体的情念を尺度にして徳を捉えるのではなく、知恵を基準にしてはじめて勇気・節制・正義などの真実の徳が生じるのであり、それもある種の「カタルシス(浄化)」であり、知恵はその浄化を遂行するある種の秘儀である」「大昔から浄めの秘儀を成就してから冥府に至る者は神々と共に住むと言われているし、自分の考えではそれは正しく哲学した人々のことであり、自分もその仲間に加わろうとあらゆる努力をしてきた」のであり、以上が死を前にしても苦しみも嘆きもせず、冥府に対して希望を持っている理由だと述べる。

ウィキペディア「パイドン

魂は「精」のことです。「できるだけ魂(精〇)を肉体の交わりから解放する者であり」はい論破。愛するphilo-と知恵sophosから哲学philosophiaという言葉ができました。知恵とは「逢ふ心地」のことなのです。もののあはれとは「賢者タイム」のことなのです。リスカは「中がピンク色の割れ目から血を流す」ことなので、女の子の死の練習なのです。「知恵を基準にしてはじめて勇気・節制・正義などの真実の徳が生じるのであり」これは脳科学的事実なのです。

  • もののあはれ

  • 賢者タイム

  • It's coming.

  • 忍びし人に逢ふ心地(西行)

  • 不安に満ちた不気味な(神秘的な・信じられない)ものへと変えてしまうこの瞬間(ユベルマン)

  • aura(ベンヤミン、ユベルマン)

  • あるとき「日本語」ならざるもののさなかで目覚めてみたい(蓮實)

  • 表象の奈落(蓮實)

  • 知恵(プラトン)

  • パンチラ、リスカ(犬っち)

文学や美術や哲学からパクった上に直観に訴える例を自分で用意した犬っちは人類史上もっとも親切野郎だということがよくわかるのです。蓮實先生の『表層批評宣言』もこれで怖くないのです。

いま、ここに読まれようとしているのは、ある名付けがたい「不自由」をめぐる書物である。その名付けがたい「不自由」とは、読むこと、そして書くこと、さらには思考することを介して誰もがごく日常的に体験している具体的な「不自由」である。だが、人は、一般に、それを「不自由」とは意識せず、むしろ「自由」に近い経験のように信じこんでいる。従ってこの書物の主題は、「自由」と「不自由」とのとり違えにあるといいうるかもしれない。普遍化された錯覚の物語。その物語の説話論的な持続を担う言葉たちは、だから、むしろ積極的に「不自由」を模倣することになるだろう。ここに繰り広げられようとしている文章は、それ故、ある種の読みにくさにおさまるほかはあるまい。この読みにくさは、選ばれた主題に忠実であろうとする言葉たちの運動から導きだされるものにほかならず、いささかも修辞学的な饒辞を気取るものではない。

「不自由」=頭が不自由なのです。「普遍化された錯覚」はすなわち人類普遍の「忍びし人に逢ふ心地」なのです。

実際のところ、絵画も文学も鑑賞の仕方に違いはなく、特権的な「見る・読む自分」を排し、自分ではない仮想的な受け手をいくつも検討し、自分はその両者を同時に見なければならないのです。これがユベルマンの「『見ているもの』と『見られているもの』の時空が織り合わされること」につながるのです。
『国語問題』であれば、フランス語が国語になった100年後を想定すれば、志賀の文章は死語で書かれたものになっていることに気づくのです。そうすれば、江戸時代までの日本語や、現代から見た旧仮名遣いのように、志賀の時代の日本語もそれ以上は変わらないだろうし、日本語を読める世界各国の人にだけ自分の小説を読んでもらえればいいというのが真意だとわかるのです。つまり小説の神様はここで日本人読者のリストラをしているのです。

志賀の「国語問題」では、末尾、「日本人の血」という気になる言葉が顔を出す。「今までの国語に別れる事は淋しい事には違いないが、それは今の吾々の感情で、五十年、百年先の日本人には恐らくそういう感情はなくなっているだろう。吾々は日本人の血を信頼し、そういう感情に支配される事なく、此問題を純粋に未来の日本の為めに考えなくてはならぬ」。

翻訳論その他「志賀直哉の日本語廃止論をめぐって

志賀はちゃんと「五十年、百年先の日本人」「吾々は日本人の血を信頼し」とヒントを出していますが、発言した著名人は残念ながら蓮實先生以外には「日本人の血」が通っていないようです。リスカしても血の出ないゾンビなのです。あと、大事なことですが、「感動」はからごころなのです。二流以下の作家は言葉が貧しいため、「感動」以外の表現が出てきませんが、つまりはやまとごころを失ったということなのです。

💛

敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花(本居宣長)

やまとごころは現代ならこれなのです。確かに「感動」ではないのです。もちろん「全然気持ち悪くねーよ」はただのセリフではなく、作者が事実を述べているのです。

クセノポンはプラトンと同じくソクラテスの弟子ですが、彼の「饗宴」はプラトンの同名の著作に対抗して書かれたとされているのです。

そこで、一同は、今度は笑うからと彼を慰めにかかり、彼に食事をするように促していたが、クリトブロスが彼の嘆きに突然大笑いした。ピリッポスはその笑いを聞くと、顔を表に出し、交戦(宴会)[シュンボライ]はこれからだから元気を出すようにと、自らの魂を励まして、再び食事をし始めた。
※交戦(宴会) ピリッポスはここで、「交戦」と「宴会」の両方の意味をもつsymbolaiという語を用いて、言葉遊びをしている。
(537/2270)

クセノポン『ソクラテスの弁明・饗宴』船木英哲訳

「いや、断じてやめてくれ」とソクラテスは言った。「だって、いいかね、ちょうど女にはある種の衣服が美しく、男には別の種類の衣服が美しいように、匂いもまた男と女では別のものがふさわしいのだ。というのも、どの男も確かに男のために香料を自らにつけはしない。――そして女たちであっても、特にここにいるニケラトスやクリトブロスの妻たちのように若妻である場合には、一体どうしてさらに香料を必要としようか。彼女たち自身その匂いがするからね。(略)」
(中略)
その後、もう一方の娘が、その踊り子のために笛で伴奏をし始めた。踊り子のそばにはある者が立っていて、輪を一二になるまで彼女に差し出していた。彼女はそれらを手に取ると、踊り、同時に輪を回転させて、それを上に投げるのであった、リズムに合わせてそれらを受け取るためにはどのくらいの高さに投げるべきかを計算しながら。
すると、ソクラテスは言った。
「諸君、他の多くのことによってもそうだが、この娘の行っている芸当によっても、女の本性は、肉体的な力と強さの不足はあるにしても、男の本性に何ら劣らないのは明らかだ。それゆえ、君たちの内に誰か妻をもつものがいるならば、妻に知っていてもらいたいと思うような事柄はなんであれ、恐れることなく妻に教えたまえ」
(中略)
その後、真っ直ぐ立った剣で周りが一杯の輪が、もち込まれた。すると、あの踊り子は剣の中へと宙返りをし、それから再び宙返りをして、剣を越え、外へ出るのであった。かくして、見物人たちは彼女が何か怪我でもするのではないかと心配していたが、彼女は恐れることなくそして安全にそれをやってのけるのであった。
そこで、ソクラテスはアンティスンスに呼びかけて言った。
「これを見物する者たちは、この娘が女であるにもかかわらず、そのようにも大胆に剣の中へ向かう以上、勇気もまた教えられうるものであるのを、もはや絶対否定しないだろうと私は思う」
(544/2270)

そこで、カリアスは言った。
「ソクラテス、あなたが踊りを学ぼうとする場合には、あなたは踊りの相手となり、あなたと共に学べるように、ぜひ私を呼んで下さい」
「さあ、それでは」とピリッポスは言った。「私も踊れるように、私にも笛で伴奏をお願いします」
そして、彼は立ち上がると、その少年の踊りとその少女の踊りをことごとく真似した。
まず、踊りの形を伴うことで少年はなお一層美しく見えていたことを一同が褒めたので、ピリッポスは、彼が[踊って]動かす体のどの部分も、[少年の踊りの場合とは]反対に本来よりおかしなものに見えるようにした。それから、その少女が体を後ろに曲げて輪の形を真似ていたので、彼は身を前にかがめて同じように輪の形を真似ようとした。最後に、一同が少年を踊りの最中体全体を運動させているということで褒めていたので、彼は笛吹きの娘にリズムをより速くするように命じ、足も手も頭もすべてを同時に自由に動かしていた。
そして疲れてしまうと、横になってこう言った。
「皆さん、私の踊りも見事な運動になるという証拠はこれです。とにかく私は喉が渇いているのですからね。さあ、どうか私のために召使は大きな盃を一杯にしてくれ」
「ゼウスに誓って、まことに」とカリアスは言った。「それに私たちのためにもね。あなたを見て笑って、私たちも喉が渇いているのですから」
再びソクラテスは言った。
「いや、諸君、飲むことはなるほど大変よいことだと私にも思われる。本当は酒は魂を潤すことで、一方で苦痛を、マンダラゲが人間を眠らせるように、眠らせ、他方で陽気さを、油が炎を目覚めさせるように、目覚めさせるからね。(略)」
(660/2270)

すると、カルミデスは言った。
「皆さん、ニケラトスは玉ねぎの匂いをさせて家へ帰ろうと望んでいますが、それは誰も彼にはキスする気にさえならなかったろうと、彼の妻に信じさせるためなのです」
「全くだ、ゼウスに誓って」とソクラテスは言った。「しかし、我々はおそらく別のおかしな評判も得る危険があろう。とにかく玉ねぎは食べ物だけでなく、飲み物をも楽しいものにするのだから、それは本当に肴であるようだ。だが、もし我々が食事を済ませた後でも、それを食べようとするなら、我々はカリアスのところに行って楽しみにふけってばかりいたと人から言われないように、気をつけなければならない」
「いや、断じてそういう心配はしないで下さい、ソクラテス」と彼は言った「ある人々が雄鶏たちににんにくを与えてから闘わせるように、戦いに出発する者にとってその前に玉ねぎを食べることはよいことなのですからね。もっとも、我々は、いかに戦うかより、いかにある人にキスするかを思案しているでしょうがね」
(862/2270)

「我々の間だけの話だが、彼はすでにクレイニアスにキスもしてしまっているように私には思える。恋を燃え上がらせるのに、それ以上にものすごいものは何もないのだ。キスは飽くことを知らぬものであり、ある種の甘い希望をもたらすのだからね。[またおそらくあらゆる行いの中で、ただ口による触れ合いのみ心での愛と同じ名をもつということからも、それは大変重んじられている] それゆえ、節度ある振る舞いをなしうるようになりたい者は、若くて美しい者たちへのキスを慎まねばならぬと私は主張する」
※[またおそらく……重んじられている] この一文は後世の書入れとして一般に削除されている。ギリシア語の動詞phileinは、「愛する」という意味と同時に「キスをする」という意味をもつ。
(952/2270)

宴の終わり
さて、この話はそこで終わった。アウトリュコスは散歩に出かけようと立ち上がった。彼にとっては、もうその時間だったのである。そして彼の父リュコンは彼と一緒に外に出ようとしていたが、振り返って言った。
「ヘラに誓って、ソクラテス、あなたは立派な善い人間だと私には思われるよ」
その後、最初にある豪華な椅子が部屋の中に置かれ、次にあのシュラクサイの男が入って来て言った。
「皆さん、アリアドネが彼女自身とディオニュソスの寝室に入って来るでしょう。その後、神々のところで少々酒を飲んだディオニュソスが到着して、彼女のところへと入って来て、それから互いに戯れるでしょう」
その後、最初にアリアドネが花嫁のような装いでやって来て、その椅子に座った。ディオニュソスの姿はまだ現れなかったが、バッコスのリズムが笛で演奏され始めた。一同はそのとき踊りの教師を賞賛した。アリアドネが、そのリズムを聞くやすぐに、それを聞いて彼女が喜んだのが、誰にでもわかりあえたような何かそういう動きをしたのだ。そして彼女は出迎えに行かず、立ち上がりさえしなかったが、やっとのことでじっとしているのは明らかだった。さて、ディオニュソスは、彼女を目にすると、踊りながらやって来て、誰かがするようにこの上なく愛情を込めて彼女の膝の上に座り、そして抱いて彼女にキスをした。彼女は恥ずかしそうだったが、しかしそれでも愛情を込めて彼を抱き返していた。饗宴の客たちはこれを見て、拍手しながら同時、「もう一度」と叫んでいた。ディオニュソスが立ち上がって自分と共にアリアドネを立ち上がらせると、実にそのことから一同は、お互いにキスをし合い抱擁し合う者たちの踊りの形を見物することができた。そして、一同はディオニュソスが本当に美しいこと、アリアドネが本当に年頃で綺麗であること、また二人がふざけてその振りをしているのではなく、実際に二人の口でキスをしているのを目にして、皆実に興奮して見物していた。それは、ディオニュソスが彼女に彼のことを愛しているかどうか尋ね、そしてディオニュソス[が彼女の答えを信じることができた]ばかりでなく、その場にいた者たちも皆、その少年と少女はまことに互いに愛し合っていると一緒に誓いえたようなそれほどの調子で、彼女が彼のことを愛していると誓うのを、彼らが耳にしていたためでもある。二人の様子が踊りの形を教えられた者たちのようではなく、ずっと以前から欲してきたことを行うのを今や許された者たちのようだったからだ。最後に、饗宴の客たちは、二人がお互いに抱き合い、そして寝床に向かうように立ち去るのを見ると、結婚していない者たちは、結婚すると誓い、すでに結婚している者たちは、そういったことを手に入れようと馬に乗って自分たちの妻のもとへ去って行ったのであった。ソクラテスとその他残った者たちは、散歩しようと、リュコンとその息子の元へ、カリアスと共に出て行った。
その日の饗宴は、このようにして終わった。
(1637/2270)

新婚さんはこのあと何をするのでしょう?そう、シュンボライなのです。やまとごころは人類普遍なのです。

💛

志賀の文章の手掛かりは非常に薄弱な根拠と「国語問題」という題そのものであり、真意を理解できると「逢ふ心地」なのですが、文学の本流は今やアニメだということはもはや隠すこともできない事実なのです。

死に臨んでは遺言として、相続その他の一般的な内容の他、命日の定め方[注 13]、供養、墓の設計までにも及ぶ詳細で大部の「遺言書」をのこした。これについては、やまとごころにおける死生観として以前に述べていることといささか隔たりがあるとして、「謎」であるとする評論もある。山室町高峰の妙楽寺に葬られた。

本居は遺言で「設定厨」が炸裂したのです(彼は「煽り厨」でもあります)。江戸時代にはメカがなかったので、冥土に旅立つための設定なのです。今なら宇宙戦艦ヤマトやガンダムや銀英伝なのです。日本のアニメは「からごころ(漢意)」、つまりイデオロギーや正義を排し、女子的な「やまとごころ(大和魂)」と男子的な「厨心」でできているのです。志賀は杞憂ではなかったが、日本語は斜めになったのです。

三島由紀夫も日本語の荒廃を嘆いていましたが

^ 三島由紀夫は「日本への信条」(愛媛新聞 1967年1月1日に掲載)において、「私は、日本語を大切にする。これを失つたら、日本人は魂を失ふことになるのである。戦後、日本語をフランス語に変へよう、などと言つた文学者があつたとは、驚くにたへたことである」と述べている。

志賀のやまとごころが三島にはわからないのです。彼は小説では隠喩を駆使しているのでやればできるはずなのです。この辺が蓮實先生のお気に召さないのです。

だらだらと長くなったのでヤマトは別稿にするのです。

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