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甘い憂鬱。淡い孤独。
どうも。今回はスパゲティーについて少し。
僕の好きな小説の一つに、「スパゲティーの年に」という作品がある。作者は村上春樹。『カンガルー日和』という短編集の中に収められている。
スパゲティーの年とは、1971年。この1971年、狂ったように毎日毎日スパゲティーを茹でて、それを食べ続ける男の物語である。三分ほどで読めちゃう短いお話。
僕はこの物語に流れているポカンとした空気感のようなものがたまらなく好きだ。世界観といえば何だか陳腐な表現のようにも思えるが、それを読んでいると、その主人公が生きている世界の空気が実際に僕の身体に纏わりついてくる感覚を覚えるのだ。
では具体的にどんな空気感なのかと問われると、的確に表現するのは難しい。あくまでも僕が感じるのは、気怠さと孤独である。脱力感と孤独といってもいいのかもしれない。
これは物語の力と言うべきものかもしれないが、僕は実際にスパゲティーを茹でている時に、孤独に似た感情を抱くようになった。スパゲティーが茹でられているのを見るのは悲しい。ボコボコと音を立てるお湯に踊らされるスパゲティーたち。彼らには抵抗する力などなく、出口のない鍋の中をただ彷徨うだけである。キッチン・タイマーも心なしか悲哀の音色を響かせる。
そしてスパゲティーを食べる時、僕はいつもあるフレーズを思い出す。
冷めかけたスパゲティーをフォークに巻き付けては
甘い憂鬱を嚙みしめる
これはMr.Children「UFO」の歌詞の一節だ。ここにも孤独が漂っている。冷めかけたスパゲティーに潜む憂鬱が、自分の中にある憂鬱と絡み合い、甘く身体に沁みてゆく。
僕らはスパゲティーを茹でて、スパゲティーを食べて、スパゲティー的孤独を分け合うのである。全国スパゲティー同盟はひっそりと、でも確実に、僕らの心の中に勢力を拡大し続けるのである。
僕は彼らに完全な支配をさせないために、今日、誰かと一緒にスパゲティーを食べようと思う。