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人から真似されることを「憧れられてる」で片付けられること

割引あり



今日のコラムは



「人から真似をされるって、良いことじゃん」という言葉にモヤる。



という回です。



最近、

「自分の作品が、丸パクりされてた!」


というお話を聞くことが多くなってきました。



待ってました! 

得意分野です笑



パクられた時の気持ち悪さの理由、


かなり自分、


言語化できてると思うので話していきたいと思います。


これ、けっこう深いです。



キモみの正体



今まで、自分のリアルで会う友達って


自分軸が強すぎて、



「社会で生きていくの大変そうだな…」



って逆に心配しちゃうような友達が多かったんです。


なので、


そういう友達が自分のオススメした映画を見てくれると


とっても嬉しかったんですよ


しかも、まぁ乙な感想をくれたりもする。



「私の好きな映画、パクられた」


なんて微塵も思わない。


(まぁ、そりゃ、自分からゴリ押ししてるので笑)


むしろ嬉しいんです。



そういう時って、


作品がコミュニケーションツールとして


しっかり機能しているんですよね。



アドラー的な考えで


「相手を支配するのではなく、勇気づける」


という考えがありますが


良い音楽や映画などは、


作者が感情を動かして作っているので


必然的に何か人に残るような機能があると思っています。


それも、通りいっぺんな方向性ではなく

かなり広範囲な面から人を勇気づけるような。



しかも、


自分軸がある人との関係性は


おすすめしたとしても


その作品を別に鑑賞しなくても良いし、


運よく鑑賞してもらえたら、そこに自由に反応してもらう余白


みたいな心地のいい関係があるように思います。



イメージ的には、富士山の近くで、

不労所得で儲けてる余裕と

自然も豊かで心地良く人間が穏やかな状態の

そんなにガツガツしてない西洋風のアンティークショップみたいな

なんだかそういう余裕のある交流です。笑



さて、人がパクる時って


自分の意外と身近な人だったりします。



学生の時に、髪型や洋服をパクられて


「なんか無理、気持ち悪い」って人と


「まあ、彼/彼女なら良いや、嬉しい」


って違いがありませんでしたか?


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