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『トルーマン・カポーティ』 ジョージ・プリンプトン

小説家カポーティ本人の手紙や、友人たちの証言、インタビューを元に構成された本。1944〜1984年ごろの話がメインです。


ヤドーでの執筆

トラスク夫妻は邸宅に作家、画家、作曲家を招待し、創作活動に集中できるよう支援していた。

彼らがこの五十五室もある広大な邸宅を創作活動に従事する人びとに使わせようと考えた理由の一つは、友人や親戚に開放しても無駄だと思ったからにちがいない。なぜなら、彼らの友人や親戚はみんな同じような大邸宅を持っているんだから!

p67

朝8時にはランチボックスを届け、みんなそれぞれ各自の仕事場に籠る。日中は誰にも邪魔されず、騒いで良いのは16時〜22時まで。夜はディナーが提供され、メンバー同士の交流も活発だった。

日曜はチキン、月曜はスパゲティ、火曜はシチュー、水曜は七面鳥、木曜はナス、金曜は魚、土曜はハムと決まっていた。

「メニューは変えられないんですか?」
「ええ、客を変えるほうが簡単ですから」

p68

カポーティが滞在していたのは1946年ごろ。

人びと

「誰かが本を書くつもりだというなら、いつか本になるかもしれない。だが、どんなふうに書くつもりかを人に話すようなら、まず実現しないと思った方がいい」

p126

アイザック・ディネセンに会いに行ったときの話(スリム・キース)

トルーマンがある本について「気に入りましたか?」と感想を聞いたら、彼女はこう答えた。「ええ。でも、あの本には空気も水も空も十分ではないわ」その意味はすぐにわかったわ。十分な空間がないってことよ。

p320

『叶えられた祈り』でネタにされた人びとが怒っていることについて(キャロル・マーカス・マッソー)

作家は書く。それを知らない人がばかなのよ。
離婚にあたって慰謝料をもぎとろうとする女と同じ。

p391

1949年ごろ、まだ無名だったアンディ・ウォーホルはカポーティにつきまとい、様々なアプローチをしていた。

トルーマンはこの狂信的なファンにへきえきしていた。
なにしろ、蝶々や天使たちの小さな水彩画に添えて、毎日「ハッピー・マンデー」「ハッピー・チューズデー」「ハッピー・ウェンズデー」「ハッピー・サースデイ」「ハッピー・フライデー」という手紙が届くんだから。

p448

彼らの付き合いが増えたのは、カポーティが社交界から締め出されたあとの時代。仕事でのつながりもあり、例えば雑誌『インタビュー』に記事を書いたときには、ポートレイト2点を報酬として受け取っている。


ウォーホルはカポーティのやり方を真似してセレブの仲間入りをしたとも言われているが、カポーティ本人はセシル・ビートンを参考にしていた。

セシル・ビートンこそ、究極のスノッブだよ。貴族の称号があるか、すごい金持ちで権力を握っているか、さもなければ芸術の分野でまぎれもなき天才、それとも最高の遊び相手でなければ、セシルはまったく相手にしない。

 カポーティは人と知り合うのにセシルを利用しただけでなく、セシルのスタイル、人びとに近づく方法などを間近にみて勉強したんだ。

p338


本人のこと

トルーマンはメモをとらない。テープレコーダーも使わない。記憶だけに頼る。あの小さな手を組んで、自分の惨めな生い立ちについてひたすらしゃべり、相手もいつのまにかすべてを話してしまっているというわけだ。

p331

マーロン・ブランドへのインタビューがとくに有名で、『詩神の声聞こゆ』に収録されている。


旅行をしてもカポーティが興味を持つのは、レストラン、ファッション、パーティーのみ。遺跡を見に行こうと誘われても「大昔の石なんてどれもこれも似たようなものじゃないか」

>彼はウォーホルと同じで、何も知らなかった。まったく何もね。どんな形の教養もなかったわ。ヨーロッパ文学についても無知だった。

>すばらしい美術コレクションのある都市をあちこち移動していたけれど、彼はどれも見なかった。トルーマンも同じよ。作品が書けなくなったのは、それが理由だと私は思う。

p321

ずっと同じ髪型でいれば、年齢を感じさせないと女性たちにアドバイスしていた。ファッションに関する彼の意見は『ティファニーで朝食を』の中でも多く語られている。

「男にくらべて、女は年のとりかたが下手だ。イメージを保てば、老けこまないですむのに」

p327

カポーティの素晴らしい話術は、彼の声色とタイミングによって成り立っていた。

リー・ラジウィルが口にした愉快なコメントなら10くらいいえる。ところが、トルーマンの言葉で笑えるものとなると1つも思いだせない。

 彼は気のきいたひとことで知られている。ランチの席で誰かと誰かが議論をしたとする。すると、彼は「へえ、ほんと?」それだけで、おかしくてたまらない。

p329

晩年はクスリとアルコール漬けの日々が続いた。治療しても効果なし。
ウォッカ入りのオレンジジュース、金魚鉢いっぱいのコカイン。

ハイになれないと、自分自身にうんざりしてしまうんだ。他人を観察したって幻滅するか退屈するかだ。だからきっと、もういいやと思ったんだろう。ずっと酩酊状態でいることに決め、そして死んだ。

p461


社交界

野菜が小さい話など、ディティールが面白い。

彼は金持ちに興味があってね。骨の髄にしみこんだ金というものがあるんだっていうの。それは別の種類の金なんだって。

「うーん、彼らはクリスマス・プレゼントにレンブラントの絵をくれたりするんだ。だけど、5ドルの現金が必要になったら……金持ち連中に借りようとしないほうがいいね」

p335

当時の上流階級は伝統的な社交界、企業のジェット族、ショー・ビジネスの人々が混ざりかけている時代だった。

伝統的な社交界はどうしようもなく近親交配が進み、退屈きわまりなかった。演劇界と映画界の人びとは、自分たちの業界のことをしゃべっていないときは、まるでおもしろみがなかった。トルーマンは退屈とは無縁だった。トルーマンはユニークな意見をもち、人を楽しませ、観察力に富み、風刺を得意とし、ものすごく社交的だった。

p336

世界中の大都市の社交界における信望は、アーティストをどれくらい養っているかにかかっている。人がいったん財産を築いたら、次は社会的な信望を金で買わねばならない。そのための唯一の手段は趣味のよさを金で買うことだ。

大金を費やして趣味のよいものを買い、それによって財産にふさわしい人間であることを証明しなければならない。だから、人は5千万ドル、1億ドルといった大金で芸術作品を買いあげ、壁には一分の隙もなく巨匠の作品が並ぶことになる。それ自体、趣味がいいとはいえない。しかし、そうしないと仲間に入れてもらえないんだ。

p339

一時期、セレブの自宅訪問!みたいなシリーズを色々見てたんだけど、多くの内装があまりに過剰で、その理由がなんとなく理解できたような気がした。

終わりに

彼が亡くなったのは、友人のジョアン・カーソンの家で。
長期滞在中に体調が悪くなったが、救急車を呼ばないでくれと頼み、彼女と話をしながら眠るように亡くなった。



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