小説家カポーティ本人の手紙や、友人たちの証言、インタビューを元に構成された本。1944〜1984年ごろの話がメインです。
ヤドーでの執筆
トラスク夫妻は邸宅に作家、画家、作曲家を招待し、創作活動に集中できるよう支援していた。
朝8時にはランチボックスを届け、みんなそれぞれ各自の仕事場に籠る。日中は誰にも邪魔されず、騒いで良いのは16時〜22時まで。夜はディナーが提供され、メンバー同士の交流も活発だった。
カポーティが滞在していたのは1946年ごろ。
人びと
アイザック・ディネセンに会いに行ったときの話(スリム・キース)
『叶えられた祈り』でネタにされた人びとが怒っていることについて(キャロル・マーカス・マッソー)
1949年ごろ、まだ無名だったアンディ・ウォーホルはカポーティにつきまとい、様々なアプローチをしていた。
彼らの付き合いが増えたのは、カポーティが社交界から締め出されたあとの時代。仕事でのつながりもあり、例えば雑誌『インタビュー』に記事を書いたときには、ポートレイト2点を報酬として受け取っている。
ウォーホルはカポーティのやり方を真似してセレブの仲間入りをしたとも言われているが、カポーティ本人はセシル・ビートンを参考にしていた。
本人のこと
マーロン・ブランドへのインタビューがとくに有名で、『詩神の声聞こゆ』に収録されている。
旅行をしてもカポーティが興味を持つのは、レストラン、ファッション、パーティーのみ。遺跡を見に行こうと誘われても「大昔の石なんてどれもこれも似たようなものじゃないか」
ずっと同じ髪型でいれば、年齢を感じさせないと女性たちにアドバイスしていた。ファッションに関する彼の意見は『ティファニーで朝食を』の中でも多く語られている。
カポーティの素晴らしい話術は、彼の声色とタイミングによって成り立っていた。
晩年はクスリとアルコール漬けの日々が続いた。治療しても効果なし。
ウォッカ入りのオレンジジュース、金魚鉢いっぱいのコカイン。
社交界
野菜が小さい話など、ディティールが面白い。
当時の上流階級は伝統的な社交界、企業のジェット族、ショー・ビジネスの人々が混ざりかけている時代だった。
一時期、セレブの自宅訪問!みたいなシリーズを色々見てたんだけど、多くの内装があまりに過剰で、その理由がなんとなく理解できたような気がした。
終わりに
彼が亡くなったのは、友人のジョアン・カーソンの家で。
長期滞在中に体調が悪くなったが、救急車を呼ばないでくれと頼み、彼女と話をしながら眠るように亡くなった。
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