銀の目は何を見る「シルバー事件25区」「Placebo」編&「black out」
2回お送りしてきた「シルバー事件25区」もこの3回目で最後。間が開いて申し訳ない。どうかお付き合い願います。
今までのはこちら。
そしてここまで読んでくれたにもかかわらずまだこのゲームをプレイしていないそこのお前は、ちゃちゃっと上のリンクからゲームを買って欲しい。サントラやブックレットもついてるぞ。
相変わらず解答になっていない解答編「Placebo」
前作同様に「Placebo」編ではジャーナリストのモリシマトキオが一連の事件を調査するという体で物語を裏側から追っていくエピソードとなる。いわば解答編とも言えるわけなのだが、実際は謎が更に謎を呼んでるわけなんだけど。
冒頭はトキオによる「シルバー事件」の概要をレポートという形で語られる。前作をプレイしたけど日が開いて内容を忘れたとか、ぶっちゃけよくわからなかったという人には理解を深める解説としても十分読める。
ただし、これはあくまでトキオの考察に過ぎず、トキオもまた「信頼の置けない語り手」の一人であることを念頭に入れておいたほうが良い。
そうしてどういうわけか、記憶を失ったトキオが25区に流れ着いたところから物語が始まる。
前作同様、トキオのストーリーはPCを使ったネットワーク上で調査を行っていくという形で進んでいく。たまに出歩くこともあるけど、基本的には拠点としたボートの中でパソコンをいじっているだけだが、他の2編とも負けず劣らず癖が強い。というか癖しかないな、このゲーム。
情報収集のためにエロライブチャットに参加させられるハメになったり、
このエロライブチャット、ある種、今のVtuberやyoutuberといった存在を見越していたように思えるキャラの造詣とディティールには須田剛一の先見性に舌を巻く。
そしてその存在が持ち得て、周囲にばら撒く悪辣さに対してもだ。
とはいえ、自分はSF作品に対して未来を予言していただの、見越していたなんて陳腐な言い方をしたくない。
過去のSF作品で登場した要素やテーマなどが後で現実でも現れると、「まるで未来を予言していたようだ」と騒がれることが多い。例えば今も続いている感染症の拡大と小松左京の「復活の日」や小島秀夫の「デスストランディング」がそれにあたる。だがそれは自分から言わせてもらえば、未来の予言などではなく、その作家の普遍性への解像度の高さにある。
「シルバー事件25区」が発売された当時はテレクラや既にライブチャットといった似たようなものもあったし、正直なところ今のVtuberやTikTokerなんざ素人がやってるだけで、根っこにあるものはそんなものと変わらない。それらの要素が「ネットワーク社会」という要素と混ぜ合わされれば、2000年代初頭でも「ミル」のようなキャラクターを創造することは可能だ。もちろんそれはクリエイターの普遍性への解像度の高さがあればの話だけど。
普遍性の解像度の高さについては以前にもこんな具合に書いてみた。
前作の「Placebo」編でもそうだったが、インターネットを舞台にしているためか、登場人物たちのインターネットに対する見方や価値観のようなものが語られており、そしてそれは登場人物の間であまりにも乖離している。
物語の渦中にある登場人物たちはインターネットを一つの社会としてだったり、または自分の生きる場所や居場所のように捉えている。もっと過激な場合だと、インターネット上だけが認識できる世界である、あるいはインターネットを通さなければ世界を認識できていない人物が数多く存在する。
こういうくだりは「メタルギアソリッド2」で発狂した大佐が口走っていた。現実にもいるでしょ、そういうボンクラ。
一方のトキオにとってインターネットとはどこまでも「ツール」の一つでしかない。だからかインターネットによくいる距離感のバグってる人間に対しキレてるし呆れてもいる。フリーのジャーナリストという職業柄もあるかもしれないが、良い意味でインターネットから距離を置くことができている「大人」だ。
「Placebo」編最終話の「YUKI」は、そういったインターネットという汚濁からの解放とも言えるエピソードだった。
「YUKI」ではカントウの外側の世界を舞台としている。
外側の世界を描写したこと、そしてそこでカントウから抜け出してきた人間が誰かを救うことができたというエピソードが語られたことで、この頭のおかしくなりそうなイカれた世界にも多少なりの救いがあったとも思える。
「都市」という異端を排除する共同体、その「都市」を管理する「老人」という過去に固執する存在が消えたのを見届け、トキオは新しい世代に後を託す。それは確かに「銀の目」が消失したこと、すなわち「カムイ」がいなくなったことを示唆していると言ってもいいのではないだろうか。
満足感を得られるような爽やかさとともに「シルバー事件25区」とカムイにまつわる物語は静かに幕を下ろす。
と、思うじゃん?
以下、ネタバレ注意な。
で、主人公のウエハラってなんだったの?
だが物語は「black out」する
「Placebo」編をクリアして少しは爽やかな気分に慣れたのも束の間、「Correcteness」編に新しく「#7black out」が追加される。
最初からカオスと不条理がぎっしり詰まったこのゲームがそんな綺麗に終わるわけないじゃん。
さぁここからが本当の「シルバー事件25区」だ。
というわけでクライマックスの「blackout」ではメタい会話の後にクロヤナギによって呼び出された選択肢から、100個のエンディングを見ていく必要がある。ただそれだけ。
もう慣れてきたでしょ、こういうの。
特に演出も無く、文章が流れていくだけなので作業感しかない。おまけに文章のスクロール速度も遅くてかったるい。ふざけんな。なんで俺はこんなことをやっているんだと、自分に疑問を向けたくなる。
絶対にワザとやってるのが見え据えていて余計にタチが悪いし、死んだ目で選択肢選んでいて須田剛一が「このゲームでなにバカ真面目に考察してんだよ、考えるなよ感じろよ」と言われているようでもあった。
そうだよな剛一、あんたも絶対シラフじゃない時にシナリオ書いた箇所あるようなもんだしな。堂々とニーアをパクるし、しかもこれ真っ赤な嘘だし。
やっぱりシルバー事件なんもわからん
だがそれも我慢して100個のエンディングを漫然と眺めた後にお出しされたものは、やっぱりこれまで大真面目に「ああじゃないか、こうじゃないのか」と考察してきたプロセスを全否定するどうしようもないものだった。
最初から最後まで結局何が明らかになり、何が謎として残ったのかもすら曖昧なままで物語は破滅的とも言える結末で幕を下ろされる。後に残ったのはモニターの画面に映る自分の間抜け面だけだ。
こんな具合に色々と言葉をこねくり回してみたけど、やっぱりシルバー事件なんもわからん。
話がよくわからん、というか整合性も何もあったもんじゃない、キャラの言ってることが意味不明、そもそも25区のウエハラはなんでのうのうと歩き回ってるの? そんな疑問を「考えるだけ無駄」とゲーム側から突き放されているようでもあった。
だがその一方で「なぜ人は犯罪を犯すのか」という問い、そして「都市という共同体に対する疑念」に対しては真摯に向かい合っていたと思える。
もちろんその永遠とも言える命題に対して簡単に答えなんか出せるわけがないし、作中では作中なりで答えを出したようだけども、それを明示的にしていない。
このゲームをクリアして得られる謎に対する答えすらも、カムイと同様に形而上的であり流動的とも言える。「答えは自分で考えろ」と言ってると同時に「答えは常に流動的であり、お前が導き出した答えも答えに足り得ない」と突き放されたようにも思えた。
ただ一つ言えることは「Placebo」編の終盤でトキオが25区という都市に対して突きつけた同じ答えを、この「ウエハラカムイ」は口にしている。
舞台をぶっ壊せばいい。
実際に「Matchmaker」編のツキに至っては舞台から降りることができた。
カントウ24区、そして25区という地獄ではそんな答えになっていない答えよりも、地獄を抜け出すための足の方が大切なのかもしれない。
そしてその地獄の定義の中には、このゲームそのものも含まれている。
だからこそ、「Placebo」編の最終話はカントウの外側の世界を描いたのかもしれない。
答えの無いクソみたいな問題を突きつけられているなら、そんなものに真面目に答える必要もなく、さっさとその舞台から降りてしまえばいい。
メタ的に考えれば、それは「シルバー2425」というゲームそのものに対しても言える。こんな意味がわからなければ意味も無い100個のエンディングを馬鹿真面目に眺めずに、さっさとゲームをやめてしまえばいい。
須田剛一のゲームは人を選ぶ。だからこそ人も須田剛一のゲームを選ぶ。
前作「シルバー事件」も今作「25区」も、前回述べたようにシルバー事件における話の運び方が投げっぱなしジャーマンだ。投げっぱなしなので話をどこに着地させたものか、多分須田剛一ですらわからないと思う。
でも、その須田剛一のぶん投げ方が見てて面白いんだ。意味不明なのに見ていて面白いのだから、なおさらたちが悪い。
ADV系のゲームな癖にテキストのバックログも無ければ、スキップ、早送りが完備されていない不親切さ。
全くもって使いにくいことこの上ないけど抜群にかっこいいUI
意味わかんないけど考えさせられずにはいられないシナリオ
理路整然としていないのだけれど、読んでいて面白いテキスト
〝なんか良い〟から許せてしまうんだよね……
こういった「雑さ」もおそらくは故意や確信犯のものなんじゃないだろうか。この人を喰ったような雑さそのものが、あるいはシルバー事件の執拗低音である「都市の在り方」なのかもしれない。
永遠や完璧さを求めた故に生まれる綻びだ。
そんなものぶっ壊してしまえばいい。トキオが25区を破壊したように。
まあ、なにはともあれ