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地上生涯における聖化


救われた者に与えられる聖霊の導き

イエスを信じた者たちは、天の御国に行くまでそのままほおって置かれる訳ではありません。
聖霊が私たちの人生で起こる様々な問題に対処する助けを与えて下さり、信仰を見失うことがないよう道を示し、力強い希望を与えられます。
聖霊は導きを、その人の性質その状況に合わせ様々な方法で伝えます。

◎悩んでいる時に聖書を開いたら、聖句が強く心に入って来た
◎神の警告の声がはっきりと耳に(心に)響いた
◎夢の中でお告げを受けた
◎自分の代わりに信仰の友が神の啓示を聞いて伝えてくれた

聖霊が私たちに語る代表的な例を挙げました。
イエスご自身が未信者に現れて下さり、救われた人の証しもよく聞きます。
その場合も聖霊がその人の霊の目を開いて下さっていると思われます。


あなたは主のリトマス試験紙


私個人の信仰体験を分かち合いますと、15年以上前のこと。
40日間の断食を行うことになる数日前に、夜中なのに明るい感覚で目が覚め主の御声が私にこう仰せられました。

「あなたは私のリトマス試験紙だ。人のあなたへの反応は私に対するものと同じだ。」


急いで枕元の聖書が開くと、エレミヤ書の聖句が強烈に私の魂に入り込んで来ました。

「あなたはわたしの鉄槌、戦いの道具だ。わたしはあなたを使って国々を砕き、あなたを使って諸王国を滅ぼす。
あなたを使って馬も騎手も砕き、あなたを使って戦車も御者も砕き、
あなたを使って男も女も砕き、あなたを使って年寄りも幼い者も砕き、あなたを使って若い男も若い女も砕き、
あなたを使って牧者も群れも砕き、あなたを使って農夫もくびきを負う牛も砕き、あなたを使って総督や長官たちも砕く。」

(エレミヤ51:20-23)

聖書は何度も通読しているし、エレミヤ書も何度も読んでいるのに、何故か(こんな箇所あった…?)と初めて目にしたように、その聖句が新鮮に心に迫って来ます。
不思議な主からの啓示に呆然としながら眠りに着きましたが、次の夜もまた夜中に目が覚め、昨晩同様のエレミヤ書の聖句のページが、今度は枕の横にすでに開かれた状態で置かれていました。

さらにまた次の夜ーとうとうイエス様ご自身が来られました。
私は夜中眠りながらも、霊は起きており、主が来られることを分かっているようでした。
突然私はベッド横たわったまま、両手を上げ「ハレルヤ」と主を賛美していると、イエス様が私の家の玄関から入り、眠っている枕元の後ろに立って、私の頭に手を置いて、少しの間祈って下さっていました。
その後の私の活動を思うとー40日間の断食と預言の働きに特別な油注ぎ(力)が必要とされていたので、直接主が励ましに来て下さったのだと分かります。

「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるため」(エペソ4:11-12)


霊>魂>肉

キリストに救われた者と、そうでない人の一番大きな違いは何か?
それは、霊の強さです。
神は霊であり、人間も霊を持っています。
霊的存在である神とつながるには、人間も霊を聖くされる必要があります。
これも聖霊の重要な働きのひとつです。

現代では非常に多くの人が、霊が肉の性質に押しつぶされている状態です。
肉それ自体は身体機能を維持するための働きで問題ないですが、肉の性質の望むままに欲するーつまり貪欲の罪に陥ると人生は中毒に支配されます。

「欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」

(ヤコブ1:15)

この聖句の示す意味は深淵です。
最初に読んだ時、私は頭を殴られたような衝撃を受けたのを憶えています。
人間の罪が人生にもたらす結果を端的に語っており、真実の言葉だけが持つ力を感じたからです。

人は本来霊(信仰)に牽引され、魂(感情・心)と肉(体)が従う生き方が正しい順序です。
つまり神(イエス)が自分の人生の中心となり、心と行動も神に従うなら、神はその人と密に交わり彼はダイレクトに祝福を注がれる人生を送ることになります。

しかし神から離れ自分中心に生きている多くの人の場合、肉(の欲求)に引っ張られ感情を突き動かされ、霊は死んだ状態になっています。
ですから悪魔はいとも簡単にこの世を不信仰の霊で覆うことが可能であり、人々は神の福音を聞いても聞こえず、見えず、理解せず、霊的盲目が深刻な状況です。

狭い門から入れ

この世にはサタンの罠が数多く存在しますが、とりわけアルコールや麻薬、ギャンブル、ゲームといったあらゆる中毒の入り口は広く誰でも入り易いですが、霊的束縛が強く抜け出すのは困難です。
ですからイエスは言われました。

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。」

(マタイ7:13)

世の中がこぞって宣伝し、良いと勧める滅びの道を避けて、人々が見向きもしない狭い門から入り、イエスが歩かれた愛と真理の道に従うことで、人は聖められます。
肉的誘惑から来る破滅の人生から守られ、すでに罠に落ち苦しんでいる人も罪の束縛の鎖を解き放たれ、キリストにある真の自由を与えられます。

今日私たちは多方面から、聖なる神の性質と真逆のものー暴力、性的堕落、貪欲、偶像崇拝など様々な邪悪な霊からの誘惑にさらされています。
それらは全て私たちの肉体を汚し、霊を弱めるだけでなく、時に悪霊と深くつながってしまった人も見かけます。
もしこの記事を読んでいる方で、悪霊に悩まされている方は早急にイエスをご自分の人生の主として受け入れて下さい。
どんな悪霊もキリストの権威には勝てません。

聖化と癒し

聖霊は救われる以前の魂に刻まれた、心の傷の癒しも行われます。
多くのクリスチャンが救われるきっかけとして癒されたり、誰にも口にすることなく心の奥底に秘めていた深い心の傷を、クリスチャンになって何年も経ってから突然聖霊に取り扱われ、癒された人もいます。
それらはすべて主の時に、主がなさることであり、私たち人間の予想出来ないことであり、のちに皆「主のなさることは時にかなって美しい」と認める最良のタイミングで起こります。

信仰者の完全な聖化が見られるのは、神の御国で新しい永遠の体を与えられてからと言われています。
この地上生涯において私たちは日々聖化の途中であり、祈りとイエスに従う信仰の歩みの中で時に癒され、時に弱くされ、時に強められ、時に忍耐を試され、日々成長させられていきます。


これほど素晴らしい聖霊を私たちにお与え下さった、イエスに感謝します。
私は最近「日本人の救いはイエスの癒しによる」と啓示を受けました。
が同時に「日本の分裂分断」の預言も数年前から受けており、これは日本が真の神に背を向けている限り、避けられないでしょう。
急速に悪い時代へ進む中、日本も先ほど書いた通り不信仰の霊に強く覆われており、そこから救われて来る魂はどれ程いるだろうか…と思わされます。
それでもイエスに救われる残りの者たちのために祈り続けたいと思います。

今日示された聖句です。

「それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすくことがなく、むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、
かしらなるキリストに達することができるためなのです。」
(エペソ4:14-15)

祈り
愛する天のお父様
私たちの到達点であるキリストは遥かに高く、自分の罪の性質や、主の僕として生きることに不忠実でともすると日常生活に埋没する弱さを顧みると、到底足元にすら及ばないと思わされます。

しかし憐れみ深い神の愛に覆われて、生かされていることを感謝します。
神は人知を超えた愛のお方であり「人に出来ない事も神には出来る」と主は聖書で教えておられますから、神を見つめ、神に寄り頼みます。

私たちが御霊の愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制といった良い実を聖霊によって絶えず身に着ける者として整えて下さい。

また真実の神を知らない人々の霊の目を聖霊が開いて下さり、イエスの救いに導いて下さい。
今、日本で世界で心と体の病に苦しんでいる全ての人々に、イエスの癒しが注がれますように。聖められますように。
唯一の救いの神イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン。

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