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天の尾《アマノオ》 第1話 ――『機械化百足』対『ニューフェイス』――
★★★
痛い程に冷たい、全身を包み下から上へ流れ続ける大気の感触。
俺は天高くから落下中だった。
「人生に一度はスカイダイビングしてみたいよなあー、とか」
何時だっただろうか、友人とそのような雑談をした気がする。
覚えていないのはかなり昔だからだろうか? そうかもしれない。
「別にあの発言を撤回するつもりはないけど、スカイダイビングさせるならパラシュート付けろよ」
俺はパラシュートなしのスカイダイビングをスカイダイビングとは認めないぞ。
たぶんだが、俺以外の人も大半はそうじゃないだろうか。
落下傘は必須装備だろ。違うという人は一回ダイビングして頂いた後に抗議を受け付けます。
「もしくはグライダー」
しかし、今俺の背中にパラシュートはない。
グライダーもだ。
というか現在上半身は裸だ。寒い。
下半身もパンツとパジャマのズボンだけ。
非常に寒い。
下を見る。
「キレーだな……」
眼下に広がる青く美しい海、
白く美しい海岸と飛沫を上げる波、
あと海岸横から広がる緑で美しい木々は、水平線の向こうに今まさに沈まんとする淡く赤く、美しい夕日に照らされて……なんか綺麗。
「ははっ、語彙力カスかよ」
間違いなく、小説家にはなれないだろうな。俺。
ココ、高さはどれくらいなのだろう。光景は飛行機から見る景色と大体同じ、なら高度一万キロメートルくらいか。
「地面が遠い」
自由落下の内臓が浮く感覚で身体がむずむずする。
命の危機に喉がカラカラだ。
それでも、人生で初めて見た絶景に否応なく心が感動していた。
同時に少し惜しく思う。
なぜならこの感動に浸れる時間は、もうそう残っていないからだ。
「地面に爆着するまで1分くらいか? このままじゃ死ぬけど」
どうしよう。死ぬぞ。
なんとか打開策を考えなくてはいけないと思い、思考を纏める為に声出し確認とかしていたが。死ぬ。
しかし流石にどうしようもない気がするぞ。ヤバイ死ぬ。
なんかうまいこと奇跡が起こらないか。うぅ、死が来るぞ。
――全身の肌が粟立つ。死の予感。
「……無理だよなあ、やっぱり逃がしてくれないか畜生」
くるりと身体を回転させ上空を見上げた先、
太陽が退き、月が照らす夜の空間となりつつある大空に―――
「――チキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキ」
大百足《オオムカデ》の怪物がいた。
弾けるような金属音が、死神の大鎌にも似た巨大な顎の間から聞こえてくる。節足のガチガチと鳴る駆動音と相まってとてもうるさい。
視界の良い空中では無数の脚に支えられたその全長が100mを容易に越していることが見て取れる。とにかくデカい。
鎧の如く身に纏った黒い甲殻の造形は怖気が走る程に刺々しく、その表面の光沢はワックスでも塗ったのかと思うほどテッカテカに黒光りしていてキモイ。
凶悪な顔面からは、圧を感じるほどの殺気が放たれていた。小さな目は赤色に輝いている。
そんな怪物が、どういう原理か風切り音を立てて空中を縦横無尽に駆け巡っていた……。
俺を目掛けて直線の軌道で。
本能が死を予感するわけである。なんなら既に傍観の域に入っているのかもしれない。ここは空中、遮蔽物など何もない。
「右腕もねーしっ!」
俺の右腕、その肘から下は数分前の初邂逅時、既にこのムカデ野郎に持ってかれている。上半身のパジャマとシャツもおまけに持ってかれている。
ついでにあと数秒で命の持ってかれる可能性が極めて高かった。
「……っせーのッ! 左腕やるから許してくださいオラァ!!」
交錯しようとする瞬間、俺の胴体を狙う大顎の軌道から逃れるべく、ムカデ野郎のド頭を突き上げるように渾身のアッパーカットを放った。
――チキキ
死神の顎はその些細な抵抗を嘲笑うように軌道を変える。
奴は俺の目前でピタリと停止。
通り過ぎる左腕の一撃を悠々と見送る。
全力で突き上げた俺の腕が伸びきった後、顎を一際大きく開いた。
最後、さらけ出された無防備な胴を挟み込むように再び直進を開始。
ココまで僅か一瞬の出来事。
(こりゃ無理だな)
奇跡的なことに、一瞬の内に起こったその動作全てを俺の動体視力と脳は認識していた。なるほど、これが死に瀕する者が見るスローモーな世界か。
あまりにも無意味。見えてても身体が動けるかは別という奴だ。
あ、死んだ。
「……チチチ」
死を覚悟した俺、しかしその次に起きた出来事こそ掛け値なしの奇跡だった。
「ああ?」
なんとムカデ野郎の顎が俺の胴体の表面、皮一枚でその動きを止めたのだ。
理由は分からない。でも俺の身体は等分されていない。
生きている。
数秒間、俺とムカデは互いに見つめ合ったまま落下し続けた。
改めてコイツを殴る気力は湧かない。
俺から動いたらこの謎の緊張が切れる気がしてならない。その場合、両断による死は避けえないだろう。
赤い眼光が俺の瞳に合わせられる。覗き込むように。
奴の赤目に、不可解そうな光を見た気がした。
「チキ」
奴の前足の一本がブレる。
ザシュッ
肩口から熱が迸る感触。
俺の左腕が根元から切り飛ばされた。上半身はこれでダルマだ。
しかし、ムカデの怪物はそれ以上追撃してくることはなかった。
空中に静止し、落ち続ける俺を見送るように佇むのみだ。
え、もしかして本当に左腕で勘弁してくれたのか?
完全に死に体だった獲物に対して?
願いを聞いてくれた?
いい人すぎィ!
「……はは、マジか。よくわからんけど、なんとか助かっ――」
全身を強かに打ち付ける衝撃に視界が粉々に砕け散る。
目の奥が白と黒に明滅し、意識が四散していく中でも身体に染み渡る嫌な感触。肉が裂け、骨が砕かれる感触だ。
クソッ、スカイダイビング中なのを忘れ、て、た―――
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