ひと足早かった、上京。
人生で初めての「ひとり旅」は、いわゆる「家出」だ。
当時中学1年生だった、約20年前の僕は、とても多感な時期を過ごしていた。
学校でのいざこざに加え、好きなマンガの登場人物や、東京への憧れなど、とにかくいろんな原因が相まって、家出を決意した。
決行の日は、学校が休みじゃない、いわゆる普通の平日だった。
普段の感じで家を出た僕は、学校には行かず、共働きの両親が会社に行くまで、近くの公園で時間を潰していた。
そして、両親が出勤した時間を見計らって自宅に帰り、急いで家出の準備を済ませ、置き手紙をし、母親が貯めていた「へそくり」を勝手に盗み、実家を飛び出した。
それから、電車に乗って空港まで行き、飛行機に乗って、東京へと向かった。
(ただ、ここら辺の記憶は曖昧で、どうやって空港まで行ったんか、なんで移動手段を飛行機にしたんか、全然覚えてない。あまりにも世間知らずやった僕は、「家出をした」という興奮と緊張で、いっぱいいっぱいやったんやろう。)
東京に着いたものの、一応「当て」はあった。
その頃見ていたドラマに、東京の町田市にあるフリースクールが出てきて、そこに行くことを計画していた。
ドラマに出てきた場所なのに、なぜか、それが現実にあるものと思い込んでいた。それほどまでに、いろいろと思い詰めていたのかもしれない。
降り立った空港から、そのままタクシーで町田市に向かってもらったけど、町田市までかなり距離があること(これは大人になって分かった)、肝心のフリースクールの名前を忘れていたこと(実在しないのに)で、結局、目的地まで行けなかった。
無駄にメーターが上がっていくタクシーの中で途方に暮れていても仕方ないので、とりあえず最寄り駅で降ろしてもらい、もう持ち金が底をつきそうで、おまけにホームシックに陥っていたので、家に帰ろうと思った。気がつくと、街はすっかり暗くなっていた。
最寄り駅から東京駅に向かい、震える指で公衆電話のボタンを押し、実家に電話をかけた。
親に事情を説明し、所持金も伝えると、その金額なら小田原までしか行けない、小田原駅にお前を保護してもらうように連絡しておく、明日の朝に迎えに行く、と言われ、電話を切り、小田原へと向かった。
小田原駅の駅員室に行くと、ちゃんと話が通っていたようで、保護してもらうことになった。
布団を敷いてもらい、お菓子や乾パンなどをいただき、そこで一晩過ごした。
今となっては、職員でもないのに、駅員室で寝泊まりしたなんて、かなり貴重な経験をしたと思っている。能天気にも。
翌朝、父親が迎えに来て、僕の「ひとり旅」、もとい、「家出」は終わった。
帰りの新幹線から見た富士山は、きれいだったのか、きれいじゃなかったのか、全然覚えていない。
ただ、空はきれいに、晴れていた。