年中花畑
春眠だろうが、夏眠だろうが、秋眠だろうが、冬眠だろうが、年がら年中、暁を覚えず。
歳を取ると、なにかこう、滾(たぎ)るものというか、猛(たけ)るものというか、内から湧き上がるものがない。もっとも、この歳になって滾ったり猛ったりしても、それをなだめるエネルギーはない。
ブログに何か書こうと思い立って、パソコンの電源スイッチを入れると、ログインするためのパスワードを入力しろと催促してくる。その都度パスワードを入力しているにもかかわらず、「なんだっけ」と記憶に自信が持てず、パスワードをメモした紙を引き出しから取り出して見ると、目が霞んで読み取れない。仕方がないので居間へ行って眼鏡をかけ、再びパソコンの前に座る。
そもそも、あらかじめ眼鏡をかけてからパソコンの電源を入れればよかったのだが、ブログに何か書こうと思い立った時・・・この「思い立った時」というのが、安直なのである。「前もって眼鏡をかけてから」という手順を踏まぬまま安直にパソコンの前に座ってしまう。
年がら年中暁を覚えないから、緊張感がない。
脳の中ではお花畑が広がり、チョウチョが飛び交っている。ついでにヒバリかなんかも鳴いてたりして、うららかな長閑けき春の世界が脳内に広がっている。霞もかかっていたりする。
メガネをかけ、パソコンの前に座ったところで、パスワードのメモをどこに置いたか忘れてしまい、キーボード周りの物をひっくり返しても、床に落ちていないかと足元を見まわしても、見つからない。
やることなすこと全てに手間がかかり、だんだんとイライラしてくる。
気を落ち着けようと居間へ戻って茶を入れ一服すると、いつもの癖でテレビの電源スイッチを入れてしまう。たまたま面白そうな番組をやっていたのでついつい見入ってしまう。しばらくしてトイレに行くとズボンのポケットにパスワードを書いたメモを入れておいたのを思い出し、三度(みたび)パソコンの前に座るが、いったいパソコンで何をやろうとしていたのか忘れてしまっている。
そんな自分に腹が立ち、怒りを鎮めようと居間へ茶を入れに行くとテレビがつけっぱなしだったことにまた怒りがこみ上げ、どうにも治まらない。そしてその時点でパソコンの事は忘れているのである。同じことを一日繰り返している。行ったり来たり、どうしようもない。
私は大丈夫なのだろうか。