継続期、らしい。なう。
週末、こどもの運動会やら、なにやらで、忙しく過ごす。
家族がいるということで簡単に毎日の予定が埋まっていくのは、すごいことだ。すごくよくて、すごく怖い。
良いのは、毎日の充実感が得られること、役割があたえられていること、それにこたえることで社会とのかかわりがあること。
怖いのは、その流れに身を任せているだけで、あわただしく、疲れ果て、日々がよどみなく流れて行ってしまうこと。
次の月曜日は子供とその友達をつれて遊園地へ遊びに行く。
なんてことはない、私が遊園地に行きたかったから子供をダシに使ったようなものなのだけど、子どもたちはとても楽しそうだったし、お母さん方にも感謝されたし、私はもちろんとってもとってもはしゃいで楽しかったし、3方よしとはこういうことなのでは、というくらいちょっと楽しい時間だった。まだかわいいね、親と遊んでくれるなんて。ジェットコースターに乗れなかったのは少し残念だったけれども、きっとジェットコースターに乗れるようになるころには、親と遊園地は行きたくなくなるんだろう。
さて、相変わらずのハイなこの日々、いつまで続くのか。
「鬱病 超回復」でググってみて、鬱病の経過に関する記載を読んでみた。
私は、いま、まさにこの急性期を抜け、継続期にいる。
この状態を8週間続けると臨床的に回復という定義になるらしい。
つまり薬はおそらくあと8週間は飲み続けるのだろう。継続期が終わったら、日常生活に戻る、つまり復職するということね。私の症状や回復は比較的軽いものとみて、継続期が4週間と置いたのかしら。
先生はこのクリニカルパスを想定して、4週間後に意見書を出すといっていたのだと理解できた。この4週間の目的はよくなった状態を維持することだ。
ちなみに、私がハイだなんだ、超回復だ、言ってるけど、(実際楽しくて楽しくてしょうがない)、もと上司に「すみません薬の影響か少しテンションがハイになってて」と言ったら「いや、それがあなたの通常運転に近いでしょ、」といわれてしまったのはいいネタになってる、私的に…。
とはいえ、心に常にあるのは、これからの人生について。仕事についてのことだ。
ちょっとずつ考えもまとまってきた。
まず、これまでの一年以上ずーっと思ってた「もう働かなくてもいい」「何のために生きてるのかわからない」「遊んで暮らしたい」という途方もない思いの正体は、やっぱり鬱だったみたい。
私がこれから生きていくうえで目指したいのは、「ひとの幸せを心から願い、心から喜べる」人生だ。
どうすればそうなれる?私自身が幸せであり、良い状態である必要がある。
一方で人生の酸いも甘いもわかってて、良いことばかりじゃないこと、難しい時があること、どうにもならないことがあることを、体験として会得していないと、嬉しいニュースに心から喜ぶことはできない。
そのためには私自身がツライ経験も必要だろう。私自身が動き続け、色々ともまれていかないと、まだ若干40代では全く持って力不足だ。
動き続ける、でもよい状態であること。これが目指すべき姿。
そのためには60%のちからで頑張って動き続けていること。これはペコの受け売り。自転車のロングライドもそうだけど、朝から夜まで、景色や自転車こぐことそのものを、一日中楽しむためには6割の力ですすむことが大切だ。それ以上出してしまうととてもきつくて楽しむどころではなくなっちゃう。
それ以下だと物足りなくなる。6割の力。これとっても大事。
仕事も含めて6割。「全力を出したら私はもっとできるのに」なんて思わない。
全力を出せるわけないじゃない。だってその状態は瞬間的にしか続かないのだから。大事なのは、全部合わせて6割。
家庭のこと、仕事、自分のこと、合わせて6割。
自分のことには必ず1/3の力を費やす。
今は子供たちも手がかかるから、1/3は絶対に必要。将来的には少し減るかも。
そうすると、自分の力の2割、どんなに多くても3割しか仕事に割けないことになる。
その2割で成果を出し、収入を得る。社会に貢献する。
それが仕事に求めたいこと。
私のキャリアの指針、この、2割方針。悪くない!