生きづらさへの処方箋
こんばんは、山崎です。
周りを見れば様々な人がいます。
毎日笑顔で過ごしている人もいれば、つまらなそうな顔している人もいる。爽やかな人もいれば、びくびくして暮らしている人もいる。人生を楽しんでいる人もいれば、生きづらくてしょうがない人達がいる。
なぜ生きづらいのでしょうか。
理由は様々です。
ですが、全部に関係していることが一つあります。
生きづらいのは、「自分」だということです。
生きづらいのは「自分」の問題です。
だからといって僕は、自己責任論を訴えたいわけではありません。
誰かの生きづらさを、その人自身の性質の問題として考えるのではなく、その人の周りの問題、環境の問題として考える視点はとても重要です。社会の仕組みについて考えようと思ったら、そういう視点に立たなければ考えることはできないでしょう。
しかし、生きづらいのは「自分」だ、というのも事実です。
自分はなぜこんなに生きづらいのだろう。
自分のなにが、こんなに生きづらくさせているのだろう。
例えばいじめっ子が、いじめられっ子に、お前がいじめられているのは、お前が臭いからだから、お前のせいだと言うのは明らかに不条理であり、いじめっ子の責任逃れです。
他人に言われたら、余計なお世話だってことが多い、ということです。
ですが、自分で自分に、問題のありかを探してみることは、決して無駄なことではありません。やりすぎてしまうと、自分を責めることになり、病気の原因になるだろうと思いますが。
生きづらさの輪郭をしっかり掴んでおくということが大切だと思います。
僕なんかは、自閉的な傾向があり、人に心を閉ざしてしまいがちで、人から冷たい人だと誤解されることがあるのですが、自分にそういう性質があるということを知っておくだけで、少し違ってきます。
なおそうとしなくてもいいと思います。こういう性質があるから、こう気をつけようと思うことは悪いことではないと思いますが、そんなに頑張る必要はないと思います。
ただ、知っておくだけでもいいと思います。
無理に変えようとして、ぎこちなくなることも、社会で生きているのだから必要なことかも知れませんが、ああ、自分の自然はこうなんだ、とそういう性質も含めた自然体の自分を知っておくだけでも、社会との摩擦の感じ方が違ってくるのではないか、と思います。
自分を理解する、そして自然な自分に出会う。
そうすることで、社会への入って行き方、フィットの感触が違うと思います。生きづらさはゼロにはなりませんが。
まあ頑張りすぎず気楽にやっていきましょう。