見出し画像

    楽園の暇 ― もんたん亭日乗


         <その4> シェア型書店とかき氷


 昨年暮れのこと。近所を歩いていてあるT字路に差しかかった時、地面に置かれたちょっと不思議な看板が目に留まった。淡い色調の洒落たイラストとロゴが、幹線道路を一本入ると田畑の広がるそのあたりの風景とまるでそぐわない感じなのだ、妙に垢抜けているというか。そして看板の「書店街」の文字もだ。そこは神田の古書街を思わせるような「街」などではなく、少し汚しのかかった白い二階建てのビルが建っているだけの場所だった。さらに不思議な気持ちになったのは、かつてこの町の商店街にもでんと構えていた、地元資本の大型書店も閉店するご時世に、その看板がPRしているのは「書店」だということだった。
 しかし、そのいかにも昭和的なビルのアルミ枠のドアを開けるほどの勇気はなく、私はただ通り過ぎた。翌朝のNHKのニュースで、その書店街が紹介されていた。
 地域とつながるシェア型書店、「城南じょうなん書店街」。 

 実家のある丸亀市に東京からUターンしてきたのは、コロナ禍の少し前だ。東京にしかないものに何十年も魅力を感じて暮らしてきたけれど、それらがなくなっても特段困らないことに、戻って来て気づいた。ただ、品揃えのいい本屋が近くにないことだけは悲しい。書店で平積み本を手に取り、棚の背表紙を眺め、タイトル買いやジャケ買いする楽しみにこれまで何度も浸ってきた。書店でこその極上の出会いもあった。
「シェア型書店」という存在を知ったのはそれより何年か前で、確か東京のどこかの街で、著名人が自分のスペースをレンタルしてお薦めの本を売る、というものだった。そのような形態の書店は今や全国にあるようだが、まさか丸亀の、わが家から歩いて五分の場所にあったとは。これはもう行ってみるしかあるまい。改めてその門を叩きに行く。

 ドアの向こうでは、ほんの六畳ほどのスペースで三十代と思しき男性三人が、壁一面の本棚の前で本を手に談笑していた。新しくできた友達の家に初めて招かれたみたいに、あっけないほど自然に緊張がほぐれていった。その中の一人が、この書店を昨年夏にクラウドファンディングで立ち上げ、運営している藤田一輝いつきさんで、あとの二人は「ショーテンシュ」と呼ばれる、ここに店を持つ本屋の店主だった。
 ショーテンシュはすでに五十人以上いて、一人一人が三十センチ立方の本棚(=書店)を所有する。その小さな書店が五十軒も集まっているから、それでもう立派な「書店街」なのだった。各書店はどんな本を売ってもよい。自分で値段をつけて、自分の本棚にレイアウトする。だから普通の本屋にはない品揃えであるところが面白い。東京にある美大で建築を学んだ藤田さんも私同様、最近、実家のある丸亀にUターンしてきた。この書店も自分で設計してこしらえた。なるほど。ポスターから感じた不思議が氷解する。談笑の仲間に入れてもらった私は、書店街を去る時には、翌年から新人「ショーテンシュ」となることを決めていた。

城南書店街の各「書店」

「城南書店街」は、先発のシェア型書店の良さを取り入れながら、独自の個性を生み出していこうとしている。ここでは、ショーテンシュが月に一回「店番」をするが、そこで「コーヒー」が店と客を繋ぐ。本を買ってくれた人には、その日の店番が、その場で、挽きたてのブラックコーヒーをサービスするのである。コーヒーをこよなく愛する藤田さんが自分で焙煎した豆が使われる。店番はそのために特訓を受けるが、誰でも美味しくれられるオランダ製のコーヒーメーカー(藤田さん談)があるので、使い方を習熟すればオーケー。豆の量もたっぷりなこのコーヒーを目当てに訪れるお客もいるほど(一杯五百円で飲める)、実に美味しい。

特訓を受けた「店主」が、万能マシーンでコーヒーを淹れる図

 さらに夏場は、これにかき氷が加わる。これまた美味しい。藤田さんは、かき氷のオーソリティーでもあった。自前のかき氷機を持ち込み、これはさすがに店番には無理なので、自らせっせと削り、自家製の蜜をかけて数種類を提供する。氷が削られるまでの時間、書店街で過ごしてもらう。本のみならず、コーヒーやかき氷といったインセンティブも、人々を惹きつけている。それらを媒体に会話が生まれ、見知らぬ相手との距離が縮まるなら、実に愉快なことである。

マイ・マシーンでかき氷を削る藤田さん

 かき氷といえば、ここでこんな再会をした。
「○日に店主やります、かき氷もめちゃ美味だからどうぞ〜」とSNSで宣伝したら、昔の同級生が立ち寄ってくれるようになった。直には言葉を交わしたこともない高校の同級生男子が、行きます、と返事をくれた。店主をやる日が直前に変更になったのに、再調整して来てくれた。卒業以来ということになるが、彼は私の中学の同級生と偶然知り合いだったらしく書店内でずっと話し込んでいて、帰る間際にようやく話ができた。当時からはずいぶん風貌の変化した(お互い様だが)元同級生の言うことには……。
「あなたとは、かき氷のトラウマがあったんですよ」
 トラウマ? 私は身構える。すみません、びっくりしますよね、と謝りつつ彼は話し始めた。

 高二の文化祭、我らのクラスは教室に「宇治平等院」の模型を作り、そこで琴を演奏したり、かき氷を作ってふるまったりした。中心的な役割だった彼は途中で氷が足りなくなって困り、たまたまその辺にいた(たぶん口も聞いたことのない)私に、氷を買ってきてくれないかと頼んだ。その時私の顔に一瞬浮かんだ「なんで私が?」という表情にショックを受け、それがトラウマに。
 結局私は氷を買いに行ったそうだが、その一連の出来事をまるで覚えていないとはどうしたものか。でもそんなあからさまな顔つきを、いかにもしてそうな自分をはっきりと思い描けるから困ったものだ。
 そして、今度もまた「かき氷」である。食べにおいでよと誘っておきながら、しゃあしゃあと日程変更してくる私の無神経ぶりに、思春期の青年の心を踏みにじられた記憶を蘇らせ、彼はああ、またかと天を仰いだか。
「美味しいかき氷も食べて、四十五年ぶりにかき氷の呪いは解けました。また寄りますね」
 最後はそう言って笑った。その節はほんとに感じの悪い女子高生でごめんなさい。おばさんになった今も相変わらずですみません。氷が四十五年ぶりに溶けたのは、この場所があったおかげです。

かき氷は夏季のみ営業 (今年はすでに終了)
人気メニューの一つ「丸亀の桃」

 交通量の多いT字路沿いにある「城南書店街」。そこで車を降り、足を止めれば、ここでしか見つからない本と出会えるだけではない。初めての人、懐かしい人、思いがけない人が待っているかもしれない。そこからの人生もちょっと変わるかもしれない。人々の会話がやかましいほどの時間帯があるかと思えば、誰も来ない、店番だけの静かな昼下がりもある。本とコーヒー(とかき氷!)があれば、それで十分だろう。こんな場所は、これからもきっと、ずっと、必要だ。

*参考:「城南書店街」についてはこちらもご覧ください。https://suumo.jp/journal/2024/05/07/202359/(「suumoジャーナル」より)

*不定期(たぶん月1)掲載です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?