「もんたん亭」亭主

香川県丸亀市沖の「広島」に2007年からある「もんたん亭」亭主が、日々のあることないことを綴る。好きなもの。文楽、レスリー・チャン、サッカースペイン代表、宝塚OG望海風斗、温泉、日本酒。ただいま「広谷鏡子」名義でファミリーヒストリー小説「沈み橋、流れ橋」も連載中。

「もんたん亭」亭主

香川県丸亀市沖の「広島」に2007年からある「もんたん亭」亭主が、日々のあることないことを綴る。好きなもの。文楽、レスリー・チャン、サッカースペイン代表、宝塚OG望海風斗、温泉、日本酒。ただいま「広谷鏡子」名義でファミリーヒストリー小説「沈み橋、流れ橋」も連載中。

最近の記事

    楽園の暇 ― もんたん亭日乗

<その6> 「あっちから会いに来てくれたアイドル」 ①レスリー・チャン    エレベーターのシーンが好きだ。    扉が真ん中から左右に開く、何度も開いたり閉じたりを繰り返す、その度に見える情景が微妙に違う、開くまでの時間、閉じるまでの時間を、私たちはカメラと同じ視線で、好奇心や恐怖心を最大限に膨らませて待つ……。    映画にもドラマにもエレベーターの名シーンはあれど、私にとってこの映画にかなうものはない。『君さえいれば/金枝玉葉』(香港・1994)。  エレベーターの外

    •     楽園の暇 ― もんたん亭日乗

       <その5> 101年前の9月、荒川河川敷で    真夏のような陽射しが照りつける9月最初の土曜日、私は東京・墨田区の荒川河川敷にいた。そこでは101年前に起きた関東大震災で、その混乱に乗じて井戸に毒を入れた、放火した、などの流言飛語により虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式が行われていた。この河川敷もまさにその現場のひとつだという。当時の政府はそれを隠蔽したので、今も真相はわかっていない。そして現在の政府も明らかにしようとはしない。    たとえば昨年11月、朝鮮人虐殺を裏付け

      •     楽園の暇 ― もんたん亭日乗

                 <その4> シェア型書店とかき氷  昨年暮れのこと。近所を歩いていてあるT字路に差しかかった時、地面に置かれたちょっと不思議な看板が目に留まった。淡い色調の洒落たイラストとロゴが、幹線道路を一本入ると田畑の広がるそのあたりの風景とまるでそぐわない感じなのだ、妙に垢抜けているというか。そして看板の「書店街」の文字もだ。そこは神田の古書街を思わせるような「街」などではなく、少し汚しのかかった白い二階建てのビルが建っているだけの場所だった。さらに不思議な気持ちに

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          <その3>  浄瑠璃が、離れ小島にやってきた  文楽の神様が微笑んで、瀬戸内の小島で奇跡が起きた、十二年間にわたって。この時の厳しい暑さを思い起こしながら、最も酷暑の夏に私はそう感じている。丸亀市沖の離島・広島に「もんたん亭浄瑠璃」が生まれた、その経緯はこうである。  私の人生において出会えて本当によかったと思えるものの一つに、「文楽」=人形浄瑠璃がある。無形文化遺産にも認定されているその伝統芸能にどっぷり浸かって、三十年以上になる。以前勤めていた東京の放送局で文楽公演を企

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          <その2>  母の日課  その1で、娘の良縁を願う田舎の普通のおばさん、としてしか扱われていないことに草葉の陰できっと腹を立てているに違いないので、名誉回復も兼ねて今度は母のことを書く。  昭和七年浅草生まれ、永六輔氏の兄と小学校で同級、が自慢。もともと書くことが好きな少女ではあったようだ。嫁した丸亀の家には、結婚当時から大学ノートを縦書きに使って書き溜めた日記が何十冊も残っている。日常の出来事を記した日記というよりは、自らの思いを自由に書き連ねた雑文記といった趣きだ。新聞

              楽園の暇 ― もんたん亭日乗

              楽園の暇 ― もんたん亭日乗

          <新連載> その1 「お見合い」の断られ方  高みを目指して奮闘する女性の生きづらさを、史実に添って痛快に描く朝ドラ『虎に翼』を毎朝楽しみに見ている。戦後編が始まり、また新たな困難にヒロイン・寅子は立ち向かっている最中だが、若き日の彼女がその優秀さゆえに見合いを断られ続けている頃、私は何十年も前の体験を思い出していた。もちろん超優秀なヒロインに自分をなぞらえているわけでは毛頭ない。  1985年、春。24歳(!)の私は某公共放送の職員として渋谷のでかいオフィスに勤務してい

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