私と本をめぐって
私が子供の頃は、友達と外で遊んで運動をしたり、部屋でテレビゲーム(ファミコン)をしているのが楽しかった。その頃は本に興味はなかった。
それが高校生の頃、ラジオ番組「日高晤郎ショー」に夢中になったのがきっかけで、言葉に興味を持つようになった。その番組内のコーナー「私の本棚」で晤郎さんが毎週5冊の本を紹介していた。それを聞いているのが楽しかった。次第に紹介されている本を買って読むようになった。司馬遼太郎などの時代小説、『芸能名言辞典』(古典芸能の芸談集)、小説、ノンフィクション、入門的な学術系など。幅広い分野の本を紹介していた。この番組を聞くうちに、言葉を吟味するようになった。言葉を大切にするようになった。
ある時、晤郎さんの別のラジオ番組「日高塾」で、私が投稿した手紙が読まれたことがあった。そして、晤郎さん曰く、「あなたは作家になるのでしょうか」と、ほめられた。作家になるつもりはなかったが、自分が書いた文章に初めて高い評価を頂いてとても嬉しかった。たくさん本を読み、賢い読書家の晤郎さんだったので。
晤郎さんから、本には書き込みをしないで、次の人にその本を引き継ぐことを教わった。そこから「本は文化だ」という考えが自然と芽生えていった。
はたちの頃、何氣なく行った札幌の中央図書館で運命の出合いがあった。そこで偶然手に取った「大森荘蔵著作集」。その中の『流れとよどみ』という哲学的エッセイを読んで、「これなら自分でも書けるかもしれない」と思わせてくれた。それが哲学への入り口となった。後に、彼は日本の哲学界の大御所だと知る。そして、少し哲学書を覗いてみた。全く歯が立たなかった。あっさり挫折。
それから幾年月が流れた。
2010年。再び哲学への熱が蘇る時が来た。NHKのテレビ番組「ハーバード白熱教室」を観たのである。この番組は、「正義とは何か」を題材に哲学者のマイケル・サンデル氏が講義をする。学生から広く意見を求めて議論を展開する。これが非常に面白かった。夢中で観た。考える楽しさを教わった。
そして再び哲学書に挑戦した。それが読めたのである。理解のほどは定かではないが、とにかく読了。井筒俊彦『意識と本質』である。2011年6月のことだった。読み終えた達成感がたまらなかった。この充実感は忘れたくはない。当時、35才。
「分からないけど、分かりたい」
その熱量に任せて、とにかく哲学書を読みまくった。竹田青嗣『人間的自由の条件』、ヘーゲル『精神現象学』、カント『純粋理性批判』、フーコー『知の考古学』、メルロ=ポンティ『知覚の現象学』、吉本隆明『共同幻想論』、ニーチェ『悲劇の誕生』、ヒューム『人性論』、大森荘蔵『時間と自我』、ハイデガー『存在と時間』など。興味の赴くままに手当たり次第に読んでいった。
真夏の青空のもと、公園で読みふけった開放感、冬の大学図書館の広々とした館内でこもって読んだ静寂。読んだ本には、読んでいるときの風景が思い出となってその本と共にある。
こうして、私の中で本は大切なものとなっていった。
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