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さようならの流儀

私は集中力が続かない。

それは楽しい時間でも例外ではない。どんなに楽しくても、相手のことが好きでも、一緒にいてふと集中力が途切れてしまうことがある。結果つまらなそうに見えたり、話を聞いていないように見えたりしてしまっているのではないかと人と関わっているときは内心ヒヤヒヤしている。

そんな私が最低限心がけていることは、「さようならを言うときは出来る限りにこやかに」ということだ。

別れるときというのはわかりやすい区切りだ。そして古き良き日本の言葉に「終わり良ければすべて良し」というものもある。途中で集中が途切れてしまう自分の特性があるからこそ、せめてさようならのときは気持ちよく接したいのだ。

集中力が続かなくてごめんね、という気持ちと私のために時間を使ってくれてありがとうの気持ちを込めてにっこりと「また会おうね」と言う。

今でこそ私のこの生きづらさはADHDなりASDなりという原因がちょっと見えてきてはいるが、少し前までは自分は怠惰なのだと自責していた。そんな中で生み出した、贖罪の意味も込もった私の処世術と言ってもいいのかもしれない。

さようならは丁寧に。今でも別れ際には少しだけ背筋をピンと伸ばす。自己満足だと知っていても、これが私の礼儀で最大限の敬意なのだ。

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