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豆川はつみ一首評
その頃の映画にはよくあるのだとあなたが返した現代にいる
短歌はそれ一首が一つの物語でありながら、ほとんどの場合において起承転結の全てを収容することができない。そしてそうする必要もないだろう。「起承」だけでも短歌になりうるし、私はむしろその方がスタンダードに感じている。
言うまでもなく、掲出歌では五句目「現代にいる」が一首のサビを担っている。あなたと話した昔の映画と、その映画にある昔の表現技法が、鮮やかに今この瞬間と対比され、見事な着地を見せている。現在形「〜にいる」はその確かな着地点を作り、「その頃」という曖昧な把握は確かな「現代」との対比を暗示している。
しかし、この歌の本当の「転」は四句目「あなたが返した」にあると思う。読者はここに来て初めて、それまでの歌の声が作中主体の声ではなく、「あなた」のものであったと表明を受ける。単に初読時にその裏切りが面白いというだけではなく、定型によって誰の声なのかが曖昧にされたままになっているところにこの「転」は成功しているのではないか。何度読んでも、上句の声の正体は「あなた」と作中主体の間を揺らいでいて、そのことが一首の中に段差を作っている。そしてその段差に躓きながらも、結句ではしっかりと着地するところに、今この瞬間の確さを感じることができる。
言うなれば下句に「転結」を閉じ込めたような構造だ。たった十四音で世界をひっくり返し、終えてしまう急展開に、私たちは驚きながらも感動しているのだろう。
2025/2/18
▽引用した豆川はつみさんの歌は以下のリンクから読むことができます