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人間の承認欲求を解体してみると

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こんばんは、疾風 遥です☆彡

朝晩が特に冷えるようになって、徐々につま先が冷えるようになってきましたね。
しかし、昼間の太陽はまだ暑く、着る服に困ってしまいます。

誰しも認められたい

私は、書くこと(WEB上でも紙でも)が好きなので、こういったnote以外にも、日記や、思いついたことをメモするノートを常に持っています。

それこそ、障がいを発症してからというもの、もともと気分がコロコロ変わる性格だったのが、輪をかけて気分屋になったところもあり、その時々の気持ちを記しておくことで、後になって振り返ることができます。

今日は、とある日に書いた1ページを紹介します。
私がドラマを見て、そこから感じたことを書いたものです。

マイノリティは、認めて欲しいと声を上げ、
マジョリティは、自身が否定されることを恐れて抑圧する。
どちらも同じ人間の「認められたい」という承認欲求・所属欲求である。

損得勘定は、自己中心的な考えであり、妬みを醸成する。
しかしそれは、自己と相手の境界線を見誤っているから生じるのだろう。
相手が幸せな時、自分は不幸かもしれないが、
自分が幸せな時、相手が不幸かどうかは気づけない。
結局は比較問題であり、どう捉えるか考えるかで、どうにでも変わってしまう。

では、恋心とは何なのだろうか。
人は、自分の幸せを願って、恋をする。
もちろん、それもとても大切なことではあるが、
まずは相手の気持ちに寄り添ったり、相手の幸せを願うことで、
結果的に自分にも幸せや安らぎが訪れるのではないだろうか?

今のSNSは、他人の断片的かつ作為的な幸せの集合体であり、裏を見れば妬みの集合体となっている。
さらには、価値観の一本化が促進され、流行り廃りの速度は加速度的に速まっている。
そこについていけない人は「負け」のような雰囲気すらある。

しかし、他人を羨んだところで、何も得るものはない。むしろ自分の持っているものを見失うばかりだ。
自分の不幸を嘆いていても何も変わらない。視野が狭くなるばかり。

人にはそれぞれの「幸せの在り方」が異なる。
無理をして上を向く必要はなく、一通り羨んで悲しんだなら、上や下から前に視線を移そう。

そこには、等身大の自分がいて、変わらぬ空と大地が広がっている。
人間も広大な自然の中の一部なのだから。


とても感傷的に書いたものを少し加筆修正して載せてみました。
何か感じるものがあれば、嬉しいです。

それでは、また。
疾風 遥でした。

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