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✎「ときステ」について

※本記事はいち舞台好きによる感想です。あくまで素人の感想なのであしからず。

・「折れる」ことと「折れない」こと

まず、本舞台の情報を見て思ったことが「文房具」設定の奇抜さである。
一見すると不要にも思えるこの設定。実際、序中盤は王道とも言える学園青春モノだったために、その時の私は「果たして彼ら(キャラクター達)は文房具である必要があるのだろうか…?」と思っていたが、この疑問は終盤に一気に解消される。

正義に嫉妬した庄三郎が決闘を申し込み、敗北した正義は更に斬堕志師匠から追い討ちを食らってしまう。そして、祈子が正義を庇いケガを負ってしまうことで正義にスイッチが入る。

「絶対に折れない一つの刃」を掲げ、それを貫こうとした斬堕志師匠に対し、正義は「周りから定義されることで自分がいる」(意訳)ことに気づく。だからこそ正義は敢えて「折れる」。困難に挫けた際にはこれをリセットして、再び困難に立ち向かうのであった。

我々の世界でも同様で、1人だけで完結している人間はいない。お互いが持ちつ持たれつの関係を続け、時に諦める(折れる)こともある。それでも、周囲には自分を自分たらしめる、つまり定義してくれる人が居続ける限り、それが力になる……ある意味で、人生はこの繰り返しとも言える。

この「折れる」ことと「折れない」ことを、「カッターナイフ」と「彫刻刀」という表現で捉え直した点に非常に驚かされた。また、個性的なキャラクター達が示しているように文房具は多種多様であり、役割が異なる。「紙」を「切る」ことができるからカッターナイフなのであるし、逆に「切られる」からこそ「紙」なのである。これらの定義づけの考え方を「文房具」というテーマが暗示しているように感じられて、更に驚かされたのだ。本舞台において、この点に特に感動した。

・キャストについて…千歳まちさん

次に、(言うまでもなくどの演者さんも素晴らしい演技をしていたが、)個人的に特筆したいキャストの方を2人挙げる。

まずは「千歳まち」さん。私の推しであり、今回はこの人の演技を観るために本舞台を観劇させていただいたという経緯もあるため、特筆しない訳にはいかない。

祈子は本舞台におけるもう1つのキーワード「居場所」を噛み締めるためには必須のキャラクターだなと感じた。
先述の「他人に定義される」という点において、当然、この「他人」が近くにいることが大切である。これが達せられるには自分を表現できて、受け止めてくれる環境が要る。しかし、祈子の環境にはこれが無かった。つまり正義にとって、「祈子の近く」は相応しい居場所ではない…と祈子は考えているのだ。


そして祈子は、自分の気持ちを押し殺し、正義に合った別の環境へと送り出す決断をする。(しかも二度もである。)この自己犠牲的な愛が非常に悲しく、同時に、これを丁寧に表現した千歳さんは本当にすごい。とにかく緻密で繊細、セリフがない部分でもその表情や立ち振る舞いから「静的な愛」を観客にヒシヒシと伝えることができたのは千歳さんの演技力の賜物だなと感じた。

(ダンスパートやおまけのシャッフル公演ではとても可愛かったし、チェキ会では直接お話させていただくことも出来た。私の中で、かけがけの無い思い出がまた1つ増えた。)

・キャストについて…児玉かほさん


児玉さんの演技は初めて観させていただいたのだが、この方は特に「セリフがない部分」の演技がバツグンに上手いと感じた。研鋏ならこの場面で何をしているか、どんな事を考えているのか…これを怖いくらいにナチュラルに伝えてきた点が素晴らしいと思った。
これを書いている今でも、研鋏の”リアルさ”が妙に印象に残っている。


おわりに

改めて、大変な情勢の中でも「ときステ」を作って下さったキャスト、スタッフの皆様、本当にお疲れ様でした。
素晴らしい舞台を本当にありがとうございました!

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